恵那神社参拝記:ヨメチユク「ネノオ」とは何処なのか?

  • 2019.09.16 Monday
  • 00:08

 

先日の台風15号ですけれど、大きな被害もなかったかと思っていましたが、

千葉の方が大変な被害になっていましたね。

特に停電が何日にも及んで、かなり不便だった事と思います。

お見舞い申し上げます。

 

(中秋の名月を撮影してみました)

 

さて、私はこの休みには、久しぶりのお天気続きで、岐阜県の「恵那神社」へ行ってまいりました。

先月は、Y女史が行って来られたということで、お土産の柿ゆべしまでいただき、お話を聞かせていただきました。

「恵那神社」は、アマテルカミの胞衣が収められているということで、有名ですね。

私は県内でもありますし、以前にも行ったことがありましたが、

愛知県瀬戸市の9月14日15日の瀬戸物祭りもありまして、

そこも兼ねて、また久しぶりに行ってまいりました。

 

『ホツマツタヱ』に恵那山が出てくる記述の中で、

私の中で、一番の疑問は、

「ヨメチユクネノ オニオサム ヱナガタケナル シナノクニ」

この中の、「ネノオ」です。

「オ」はヲシテ文字で見ると、特殊文字の尻尾(しっぽ)の「尾」(お)が書いてありますね。

 

「オ」が尻尾の尾になっていました:左のオレンジのヲシテ文字)

 

「ネ」というのは、「峰」(みね)で良いと思います。

また、「ヨメチ」というのは、木曽路のことでしょうか。

※追記の考察で、「ヨメチ」は(良い水流の地)と取る方が妥当だということになりました。

 

『ホツマツタヱ』の28アヤには、このようにあります。

 

ホ28-10(7116)

アメミヲヤ ヒノワノミタマ

ワケクタシ アマテルカミオ

ウミタマフ トキフソヒスス

モフソヰヱ ミソヒキシヱノ

ハツヒノテ ワカヒトトモニ

アレマセハ イミナワカヒト

ウフミヤハ ハラミサカオリ

ヲノヱナオ ネニオサムレハ

ヨクマモリ ワサハヒアルモ

ヤワラキテ タマノヲナガク

コレニヨリ オオヤマスミガ

メクリミテ ヨメチユクネノ

ニオサム ヱナガタケナル

シナノクニ イタルワカヒト

 

アメミヲヤ   =アメミヲヤ(天の御祖)は、

ヒノワノミタマ =太陽の御霊を

ワケクタシ   =分けて地上に降ろし、

アマテルカミオ =アマテルカミを

ウミタマフ   =産みたまいました。

トキフソヒスス =時は、21スズ

モフソヰヱ   =125枝

ミソヒキシヱノ =31年、キシヱの

ハツヒノテ   =お正月の初日の出、

ワカヒトトモニ =若日と共に

アレマセハ   =御生れになったので、

イミナワカヒト =ご本名は、ワカヒトさんです。

ウフミヤハ   =出産の宮は、

ハラミサカオリ =ハラミの宮のサカオリでした。

ヲノヱナオ   =男の子の胞衣を

ネニオサムレハ =山の高い峰に収めれば、

ヨクマモリ   =その子がよく守られて、

ワサハヒアルモ =災い(病気や事故など)があっても、

ヤワラキテ   =和らいで軽くなり、

タマノヲナガク =タマの尾も長く、寿命が長くなります。

コレニヨリ   =このような理由により、

オオヤマスミガ =オオヤマスミさんが、

メクリミテ   =良い場所を巡り見て、

ヨメチユクネノ =「ヨメチ」(=木曽路か?)を行って、その峰の

ニオサム   =「オ」(=尾)に収めました。

ヱナガタケナル =そのようなわけで、その峰山は「エナガタケ」恵那ガ岳という名前になりました。

シナノクニ   =信濃の国にある山です。

※追記の考察で、「ヨメチ」を(木曽路)と取るのは根拠が薄いし、

(良い水流の地)ととる方が妥当だと言うことになりました。

 

(オオヤマスミさんが歩かれたコース:「浅間大社」あたりから、「恵那神社」へ)

※検索でゴールが反対になってしまいましたので、向きは逆です。

このルートは、縄文遺跡が沢山出土している地域ですね。

 

男の子の胞衣を峰に収めれば、よく守られるということですが、

何れにしても、オオヤマスミさんが、木曽路を行って「アマテルカミ」の胞衣を

恵那山の「峰の尾」に収めたということになりますね。

そこで、「峰の尾」って何だろう?ということになります。

ずっと考えていたのですが、今日はちょっと閃いたことがありました。

よく知っている地名に、やはり岐阜の近くなのですが、

本巣市の「根尾」(ねお)という地名があります。

根尾は、根尾の淡墨桜(うすずみざくら)で有名な地です。

 

「根尾」って、まさに「ネノオ」、そのものを指し示す地名なのでは?と考えて、

グーグルマップで「根尾」地形を見てみました。

それでこの場合、どこの峰の尾なのか?ということですが、

これは、迷うことなく「能郷白山」(のうごうはくさん)ですね。

能郷白山の峰の尾にあたる部分が「根尾」ということになります。

 

根尾谷の淡墨桜の位置と能郷白山の関係:山の峰から降りる川下の里が「根尾」に当たります)

 

では、何の「尾」なの?ということになりますね。

そう考えて、よくよく地形を見てみますと、峰から流れる川の尾っぽにあたるのですね。

あ、峰から水が降りてくる川下なんだと思って、ちょっと納得しました。

 

そのような目で、今度は恵那神社のある地形も見てみました。

そうしましたら、こちらも恵那山から流れている川の尾っぽの位置にありました。

お母さんの胞衣から流れてくる「ツユ」のイメージではないでしょうか。

つまり、

「ネノオ」(=峰の尾)って、峰の川下の里っていうことなのかも知れないですね。

 

恵那神社の位置も、恵那山から流れる川下の里の位置にあります。

今までは、恵那山の山頂に収められたのか、と思っていましたので

昔の人は、どうやってお参りしておられたのか?と、思っておりましたので、

少し安心しました。

オオヤマスミさんもそんな不便なところまで行って収めることは、無いですよね。

やはり、恵那神社に胞衣を収められたのだと、素直にとって良いのでしょうね。

 

(恵那山と恵那神社との位置関係:恵那山からの川下の里になっていると思えます。)

 

(「恵那神社」のある里に流れる川:恵那山からの「ツユ」の流れですね。)

 

(恵那神社入り口付近:左に見える鳥居が最初の鳥居です)

 

 

それにしても、「恵那神社」も入り口鳥居の辺りは、どうと言うこともないのですが、

御社に行きますと、御神木の「夫婦の杉」がありまして、それはもう大迫力ですね!

凄い御神威が感じられます。感じ入ってみていますと、ふと変なことい気がつきました。

 

(恵那神社の「夫婦杉」:神社側から見て左が「婦杉」で、右が「夫杉」です)

 

 

御神木の「婦杉」「夫杉」の位置が逆なのです。

東の左が「婦杉」で、西の右が「夫杉」になっていました。

御神木を見比べてみても、やっぱり「婦杉」は女性らしくてすべすべして、

「夫杉」は立派で男らしく、荒々しいのです。

 

もしや!と思い、獅子狛犬の位置も確認してみました。

そうしましたら、やはり、「ア」と「ン」の位置が逆で、右左が逆の獅子狛犬になっていました。

この逆配置は、越中國一之宮「雄山神社」でも見たことがあります。

やっぱり、獅子狛犬の位置が反対になっていたのです。

これは、たままた石工の人が配置を間違えたのか?と思っておりましたところ、

またしても、「恵那神社」で逆の配置を見まして、何か意味があることなのか?

と思っているところです。

(何か知っておられる方がいらっしゃれば、お教えください。)

 

(獅子狛犬の配置:よくみると、口を開いている獅子と口を閉じている狛犬の位置が逆ですよ)

※杉の配置に合わせてのかも知れませんね。

 

そしてそして、「恵那神社」の近くには、「血洗神社」(ちあらいじんじゃ)もありまして、

「血洗池」もかつてはあったようですね。由緒書きには『ホツマツタヱ』からの引用もあって、

天照大神の胞衣を収めたところから、恵那になったと説明されています。

さらに、

イサナミさまが、この地に来てお子さんをお産みになったとも書いてありますが、

『ホツマツタヱ』には、「ハラノミヤ」でお産みになった様に書かれていますので、

そこの部分は、別の書からの引用ですね。

「オオヤマスミ」さんが、良い場所を探して、この地に収められたのですものね。

 

(「血洗神社」の由緒書き:神代文字『ホツマツタヱ』の記録に判然として残る、と書いてあります)

 

その理由については、私はやはり、臍(へそ)の尾ですから、

日本のへその部分を探しておられたのだと思います。

天の守りが日本のヘソの尾を通して降りてきますので、

本当の日本のヘソの位置にある山と、その山からの川下の里は何処なのか?

ということを探しておられたのだと、思います。

(文献的な証拠があるわけではないので、私の想像ですね)

 

「恵那神社」には、また行ってみたいと思います。現場は語る!なので、

今回も行ってみて、ヒントが次々と見つかって良かったです。

 

では、今日のお話は以上です。

またお気軽に、コメントを宜しくお願いいたします。

 

 

追記1:「ヨメチ」についての考察:

 

「ヨメチ」を木曽路だと安易に取りましたが、「ネノオ」の意味も含めて考えますと、

オオヤマスミさんが探しておられた場所は、

胞衣のように豊かな水源となる山であって、

日照りが続いても川の流れが途切れることがあってはいけません。

「ヨメチ」=良い「メ」(=水源)の「チ」(=地・流れの元)

を探しておられたと考えますと、すんなりと納得がいきます。

 

元々、峰(みね)という言葉は、「ミ・ネ」(=水の根っこ)であって、

「峰」(ミ・ネ)=(水源)の意味です。

「ヨ・メ・チ」=良い水源の(地・流れ)と取っても間違いでは無いような気がします。

※「ヨメチ」=木曽路とするよりも、この方が良いように思います。

 

(「ヨメチユクネノオニオサム」を図で書いてみました。ヲシテ文字は、分かりやすいですね!)

 

 

追記2:「カオレ」という言葉についての考察

 

恵那神社へ向かう道すがら、川上と書いて(カオレ)と読む地名が目に入りました。

「カオレ」といえば、私の地元では、川浦渓谷(かおれけいこく)という名所があり、

川浦と書いて(かおれ)と読みます。

要するに、川上(かおれ)も川浦(かおれ)も漢字国字化以前には、同じであって

同じような場所を意味するような気がしました。

 

どのような場所かというと、山からの水が里に降りて川にまとまって、

ここから川が始まると言う川上の意味ですね。

ヲシテ文字で考えると、「カ」(=山川)「オ」(=尾)からの「レ」(=流れ)

つまり、山川よりもう少し大きな川の川上の意味になりますね。

恵那神社の場合は、中津川の上流が「カオレ」ということになると思います。

(中津川は、更に大きな木曽川へと合流します)

 

ここで、「カオレ」の「オ」の意味ですけれど、やっぱり「ネノオ」のように

「尾」を意味しているように思います。山からの川の尾ですね。

 

 

追記3:「アメハヱナ」のイメージについて

 

母体と赤ちゃんを繋ぐ「ヱナ」(=胞衣)が、天からの「アメ」の恵みを受ける

恵那山と山川の水で潤いを受ける山里との関係に似ているということだと思います。

 

「ヱナ」は川の水車に準えられることがあります。

ホ14−21 オノコロノ ヱナノカタチハ カワクルマ

ホ16−22 オノコロノ ヱナノヘソノヲ カワクルマ

 

この様に、ヱナは回転と川の水との関係で考えられます。

 

また、天が「ヱナ」(=胞衣)に例えられることもあります。

ミ6−19 アメハヱナ ヒツキヒトミナ アメノエナ

 

この意味は、

天がぐるぐる回って、山の上に「ツユ」(=水)を齎らしてくれます。

その水が山から降りる川を伝って、里を潤してくれます。

だから、みんな天からの流れによって成ったものだという意味です。

 

このことをふまえて、「アメハヱナ」(=天は胞衣)という言葉を図にしてみました。

 

(「アメヱナ」のイメージ図:水色の形が胞衣に見えないでしょうか?)

 

また、

位置として、恵那山の辺りを探されたのは、やはり日本列島のヘソの位置にあたるから

という様に思えます。何れにしても、そこに良い水源を持つ山があって、

良い里がある場所、その条件に合う場所をオオヤマスミさんは、

探しておられたのではないか、と思いました。

 

 

「ミソフカミ」について考える:2文字の配列は、どのように選ばれたのか?

  • 2019.09.08 Sunday
  • 23:58

 

今日は、池田先生のブログを見せていただいていましたら、

「ネコエのミチ」について考えておられるとのこと。

また、新しい発見に至られたということで、お話を聞かせていただけるのが楽しみです。

 

さて、そこで本日考えましたことは、池田先生のブログに出ていました

「ネコエ」の「アナミカミ」の表と「ミソフカミ」の表についてです。

これは以前から気になっていたことでして、「アナミカミ」の方はアワウタの先頭の文字の

8つの「ア・イ・フ・ヘ・モ・ヲ・ス・シ」だから、分かるのですが、

 

「ミソフカミ」「ヤマ・ハラ、キニ・チリ、ヌウ・ムク、エテ・セネ、・・・・・」

という文字列が、どのようにして決められたのか?

それがどうもピンと来ませんでしたので、この際考えてみることにしました。

 

まず、「アナミカミ」「ミソフカミ」が、

どのような位置付けになっているかということですが、これは

「アナミカミ」の方が、目に見えない及ぼしをするもので、

「ミソフカミ」が、それを受けて現象界に実態化する働きなのだと思います。

つまり、陰・陽の働きによって、この世の物も生命も存在するということでしょうか。

 

フトマニの占いにも、この原理が応用されていて、

「アナミカミ」(:陰)と「ミソフカミ」(:陽)の組み合わせで、

メッセージを得る、ということになっているようですね。

 

では、今回はどんなことをやったかですが、

「ミソフカミ」の配列が、どのように選ばれているのか?

この事の検証の為、まずは子音と母音に分解して、記号化してみました。

以下に、記号化のルールを表で示します。

(検証のための記号化ルール:相を段階の数字に、態を「アイウエオ」のカタカナに)

 

 

記号化のルールとしましては、子音の方は48音図表に従って、1〜10段階に数値化しました。

そして、母音の方は、順に「ア・イ・ウ・エ・オ」と、カタカナ表記にしました。

 

では、このルールに従って分解しますと、どのようなことが見えてくるのか。

先ずは「アナミカミ」から見ていきたいと思います。

「アナミカミ」は、見えない世界で影響を与える因子ですので、その意味も考えて見ました。

ただ、一文字ですので漠然とした意味にしかなりません。

(「アナミカミ」考察の表:当然ですがバランスの良い配列です)

 

「アナミカミ」の検証ですが、もちろん当然わかることではあります。

文字は全部で8つありますが、半分の4つは「ア」のあわうた、

後半の4つは当然ながら「ワ」のあわうたの文字になっています。

また、母音である態の方も、「ウツホ」から始まって順に「ハニ」へ向かい、

もとの「ウツホ」に向かって戻ってきています。

バランスよく、8つの文字が選ばれています。

 

次に、問題の「ミソフカミ」については、次の表に示すようになりました。

「ミソフカミ」の配列については、既に2文字で意味をなしていますので、

どのような意味の言葉になっているか、大まかに考えてみました。並べてみますと、

2つの連なる2文字の配列が、意味的に対をなしているように思われます。

 

(「ミソフカミ」考察の表:意味は大まかですが、2つが対になっています)

 

「段階と態」の組み合わせについて、検証してみます。

まず、母音の配列について見てみますと、隣り合う一つの組みの文字が、

同じ母音で選ばれているということに気がつきます。

(アならア、イならイ)が選ばれています。最後は、一部変則になっていますが

基本的に同じ母音の列を使うように選ばれているようです。

また、子音についてみてみますと、子音である相の段階も、

4つが重なり合わないような文字が選ばれています。

 

実際に「ミソフカミ」の配列を(紙に書いて)選んでみますと、

まずは48音図表から、

「トホカミヱヒタメ」を除外し、次に「アイフヘモヲスシ」の「アナミカミ」を除外します。

そして、ア行から順に2文字で対になる意味の言葉を選びます。

それをイ行、エ行と進めて、オまで行ったら逆にア行の方に戻るという選び方になると思います。

途中変則になりますが、全て帳尻があって見事な対になるということは、凄いことですね!

 

結局、「ミソフカミ」というのは、この二文字の対で、世の中の現象を大まかに表している、

ということでしょうか。

それで、「アナミカミ」と「ミソフカミ」との関係はと言いますと、

「アナミカミ」の原因を受けて、「ミソフカミ」がどう対応するかということになり、

「ナカレキ・オヨクキ」の関係にもなるのでしょうか。

「フトマニ」では、その関係性がどう出ているかを占い、128首の「ウタ」によって示唆を受けるわけですね。

 

 今回の私の考察が妥当なものかどうかは、よく分かりませんが、

「ミソフカミ」の2文字の配列を自分で紙に書いて選んでみたら、意味が少し分かったような気がしました。

みなさまも、お時間がありましたら、是非、紙に書いて「ミソフカミ」を選んでみてください。

「ヲシテ」の48音図表って、凄い!と、再認識できると思いますよ。

 

以上、今日は「ミソフカミ」について考える、というお話でした。

ご意見、感想などございましたら、是非よろしくお願いいたします。

 

 

金山巨石群の話:縄文時代の天文観測について

  • 2019.09.06 Friday
  • 22:13

 

先週の週末は、

下呂温泉へ行く道すがら、飛騨の金山にさしかかりますと、

「金山巨石群」の看板が目に飛び込んできました!

以前から気になっていたけれど、まだ行けていませんでしたので、

今日は時間があるから帰りにでも寄ろうかと急遽予定を立てて、

やっと行けることになりました。

「犬も歩けば棒に当たる」という諺がぴったりなのかどうか、

良いチャンスに恵まれたものです。

追加の計画でしたが、下呂温泉の帰りに寄ってこれました。

 

(下呂温泉の温泉資料館に展示してあった昔のポスターです

手書きのポスターも味がありますね。)

 

行ってみて初めて分かることもあるもので、

「金山巨石群」なるその不思議な大岩の一群は、

既に何度か通りかかったことのある通りの、ほんの少し脇にあったのでした。

サイクリングで、蒸し暑い夏の日に「岩屋ダム」へ来たことを思い出しました。

ここは、その「岩屋ダム」のほんの下手(しもて)のあたりに位置します。

 

(正式には、「岩屋岩陰遺跡」というようです)

 

(謎の巨石群の案内図:複数の大岩が関係しています)

 

初めて目にしましたが、なるほど、奇妙な大岩が重なり合っています。

それが、どうも岩の重なる隙間を覗くと、夏至の日の日の出の方向を向いていたり

あるいは、三角の大岩の頂点の指し示す方向に、北極星があったりして、

天体観測をするのに好都合な配置にあるみたいなのです。

現在は、「妙見神社」になっていて、一番目立つところの大岩の上には

祠が造ってありまして、北極星の方向にお参りをするようになっていました。

 

(巨石群全体が「妙見神社」になっています)

 

(この柵の向こうに、「妙見神社」の祠があります)

 

(上から見ると、今の岩も大きいですね)

 

(縄文時代の太陽観測の施設だと考えられています)

 

詳しいことはよく分かりませんが、どうも紀元前1000年〜500年頃に

太陽歴のために利用されていた、観測の施設らしいですね。

 

(いろんなところに、観測ポイントがあります)

 

(この三角の岩を延長した先に、北斗七星が位置しています)

 

そうとなれば、「あっ!」と思いつくのは「ツキヨミノミヤ」

縄文の末期から弥生の初めにかけての頃の暦を作成する施設のことなら、

『ホツマツタヱ』に記述があります。

ニニキネさんが、遂にアマテルカミに認められ、「ヤシマメグレ」との

号令を受け、更に暦を作成する担当のタチカラヲさんが、ニニキネさんに

どうしても同行したいとのたっての願いで、その後継にと勅命を受けたのが

ムラクモさんでした。

ムラクモさんは、その前にも「コヨミ」を担当しておられたのですが、

2度目のご担当ということで、「アメフタヱ」さんという名を頂きました。

ここの箇所も、かなり感動する場面ですね。

 

 

ホ24-6(4783)

イセキナル トキニアマテル

ミコトノリ ヤシマメクレ

フレタマフ トキフソコスス

ヰモノヒヱ ミソヤキサラキ

ツイタチト ムメノハナミノ

ミアエシテ ヒヨミノミヤ

カトテノリ ムカシヒヨミノ

オモイカネ コヨミツクリテ

ココニアリ ノチムラクモ

ユスリオク ムラクモアメノ

ヲントモニ アスカニハヘル

タチカラヲ ヲヤノアトトテ

ココニアリ ミカリノヲトモ

コウユエニ ムラクモメシテ

ミコトノリ ナンチムラクモ

コヨミナス カガミクモレハ

タマフナハ アメフタヱナリ

フタヱケフ ミアエオナセハ

カトイテニ ミハタノトメノ

ヲンフミオ ミマコニタマヒ

ミカガミオ コヤネニタマヒ

ミツルギオ コモリニタマヒ

ノタマフハ サキニミクサノ

 

 

イセキナル   =(ニニキネさんの)井堰が見事に完成しました!

トキニアマテル =その時に、アマテルカミは、

ミコトノリ   =勅(みことのり)をされて、

ヤシマメクレト =「八洲(=日本中)を巡って、田畑の利水事業を進めなさい!」と、

フレタマフ   =お触れを出されました。

トキフソコスス =時は、29スズ

ヰモノヒヱ   =501枝

ミソヤキサラキ =38年の2月

ツイタチト   =1日で、

ムメノハナミノ =梅の花見の

ミアエシテ   =宴会の頃、

ヒヨミノミヤノ =(暦作成の為の)「日読みの宮」の

カトテノリ   =行事初めの儀式もありました。

ムカシヒヨミノ =(この日読みの宮には)昔は、

オモイカネ   =オモイカネさんが勤めておられて、

コヨミツクリテ =暦を作成する為の仕事をして、

ココニアリ   =ここにおられました。

ノチムラクモニ =その後に、ムラクモさんに

ユスリオク   =この仕事を譲り、勤めてもらっていたのですが、

ムラクモアメノ =ムラクモさんも、(ホノアカリさんの)朝廷が

ヲントモニ   =(できる際に)お供に同行して、

アスカニハヘル =アスカの宮にお仕えしておりました。

タチカラヲ   =それで、その後にタチカラヲさんが、

ヲヤノアトトテ =オモイカネさんの息子さんだったので、

ココニアリ   =その後継として、この日読みの宮にご奉仕していました。

ミカリノヲトモ =(ところがまた今度は、ニニキネさんが発たれますので)農地改良事業のお供にと

コウユエニ   =(タチカラヲさんが、たっての願いと)ご希望を出されたので、それが認められ、

ムラクモメシテ =次の後継者にはまた、ムラクモさんを召されました。

ミコトノリ   =(ムラクモさんへの)勅(みことのり)は、

ナンチムラクモ =「汝、ムラクモよ」

コヨミナス   =「暦を成す立場のあなたは、

カガミクモレハ =鏡を曇らせないように、くれぐれも頼みます」

タマフナハ   =今度の名は、

アメフタヱナリ =「アメフタヱ」と名付けます。

フタヱケフ   =(その様な経緯で)アメフタヱさんが今日は、

ミアエオナセハ =「日読みの宮」の行事初めの宴会を取り仕切ったのですが、

カトイテニ   =(ニニキネさんの)門出にも重なり、この時に

ミハタノトメノ =(アマテルカミは、)『カクノフミ』の最終章の

ヲンフミオ   =奥義書を

ミマコニタマヒ =ニニキネさんに、賜られました。

ミカガミオ   =そして、「カガミ」は、

コヤネニタマヒ =コヤネさんに賜られ、

ミツルギオ   =「ツルギ」は、

コモリニタマヒ =コモリさんに賜られました。

ノタマフハ   =そして、アマテルカミが仰るには、

サキニミクサノ =以前には、三種の

(下につづく・・)

 

このような事で、既に縄文の終わり頃から弥生の初めの頃には、

『ホツマツタヱ』に見る様に、

「ヒヨミノミヤ」は、太陰太陽暦を作成するために、存在していたのですね。

金山巨石群が太陽暦の観測に使われていたとしたら、

そのもっと前の時代の施設になりますね、きっと。

 

そんな事も分かる、『ホツマツタヱ』24アヤの記述なのですが、

とても素晴らしい内容なので、もう少し訳を進めたいと思います。

 

タカラモノ ミコオシヒトニ

タマヒシハ アニミマコヱテ

フトタマト カクヤマハネノ

ヲミトナル コヤネモノヌシ

キヨヒトガ ハネノヲミナリ

キミヲミ ココロヒトツニ

カノトリノ カタチハヤタミ

クヒハキミ カガミハタハネ

ツルギカハ モノノヘハアシ

カガミヲミ ツギホロフレハ

タミハナレ ヒツギフマレス

ツルギヲミ スギホロフレハ

モノヘワレ ヨオウハワルル

ヤタヲミハ ソロハフハルノ

タミワサオ カンガミルメソ

カキヲミハ ヨコマオカラシ

モノノヘノ チカラモルテソ

 

コノユエニ ミクサオワケテ

サツクイハ ナガクヒトツニ

ナルヨシオ アヤニシルシテ

ヲテツカラ フミオミマコニ

サツケマス セオリツヒメハ

ミカガミオ モチテカスガニ

サツケマス ハヤアキツメハ

ミツルギオ モチテコモリニ

サツケマス ミタヒウヤマイ

ミナウクルカナ

シカルノチ ミクサタカラオ

ヒツニイレ シルシハサカキ

サキカリハ タチカラヲナリ

 

 

タカラモノ   =(三種の)タカラモノを

ミコオシヒトニ =御子のヲシヒトさんに

タマヒシハ   =授けましたが、それを

アニミマコヱテ =ヲシヒトさんの子の兄のホノアカリさんが、授かり、

フトタマト   =フトタマと

カクヤマハネノ =カクヤマが、両翼の

ヲミトナル   =臣となりました。

コヤネモノヌシ =(今度は)コヤネとモノヌシ(のクシヒコ)が、

キヨヒトガ   =キヨヒト(=ニニキネさん)の

ハネノヲミナリ =両翼の臣になります。

キミヲミ   =君と臣は、

ココロヒトツニ =心を1つにしなさい。

カノトリノ   =(力を取り締まる)渡り鳥の

カタチハヤタミ =胴体は、国民を意味します。

クヒハキミ   =鳥の首は、やっぱり君です。

カガミハタハネ =鏡の臣は、左の羽で、

ツルギカハ   =剣の臣は、右の羽です。

モノノヘハアシ =物部(=武士)は、鳥の足に相当します。

カガミヲミ   =(ですから、)鏡の臣の

ツギホロフレハ =後継が無くなれば、

タミハナレ   =国民の心がバラバラになって、

ヒツギフマレス =天皇制も維持できなくなります。

ツルギヲミ   =(また、)剣の臣の

スギホロフレハ =後継者が無くなれば、

モノヘワレ   =武士達も分裂して、

ヨオウハワルル =世を奪われて、国がまとまらなくなります。

ヤタヲミハ   =ヤタヲミ(=国民を管轄する臣)は、

ソロハフハルノ =お米や野菜をどんどん成長させ増やすように

タミワサオ   =人々の農業技術を

カンガミルメソ =よく観て教える眼です。

カキヲミハ   =カキヲミ(=武器を持つ臣)は、

ヨコマオカラシ =悪党を退治し、

モノノヘノ   =物部の

チカラモルテソ =力を守って助ける手です。

 

コノユエニ   =このような訳で、

ミクサオワケテ =三種のタカラを分けて

サツクイハ   =授ける意味は、何処にあるかと言いますと、

ナガクヒトツニ =長い間、君とトミが心を一つに

ナルヨシオ   =して国を守る為なのです。その所以を

アヤニシルシテ =「アヤ」(=染め物)に記して、

ヲテツカラ   =アマテルカミが、お手ずから、

フミオミマコニ =その文を孫のニニキネさんに、

サツケマス   =授けました。

セオリツヒメハ =セオリツヒメは、

ミカガミオ   =御鏡を

モチテカスガニ =持って、アマノコヤネさんに

サツケマス   =授けました。

ハヤアキツメハ =ハヤアキツヒメは、

ミツルギオ   =御剣を

モチテコモリニ =持って、コモリさんに

サツケマス   =授けました。

ミタヒウヤマイ =三度敬って礼拝し、

ミナウクルカナ =皆が授かりました。

シカルノチ   =その他の儀式も済ませて、

ミクサタカラオ =三種のタカラを

ヒツニイレ   =櫃(大型の箱)に入れて、(行列をなして門出をしました)

シルシハサカキ =三種のタカラの印は、榊です。

サキカリハ   =先頭を行くのは、

タチカラヲナリ =タチカラヲでした。

 

 

ここの箇所は、大変に重要な場面だと思いましたので少し長めでしたが、

記載させていただきました。何と、この箇所は、

後の30アヤ「アマキミミヤコトリノアヤ」でも

タケヒトさん(神武天皇)の日嗣の儀式の時に、

「ミヤコトリ」のウタとして、ヒツギノトミによって詠まれました。

この内容を考えてみますに、

今の時代で対応する言葉は、「三権分立」ということでしょうか。

既に、アマテルカミがお考えだったと思うと、

何と進んだ国家がこの時代に出来ていたことか、と思わずにはいられません。

 

さて、天文観測に関しての話として、

ムラクモさんが、二度目の「コヨミ」の司に任命されてアメフタヱさん

になった話をしていたのでした。

話がズレてしまいましたが、最後に前回のヲシテ講習会では、

伊勢の神宮に「ツキヨミノミヤ」が2つあるという話がありました。

私もこの事は不思議に思っていたのですが、納得がいきました。

 

「ツキヨミノミヤ」には、漢字が二種類使ってあって

内宮の別宮の方は「月讀宮」と、外宮の別宮の方は「月夜見宮」

という名前になっています。

 

それで、どちらがどうというお話ですが、

内宮さんの別宮の「月讀宮」のほうは、アマテルカミの弟さんの「ツキヨミ」さんだと思います。

荒御魂が並んで祀られている事からも、お妃さんがおられたと思われます。

また、ご両親のイサナギさん、イサナミさんも祀られている事からも

お子さんのカミだということが、連想できます。

 

そして、外宮さんの別宮の「月夜見宮」の方は、夜見という文字が入っているところから

夜の月や星の観測がされていた事が連想できます。

また、荒御魂が祀られていないところからも、きっと「コヨミノミヤ」だったような気がします。

こんな説明もありました。

「月夜見宮は、繁華街のある伊勢市の中心に鎮座しますが、古くは高河原

(たかがわら)と呼ばれ川の流れと農耕に深いつながりのあるお社です。」

やっぱり、農耕のための天文観測のお社だったような説明ですね。

 

 

以上、今日は縄文時代の天文観測ということから、

「ミヤコトリ」(→三権分立)の話まで、お話が長くなりましたが、

超近代的な縄文時代のヤマトの国の大文明のお話でした。

 

YouTubeを見ていたら、芸人の中田敦彦という人が、原始時代から平安時代までの

日本史の話をしていましたが、日本には漢字が伝わるまで文字がなかった、

もっぱら狩猟生活をしていて、大陸と比べて段違いに遅れていたと大声で主張していましたが、

「あかん!あかん!」芸人に歴史を教えてもらって、

安易に信じている世の中ではダメだと思いました。

 

元気に大声でしゃべっていると、低レベルの知識でも真実と思われてしまうので怖いですね。

でも、少し考えてみれば、それならどうして大陸からの文明が簡単に受け入れられて、

短期間のその上に行けるのか?それを考えてみれば、

日本にも文字くらいあったということに、気がつきそうなものですけどね。

 

 

『フトマニ』の占い方について:数字から「ウタ」の決め方

  • 2019.08.28 Wednesday
  • 22:47

 

今日のテーマは、『フトマニ』の占い方についてです。

 

占い方と言っても、具体的にどの様に数字を出すかと言うことではなくて、

数字から、どのように128首の「ウタ」を選ぶかという、読み方についてです。

占い方は、カユウラ(粥占い)とか、カメウラ(亀占い)があると思いますが、

これについては、今回は考えません。

『フトマニ』の占いで、出た数字をどう読むか?ということを考えてみたいと思います。

ということなのですが、

その数字の出方と、その数字でどの「ウタ」を選んだか?ということが分かる記述が

『ホツマツタヱ』に、3例しかありません。

 

(「フトマニ」で検索すると、全部で10例ありますが、

ほとんどが、選んだ「ウタ」の結果しか出ていません。

その方が良心的ではあると思いますが、

どの様に、出た数字から選ぶか?は、分かりにくいですね。)

以下は、「フトマニ」について用例の箇所です。

 

ホ3-9(393)           フトマニオ アチハエイハク

ホ10-1(1733)       フトマニノ シチリハヤモリ

ホ20-22(3914)     ウラトエハ マウラフトマニ

ホ21-3(3979)       フトマニニ ミヤツクリノリ

ホ21-34(4101)     ヒトモシル フトマニミレハ

ホ21-52(4174)     フトマニノ アコケハシワサ

ホ27-44(5866 )    ナアテナシ コヤネフトマニ

ホ28-90(7436)     ムナサハギ フトマニミレハ

ホ33-26(8713)     ヨソカミオ トエハフトマニ

ホ38-41(9756)     フトマニミ ヤタオネギノニ

 

※赤い文字が、今回取り上げる数字の出ている用例です。

 

そこで、貴重な3例から、考えてみるということになります。

順に考えて行きたいと思いますが、その前に、

『フトマニ』の128の構成は、次の様になっています。

 

 

[アナレカミ]

 

ア(1)・イ(2)・フ(3)・ヘ(4)・モ(5)・ヲ(6)・ス(7)・シ(8)

 

[ミソフカミ]

ーーーー

・ヤマ(1)1 奇数

・ハラ   2 偶数

ーーーー

・キニ(2)3

・チリ   4

ーーーー

・ヌウ(3)5

・ムク   6

ーーーー

・エテ(4)7

・ネセ   8

ーーーー

・コケ(5)9

・オレ   10

ーーーー

・ヨロ(6)11奇数

・ソノ   12偶数

ーーーー

・ユン(7)13

・ツル   14

ーーーー

・ヰサ(8)15

・ナワ   16

ーーーー

 

上の様に、「アナレカミ」8つと、「ミソフカミ」16の組み合わせで、

全部で8x16=128になります。

この中の「ウタ」が、出た数字によって、どのように選ばれるか?ですね。

「アナレカミ」の方は単純ですが、「ミソフカミ」の方は、16までありますので、

2つずつ1組にして、8つを奇数と偶数に分けるか、そのまま通し番号で選ぶかになると

予想してみました。

 

 

1つめの例:3アヤ「トツギ」の箇所

 

ホ3-9(393)

フトマニオ アチハエイハク

ヰヨノウタ コトオムスハス

コトアケモ メハサキタテス

トツキトハ メノニハナフリ

ヲユレナク ヲトリナキサル

マタアルヒ ヲトリヨソオフ

メガシリテ アヒマシハレハ

アメヨリソ トリニツケシム

トツキノリ サラニカエリテ

 

フトマニオ   =『フトマニ』を行い、

アチハエイハク =どこが間違っていたかを仰いました。

ヰヨノウタ   =「5−4」のウタは、

コトオムスハス =事を結びません。

コトアケモ   =言挙げするにも、

メハサキタテス =女性を先に立ててはいけません。

トツキトハ   =「トツギ」というのは、(鳥に習うと)

メノニハナフリ =雌鳥の声かけを最初にしても、

ヲユレナク   =雄鳥の尾は揺れなくて、

ヲトリナキサル =雄鳥は、鳴き去りました。

マタアルヒ   =また、ある日には、

ヲトリヨソオフ =雄鳥が、気にしてポーズを取っているのを

メガシリテ   =雌鳥が知って、

アヒマシハレハ =お互いに上手く交わる事ができました。

アメヨリソ   =これが天の法則なのです。

トリニツケシム =鳥に「告げ」の仕方を知って見習うのが、

トツキノリ   =「トツキノリ」(良いトツキの方法)です。

 

この記述では、「ヰヨノウタ」と言っていますので、5−4ですね。

「モ」で、次のは上から順の「チリ」になります。

「モ・チリ」のウタの内容を見てみたいと思います。

※「フトマニ」の訳については、今回は内容が対応しているかどうかを

見るためだけの簡易的なものにしました。

 

5ー4の「ウタ」

 

フ-44-モチリ(12292)

モチリ

モチリナル ハナハヨツギノ

タネマテト ワサモウスクテ

モメヤチルラン

 

モチリ

モチリナル   =「モ」(=子供の齎し)が散る事になります。

ハナハヨツギノ =最初は、世継ぎの

タネマテト   =子種を待ちなさい。

ワサモウスクテ =その行い方も未熟で、

モメヤチルラン =「モ」(=子供の齎し)の芽も散ってしまいます。

 

この様に、内容的にも対応していると思われますので、

数字の読み方は、「ヰヨ」=「5−4」で考えても良いと思いました。

 

 

2つ目の例:27アヤ「ヤセヒメ」が選ばれた箇所

 

ホ27-44(5866)

ナアテナシ コヤネフトマニ

ウラナエハ ヤセヒメヨケン

ヤヒノヰハ ナカノヤトナル

シノハラハ ハハトハラメル

ヤノツホネ ウチメハナカノ

クライナリ トシモワカハノ

ヤセヒメオ ソヒノキサキモ

ミナイハフ オシクモキヨメ

 

ナアテナシ   =(どの姫に子種を祈るのか?)名宛がありません。

コヤネフトマニ =コヤネさんが、『フトマニ』で、

ウラナエハ   =占いますと、

ヤセヒメヨケン =ヤセヒメが良いでしょうと、出ました。

ヤヒノヰハ   =「ヤヒノヰ」(=「8−1・5」又は、メが宮にること)は、

ナカノヤトナル =「中継ぎの祖となる」、又は「お腹に宿る」という事も意味します。

シノハラハ   =『フトマニ』の「シ・ハラ」(=妊娠して大きくなったお腹の意)は、

ハハトハラメル =母になって、孕める

ヤノツホネ   =家のツボネです。

ウチメハナカノ =「ウチメ」は、まん中の

クライナリ   =位です。

トシモワカハノ =歳もまだお若い、

ヤセヒメオ   =ヤセヒメを

ソヒノキサキモ =12人のお妃さんも、

ミナイハフ   =皆、祝いました。

 

占いで「ヤセヒメ」が良いでしょうとされたのは、「ヤヒノヰ」が出たからで、

「ヤの言葉の意味が、「=メがる事」と言う意味合いになること

からだと思います。

「フトマニ」の選び方は、この場合は数字が3つあって、

」=(の最初のは「シ」で、次はなのですけれど、

」は2つずつのグループの()番、次のは、前の数字に足して

奇数か偶数かを決める為に使われると考えました。

そうしますと、1+5=6(偶数)になりますので、

「ヤヒノヰ」=(8ー(1)偶数)=「シ・ハラ」ということになります。

実際に、文中にも「シハラ」が選ばれています。

このウタも、意味の対応を確認する為に、大まかに訳してみたいと思います。

 

8−1・5の「ウタ」

 

フ-69-シハラ(12522)

シハラ

シノハラハ カミノフシミノ

タマクシオ アミノメクミノ

ミヤコタツナリ

 

シハラ     

シノハラハ   =「シノハラ」(=妊娠して大きくなったお腹)という言葉は、

カミノフシミノ =御先祖の胤が途絶えなくて、見えない

タマクシオ   =「タマクシ」で、繋いで下さる事を意味しています。

アミノメクミノ =「天」の齎しの恵みで、

ミヤコタツナリ =(お腹に継ぎ子もできて)都もまた栄えるでしょう。

 

この様に、文中の意味と「ウタ」の意味も対応しますので、

「ヤヒノヰ」=「8ー()・(=6:偶数)」=「シ・ハラ」

と考えても良さそうです。

 

 

3つ目の例:28アヤ「サルタヒコ」が、コヤネさんのカミ上がりを知る箇所

 

ホ28-90(7436)

ムナサハギ フトマニミレハ

ヰムノミハ カカミヱヱナル

ナカヒトリ ウレヒアリトテ

コレマツリ ウケヌウレイト

オトロキテ ウチニイタレハ

ミカサヤマ ナオハセノホル

カスガトノ ハヤカリオサメ

モナカユエ トモニモニイリ

ミコシナシ アスヒラオカニ

 

ムナサハギ   =胸騒ぎがしましたので、

フトマニミレハ =『フトマニ』で占ってみますと、

ヰムノミハ   =「5−6・3」(忌むの身)というのは、

カカミヱヱナル =カガミが輝くように、順調に行っている

ナカヒトリ   =その中に一人

ウレヒアリトテ =憂いがある、と出ました。

コレマツリ   =そこで、心を磨く為にお祭りをしましたが、

ウケヌウレイト =憂いがあることが、どうも分からなかったので、

オトロキテ   =(「もしや!コヤネさんが・・」と)驚いて、

ウチニイタレハ =「ウヂ」に行きました。そうしましたら、

ミカサヤマ   =既に、ミカサヤマに行かれましたと言われ、

ナオハセノホル =尚、馳せ登って、

カスガトノ   =カスガの殿に行き至りました。

ハヤカリオサメ =やはり、コヤネさんは、既にカミ上がられ仮納めの時でした。

モナカユエ   =喪中でしたので、

トモニモニイリ =供に喪に入って、

ミコシナシ   =葬送の神輿の準備をさせて貰い、

アスヒラオカニ =翌日は、既に枚岡に向かうところでした。

 

この場合は、「ヰムノミ」が出たのですが、「フトマニ」で何が選ばれたのか?

書いてありません。

27アヤの例によりますと、「ヰムノミ」=「5−6・3」で、

「5」「モ」「6・3」は6+3=9:奇数なので「ヨロ」

「ヰムノミ」=「5−6・3」=「モ・ヨロ」と言うことになります。

これもまた、文意と「フトマニ」との対応を見る為に、

大まかに訳してみたいと思います。

 

5ー6・3の「ウタ」

 

フ-48-モヨロ(12327)

モヨロ

モモヨロハ カガミノヲミニ

オコレトモ ヒトリモレナハ

ココロミガケヨ

 

モヨロ     

モモヨロハ   =世の中の事ごとは、何が起きるか分からないものです。

カガミノヲミニ =「カガミノヲミ」である、コヤネさんの時もそうでした。

オコレトモ   =悪い事も起きますが、また反対に、良い事も起きるものです。

ヒトリモレナハ =一人だけ、漏れて不遇な時がありますなら、

ココロミガケヨ =その時は、自分の心を磨くチャンスです。

 

このように、内容的な一致も見られますし、文中の「ナカヒトリ ウレヒアリ」という言葉と

フトマニの「ヒトリモレナハ」と言う言葉の対応、

また、「カガミヱヱナル」と言う言葉と、「カガミノヲミニ」という言葉の対応も

ありますので、この数字からの選び方で良さそうに思います。

 

以上、今日は占いの数字から、「フトマニ」のウタの選び方を考えてみました。

結論としては、この3例からは、

・1つ目の数字は「アナレカミ」の8つの文字を選ぶ数字

・2つ目の数字は「ミソフカミ」の8組の文字列を選ぶ数字

・3つ目の数字は「ミソフカミ」の奇数列か偶数列かを選ぶ数字

と、考えても良さそうに思いました。

 

また、ご意見などございましたら、コメントをよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

「サ」について考える:キツヲサネは「やじろべえ」

  • 2019.08.26 Monday
  • 19:13

 

今日のテーマは「サ」「キツヲサネ」(=東西中央南北)の「サ」についてです。

「サ」という文字は、「栄」(さかえ)「幸」(さち)の「サ」でもありますし、

ヲシテの「サ」も南(みなみ)の意味を示していますので、良いことや良い季節、

良い方向などを意味していると思います。

 

「サ」の意味は、そうなのですけれど、何故「サ」にそのような意味があるのか?

重要な文字だけに、以前から考えていました。

それで、今日は一つ気が付いたことがありましたので、ブログに書かせて頂こうと

思いました。

 

それは、やはり「サ」の意味は、東西南北の「キツヲサネ」で考えると、

良く分かるのではないかと気がついたのです。

絵にして考えると面白いのですが、「サ」という文字は、天秤棒を担いだ様な形に

なっていますね。ヲシテ文字の「サ」の文字の天秤棒を長くしますと、ナント!

「ヤジロベエ」の様になるではありませんか!(´⊙ω⊙`)

 

 

(「キツヲサネ」のヤジロベエの図:

「サ」が真ん中で、「キ」「タ」(多)対「ツ」「カ」(寡)のバランスをとります)

 

 

「サ」とは、「タ」「カ」の間にあって、「タ」と「カ」を天秤棒で秤に掛ける、

采配(さいはい)する、差配(さはい)する。その様な位置付けになっていますね。

つまり、「タ」(=多い)なのか、「カ」(=少ない)なのか?

「タス」(=助ける)なのか、「カル」(=狩る・枯る)なのか?

その中間に立ち、判断する立場にある文字だと言うことです。

 

そのような意味で、「サ」とは、中央政府で祭りを執る言葉に使われているように思います。

「サ・キリ」(=朝廷での祭りを去ること・譲位)という言葉の「サ」も、

「サ・ヲシカ」(=天皇の勅遣)の「サ」も、やっぱり、

ヤジロベエのように、左右のバランスをとって、判断をする朝廷を意味しているようです。

それにしても、文字の意味が形になっていると思うと、面白いですね。o(^▽^)o

 

 

今回、「サ」の文字が気になったのは、もう一つ理由がありました。

「サク」という言葉が、どんな意味なのか?

この言葉の意味が気になったからです。

「サク」と言えば、普通は「桜が、咲く」と言う様に、良いものがパッと出る!という

意味を示していると思います。

 

ところがですね、反対の意味を示している様な用例があります。

28アヤの前半には、「サク・スス」(=「スズ」の木が枯れる・無くなる)

という言葉もありました。

また、来月の「ヲシテ講習会」の予定の、28アヤ後半にもあります。

サルタヒコさんが溺れるシーン、粒立つ泡の「サク・トコニ」という記述です。

 

 

ホ28-99(7471)

ナカレナリ サルタアサカニ

スナトリノ ヒラコニカマレ

オホルルオ キミウスメシテ

ソコトクニ ツフタツアハノ

サクトコニ ヒキアケサシム

ワラニタス ハビラオヌキテ

ナマコナス サキニカクヤマ

 

 

泡の「サク」所という、この時の「サ・ク」とはどう言う意味か?

泡が「咲く」のなら、泡が沢山発生するところだし、

泡が「割く」のなら、泡が無くなっているところだし、

 

つまり、「サ」とは、どっちなのか?という疑問が発生します。

それで考えていたわけですけれど、

答えは、このヤジロベエの「サ」にあるのではないか?と、考えてみました。

 

サ」とは、「タ」「カ」かを判定して、

バランスをとって中立にしてくれる存在。だとしたら、

「タ」が勝っている場合は「カ」に、

「カ」が勝っている場合は「タ」に、

つまり、多かったら減らし、少なかったら増やすという

ように働く文字が、「サ」なのではないか?と言うことです。

 

ですから、

春に桜が「サク」(=咲く)のは、冬にはなかったので、増やす方向へ、

泡の「サク」(=割く)ところは、泡立っているばかりだから、減らす方向へ、

という事になるのではないでしょうか。

同じ「サク」でも、その前の状況によって増やす減らすが、違うのですね。

 

サルタヒコさんが、溺れて助けられた場合の「アワノ・サクトコ」という記述の場合は、

「泡がいっぱいだったのが、無くなる場所」ところという意味になりますね。

 

 

序でに、サルタヒコさんがヒラコにかまれて溺れるところの記述は、とても面白くて

難解で、以前からどのように解釈して良いのか気になっていましたので、

この際に、自分なりに解釈して訳してみました。

 

 

サルタアサカニ =サルタヒコは、アサカ(=現在の三重県松阪市大阿坂町)で

スナトリノ   =「スナトリ」(=浅瀬の漁)の祭りをしていた際に、

ヒラコニカマレ =「ヒラコ」(魚の「エイ」か?)に刺されて、

オホルルオ   =溺れていたのを

キミウスメシテ =君がウスメに、

ソコトクニ   =底に潜って救助させ、

ツフタツアハノ =(波が荒かったので)粒立つ泡の

サクトコニ   =「サク」(=無い・凪いだ)ところに、

ヒキアケサシム =引き上げさせて、

ワラニタス   =藁の上に助け(治療)ました。

ハビラオヌキテ =(脚に刺さった)「ヒラコ」の棘(とげ)を抜いて、

ナマコナス   =ナマコの様にぐったりと寝かせました。

       (もしくは、ナマコを焼いて温め、患部に当てて治療しました、か?)

 

 

(エイは平べったくて、刺す魚です)

 

(エイは自分では積極的に刺しませんが、踏まれたり荒れた海で人に当たったら刺しますね!)

 

(「ナマコ」を45度に温める湯たんぽとして使ったと考えてはどうでしょう?)

※毒の部分を温めると、毒が分解されるそうです

 

 

意訳:

 

サルタヒコが、(伊勢の国の)「アサカ」で、「スナトリ」(=浅瀬の漁)の

祭りをしているときに、潜ってサザエなどを採っていましたら、

この日は波が荒かったので、波に揉まれて泳いできた「ひらこ」(エイか?)に刺されて、

溺れました。それに気づかれた君(アマテルカミ)が、

同じく「スナトリ」の祭りで、サザエ採りをしていたウスメに、

指示を出し、底に潜って救助させました。

サルタヒコを波のかからない安全な岸に引き上げて、藁の上に寝かせ、傷の治療をしました。

脚に刺さったエイの棘を抜いたあと、ナマコを温めて傷口に当てて治療をしました。

 

 

※「ヒラコ」については、色々考えましたが一番妥当だと思われる魚は、

「ヒラ」という言葉から平べったい魚、そして刺すと言うことから、

「エイ」ではないか?と考えてみました。

調べてみますと、海で遊んでいる時などに、エイに刺されることはよくある事ですし、

先ずは、トゲを抜かないといけないのも同じです。

患部は45度に温めるのが、解毒の意味で大切だということです。

「ナマコなす」というのは、ナマコのようにぐったりと寝かせるというよりも、

ナマコを焼いて、湯たんぽの様にして患部を温め、解毒の治療したのではないか?

と推測してみました。

 

※もう一つ、「藁(わら)」の上に助けた(治療した)という事も面白いですね。

アマテルカミの対策や治療法は、いつも「ワラヒナワ」や「ワラ」など、

どこにでもある、粗末なものの中にありますね。「わら」が「笑ひ」に通じている事も

面白いですね。太陽の分霊(わけみたま)のカミだからでしょうか。(^O^)

 

 

以上、今日は「サ」の文字の意味と、サルタヒコさんの溺れるシーンについて考えてみました。

この件については中々興味深い箇所でもありますので、皆様も色々な考えがあると思います。

何が良いお考えがありましたら、是非コメントして頂きたいと思います。(*^_^*)

 

 

 

「アマテルカミ」のカミの世からヒトの世へのメッセージは如何に!!

  • 2019.08.23 Friday
  • 17:17

 

今日のテーマは、28アヤのアマテルカミの辞世の詩とも言える、

「ヨニノコスウタ」についてです。

 

(天橋立の一文字観です:ここが本当の股のぞき発祥の地)

 

その前に、この時の状況を考えてみますと、

アマテルカミが、トヨケノリにて薨去されるにあたって、

その存在がいかに大きかったかが、この後の事態でも実感されるように思います。

アマテルカミは、ご自分の後の四代に亘っても、ずっと

政(まつりごと)を支えられて来たんですね。びっくりです。

・お子さんの、オシホミミさんの時代

・お孫さんの、ホノアカリさんと、ニニキネさんの時代

・曽孫さんの、ホオデミさんの時代、

・玄孫さんの、ウガヤフキアアセズさんの時代、

この永きに亘って、災害があったり、時にハタレが出てきたりはしましたが、

アマテルカミのお陰で、大いなる安心感があったことと思います。

 

(こちらが、比沼麻奈為神社(ひぬまないじんじゃ):

トヨケカミアマテルカミが、トヨケノリにてこの上の山に入られています)

 

(2018年4月13日の山道の様子は、台風の倒木で至る所、このような状況でした。)

 

久次嶽(真名井岳)を上がっていくと、この「応石(おおみあえ石)」に

行き当たります。ここで、お祈りを捧げて帰ります。実際の洞穴はこの先です)

 

 

それで、いよいよマサカキが、植えることもなく自然に生えてきて、

アマテルカミもトヨケノリにて、カミ上がられると世の中も激変です。

まずは、その次のマサカキがない!探しても探してもない!

次の時代の暦(こよみ)はどうするか?!

この時の議論が、イヨのヤヱコトシロの館(やかた)で行われるのですね。

 

このときは、まだアマノコヤネさんがご存命だったので、

最終的には、コヤネさんが、「アスス」と命名されて、

天の暦をそのまま、数えるということになったのですが、

この決定に至るにも、ナント!

このヤヱコトシロの館のヒメが、アマテルカミの御霊(みたま)に

掛かられて、コヤネさんに「あなたが決めなさい!」と、

お言葉を発せられ、「アスス」と聞いたら頷かれたので、

やっと、コヤネさんも新時代の計数法をお決めになられました。

どこまでも、アマテルカミのご判断を頼りにマツリが、行われてきたのですね。

 

さて、アマテルカミの次に頼りになったコヤネさんもカミ上がられて、

玄孫のウガヤフキアワセズさんも、とてもお偉い方で

「ミヲヤアマキミ」とまで言われましたが、

やはりトヨケノリで、ミヤサキヤマに入られカミ上がられます。

その時に、後継になるタケヒトさんはおられたものの、

まだお若いために、正式な日嗣をしないままでした。

 

そうしますと、二朝廷並立時代だっただけに、いよいよ世の中が乱れてきます。

ニギヤハヒの部下のナガスネヒコが、

先ずは、ニギヤハヒにも世継ぎがなかったために、

ミカサの倉に置かれていたヨツギフミを盗写しました。

それだけに留まらず、ナガスネが軍勢をあげるので、

いよいよ世は不穏になってきました。

 

このような流れで、アマテルカミがおられなくなったことを境に

マサカキもなくなり、世の継ぎ目となりました。

これからどのように、大きな時代の変革期を迎えたら良いのか?

誰もが不安になることと思います。

そのための「ノコシノリ」(後の世への伝言)をして下さいました。

 

ですから、この「ノコスウタ」は、大変に重要なメッセージだと思うのですね。

それに、今の時勢とも特によく符合していると思います。

そこで、今回はこのアマテルカミの「ヨニノコスウタ」「カエシノトウタ」について、

大変奥が深くて難しいのですけれど、

敢えて、よく考えてみることにしました。

 

 

ホ28-37(7222)

オホユレハ ヨニノコスウタ

ツネニキク サヲシカヤタノ

ワガカムリ ハトミモタミニ

ヲオトトケ アハオツカネテ

38

ヒツギナス モスソオクメト

キミタミノ ヲシヱノコシテ

アニカエル トテナイタメソ

ワガミタマ ヒトハアノモノ

39

ウエニアル ワレハカンムリ

ヒトクサハ ミミチカキ

ムネキヨク ミハアカツケト

サシガミテ アメニツクレハ

40

サヲシカノ ヤツノキコエニ

アラハレテ イノレモカモト

ミモスソノ タミオナテツツ

サヲシカノ キヨキニカミハ

41

アリトコタエキ

 

 

ヨニノコスウタ =世に遺す詩

ツネニキク   =常に(世の在り様を)聞くために作ったのが、

サヲシカヤタノ =「サヲシカ」(=勅任官)の「ヤタ」(=民達の為)の

ワガカムリ   =私(=アマテルカミ)が考案した「カムリ」(=冠)です。

ハトミモタミニ =両翼のトミ(=左のトミ、右のトミ)も民に、

ヲオトトケ   =「ヲ」(=私との繋がりの教え)を実践してくれています。

オツカネテ =「ア」(=天の祭り)と「ハ」(=地上の治政)の両方を司って、

 

ヒツギナス   =私は後の世に、日嗣をして行きます。

モスソオクメト =もう最後で、私はこれ以上、政も執れませんけれど、

キミタミノ   =君から、民への

ヲシヱノコシテ =(最後の)教えを遺して、

アニカエル   =「ア」(=アモト:天)へ還って行きます。

トテナイタメソ =そのような事ですので、心を傷めることはありません。

ワガミタマ   =私の御霊もそうですが、

ヒトハアノモノ =人の霊は、元々「ア」(=アモト:天)のものです。

         (※又は、人は目に見えない霊的な部分が)

 

ウエニアル   =頭上に(上の世界に)あります。

ワレハカンムリ =私は、その象徴としての冠(かんむり)だと、考えて下さい。

ヒトクサハ   =人々(民)は、

ミミチカキヲソ =(冠の教えを聞く)耳です。ですから、「ヲ」(=私の教え)の近くにいます。

ムネキヨク   =心根をどんな時にも、清く保って下さい。(※「ムネ」教えは「キヨイ」届きやすい)

ミハアカツケト =(理不尽なことがあって)自分の身には、「アカ」(=害を)被ることはありましょうけれど。

サシガミテ   =(そんなときは、)状況を見るために人を遣って、(※罪の状況を判断して)

アメニツクレハ =朝廷に報告するようになっています。

 

サヲシカノ   =(最終的には)「サヲシカ」への

ヤツノキコエニ =多方面からの、良からぬ報告に

アラハレテ   =悪事も露見して、(処罰されることになります。)

イノレモカモト =ですから、祈りなさい、最後まで諦めないで。

ミモスソノ   =私の最期を迎える時にも、縋(すが)ってくる、

タミオナテツツ =多くの民達を励ましつつ、(私は言っておきます。)

サヲシカノ   =(私が勅命した)「サヲシカ」の

キヨキニカミハ =清くて喜ばしい行いに、御先祖の守りは、

 

アリトコタエキ =必ずあるから、大丈夫だと!

 

意訳:

 

世に遺す詩

 

私が勅任官の「サヲシカ」に特別な「ヤタの冠」を作ったのは、

国民のために、常に世の実情を聴き知る為です。

左のトミ(左大臣)、右のトミ(右大臣)がいるのも、もあなたがた国民に、

私の教えを伝え、実践して行く為です。

このように、私と国民は常に繋がっているのです。

私は「天」の祭りも「地上」の政治の事も、両方のことを司り、

後の世に日嗣をして行きます。

私はもうこれ以上は、政治を執ることは出来ませんけれど、

君である私から、あなたがた国民へ最後の教えを遺して、「アモト」へ還って行きます。

その様なことですので、心を傷めないで下さい。

私の御霊もそうですが、人の霊は元々「アモト」に居たものです。

そして、人の頭の上には、常にその霊が見守っています。

私のことを、あなた方国民を見守る、頭の上の(かんむり)だと考えて下さい。

あなたがた国民は、冠である私の教えを聞くです。

ですから、私の教えに心を近くして、よく聞いて、自らの身を見直して下さい。

どうぞ心根を、清く明るく保って下さい。

自分が悪いことをしていなくても、被害を被ることがあるかも知れません。

でも、そんな時のために、ヨコヘ・ツウジなどの偵察・検察官がいて、

朝廷へと報告する仕組みがあります。

最終的には、「サヲシカ」にあらゆる方面からの悪事が報告され、

事が露見して処罰されることになります。

ですから、辛い目に遭ったとしても、最後まで諦めないで、祈って下さい。

私の最期の時にも、縋ってくる多くの国民を励ましつつ、私は言っておきます。

私が勅命した「サヲシカ」をどうぞ、信じて下さい。

「サヲシカ」の清廉で善き判断に、御先祖の守りは必ずあるから、大丈夫です。

 

 

ホ28-41(7239)

カエシ ノトウタ

ヒトツネニ カミニムカハハ

ヨノミミノ アカハアモトノ

41

サヲシカニ キヨメタマヒテ

サコクシノ フユノカカミニ

イルトオモヱハ

 

 

カエシノトウタ =[反歌] ノト詩

ヒトツネニ   =人は常に、

カミニムカハハ =御先祖の御霊に、心を寄せていさえすれば、

ヨノミミノ   =世の中の「ミミ」(=耳に聞こえる実態・ありさま)の、

アカハアモトノ =「アカ」(=良からぬ事々)は、「アモト」(=天の世界)にいる

 

サヲシカニ   =「サヲシカ」(=星になられた御先祖のカミのこと)に、

キヨメタマヒテ =清めて、気を善くして頂けます。

サコクシノ   =(この私も、これからは)「サコクシ」(=天に祈りを届ける、サコクシロ)の

フユノカカミニ =「フユ」(=天に届ける役割)の、鏡の中に

イルトオモヱハ =居て、(あなたがた民の)意を届けていると思って下さい。

 

意訳:

 

[反歌] ノト詩

 

人は常に、御先祖の御霊や教えに、心を寄せていれば、

世の中の実態の、良からぬ事ごとは、

「アモト」(天界)に居られる「サヲシカ」である、

天皇家の御先祖のカミガミが、清めて気を善くして下さいます。

あなたがたの心は、「サコクシロ」の「フユのカガミ」が

必ず天上界に届けてくれます。

これからは、この私もその「カガミ」の中に居ると思って、

常にカミに心を寄せ、自分の心を振り返ってください。

 

 

この「ノトウタ」で、アマノコヤネさんは、

「サコクシロ」「アマテルカミノウチツミヤ」と改められたとも思えます。

宮の造り替えと言うよりも、名前を変えて新たに「カガミ」

アマテルカミの象徴とされたのではないでしょうか。

現代に「サコクシロ」という名前が残っていなくて、

「内宮」(ないくう=ウチツミヤ)という名前になっているのは、

その理由からかも知れないですね。

 

そこのところの記述が、次のように続きます。

 

ホ28-51(7278)

ミモスソノ サコクシロウヂ

アラタメテ アマテルカミノ

ウチツミヤ ヤモツガフカミ

ハンヘリテ ヒモロケササケ

アニコトフ ヰセノミチウク

カントミノ ツガフカミラガ

ハヘルユエ ウチハヘトコロ

カスガカミ フトノトコト

ツカサトルカナ

 

ミモスソノ   =アマテルカミが最期におられた、

サコクシロウヂ =「サコクシロ・ウヂ」

アラタメテ   =造り直して改名し、

アマテルカミノ =「アマテルカミノ

ウチツミヤ   =・ウチツミヤ」という名前にしました。

ヤモツガフカミ =沢山の夫婦のカミが、

ハンヘリテ   =お仕えして、

ヒモロケササケ =ヒモロケのお供え物を捧げ、

アニコトフ   =天に心を届けます。

ヰセノミチウク =夫婦の道を授けて貰うために、

カントミノ   =「カントミ」(カミの道を伝えるトミ)の

ツガフカミラガ =夫婦のカミ達が、大勢

ハヘルユエ   =仕えているので、

ウチハヘトコロ =内の集会所にて、

カスガカミ   =アマノコヤネさんは、

フトノトコトオ =「ト」の教えに則った「ヰセノミチ」の大講義を

ツカサトルカナ =ご教授されました。

 

「ツカフ」ではなく、「ツガフ」になっていますので、

「番ふ」(=夫婦)の意味に取りました。

 

この記述から見ると、アマテルカミのお亡くなりになった後にも、

夫婦の道を教わりに、沢山のカミが夫婦で伊勢の内宮さんに来ていたようですね。

そこで、アマノコヤネさんが、まだお元気なうちは、

「イセノミチ」の大講義をされたという訳ですね。

今でいえば、学長先生の大講義のようなものだと思います。

 

 

また、「サヲシカ」の冠とハモ(衣と裳)についての記述もありました。

 

ホ28-48(7268)

サヲシカノ カムリハモ

ココチリソ 

 

サヲシカノ   =「サヲシカ」の

カムリトハモハ =冠(かんむり)と衣(上着)と裳(スカートの様な下履き)は、

ココチリソ   =「ココチリ」(菊の綾模様)の布を用いなさい。

 

 

「サヲシカ」の冠と衣(上着)と裳(下履き)は、ココチリです、ということで

「ココチリ」は、天皇の象徴で「サヲシカ」は、天皇の御名代であることを

分かりやすく示すために、用いられた様に思いました。

「サヲシカヤツノ カンムリ」は、菊の柄の「ココチリ」だった訳ですね。

 

 

以上、アマテルカミは、永きに亘って祭りを支えてこられましたが、

人々が安全に暮らせる様に、政治の仕組みづくりを精緻に編み上げられ、

その上、幸せに暮らせる家庭づくりの為の教育に関しては、

晩年には特に、全身全霊で打ち込まれた事が分かります。

 

後の世に伝えるメッセージとしては、

もう既に数多の教えをされてこられましたので、

これ以上のことは、本当はなかったと思います。

それでも、最期に一言二言を言うならば、

先ずは私が作った政治のシステムと、勅命の「サヲシカ」を信じなさいと言うこと。

そして先祖のカミに祈り、清く明るく生きなさいという事だったと思います。

また、私に会いたければ、「サコクシ」の「フユのカガミ」を思い出しなさい

言われた様に思いました。

 

「サコクシノ フユノカガミ」とは、アマテルカミが大切にされていた

日々の御先祖祭りの鏡のことで、「タカマナルアヤ」でも記述されている様に

天と地の関係は、鏡映しになっていますので、その象徴としての鏡のことだと思います。

「カガミ」ではなく、「カカミ」となっている写本もありますので、

この場合は、「カカミ」の方が相応しいような気もします。

 

「フユノカカミ」の説明図:地上の人々の願いや祭りを天上界へ映し届ける

ものと考えてみました。)「ヤタノカガミ」は、自分の中の「カ」と「ガ」を

映して判断するものなので、用途が違ってくると思います。

 

 

「タカマ」(=天上界)では、天に還られた御先祖の天皇さんが、

チームとなって国を守ってくださっているのですけれど、

アマテルカミは、地上での民の心を天上界に届ける役割をしたいと、

その想いから、「フユ」(=天に振れ行く)の鏡の中で

「イル」(=祈りを届けている)と思って下さい、

と言っておられるように思いました。

どこまでも国民のことを思いやってのアマテルカミのメッセージでしたね。

 

以上、今回はアマテルカミの「世に遺す詩」で、難しかったのですけれど、

こんなに大切な詩もない事と思いましたので、

力不足を承知で、どんな意味だったのかを考えてみました。

また、勘違いや意味の取り違いのところが多々あると思いますので、

ご指摘、ご指導いただければ幸いに思います。

 

 

近江国の一宮:建部大社の「船幸祭」は、大賑わい!

  • 2019.08.20 Tuesday
  • 20:55

 

8月17日(土曜日)京都ヲシテ講習会の後に、喫茶店グループと別れて、辻さんに

近江国一ノ宮の「建部大社」(たけべたいしゃ)へ連れて行ってもらったのでした。

 

JR線で、石部駅で降りて歩きます。会場は、瀬田の唐橋というところで

行われる船祭り。

近江の一宮なのにも関わらず、全然知りませんでしたが

辻さんにお尋ねすると、「建部大社」というところの「船幸祭」(せんこうさい)

御祭神のヤマトタケさんが、東征の際に船で海を渡ったという故事にちなんでいる

お祭りらしいです。

 

(8月17日(土)「船幸祭」の後には、花火大会も行われます)

 

(若い人は、浴衣を着て瀬田の唐橋の花火大会へと急ぎます)

 

場所は、瀬田川で行われるので、とりあえず瀬田の唐橋まで急ぎます。

瀬田の唐橋というのも歴史的に、有名らしいですね。

知らずに渡ったことがあるかもしれませんが、

気がつかないでいますので、初めて行くような気がしました。

 

(辻さんの「船幸祭」についての資料)

 

5時半頃に「瀬田の唐橋」に到着した頃には、

ちょうど、お神輿が船に乗り込む前でした。

良いタイミングで、到着できたものです!o(^▽^)o

それに、お天気も良くて、琵琶湖を吹き渡る風が涼しいです。

 

(御座船に、お神輿の到着を待っています)

 

(写真の右端に、お神輿が乗せられていよいよ出発です。)

 

見ているうちに、船上にお神輿が運び込まれます。

放送で説明や挨拶があって、なかなか船が出発しませんが、いよいよ出発しましたら、

川を神から下へと走ってゆき、御旅所で神饌を受け取ってまた、出発地へと

7時半頃には帰ってくるということです。

 

(大神輿が乗る御座船の渡御の様子)

 

神輿(みこし)は、大神輿1基と子供神輿2基が、2艘の御座船(ござぶね)で

行くのですが、10艘がそれに従い渡御(とぎょ)します。

渡御の様子を見た後に、いよいよ「建部大社」へ向かいます。

 

(夕日のあたる建部大社)

 

 

もうすでに、夕日が沈んでゆく時間ですので、参道に入って振り返ってみると、

逆光の鳥居が綺麗です。

 

(参道から、鳥居の真ん中に沈む夕日が美しい!)

 

近江国一宮だけあって、神社の佇まいがいいですね。境内に入ると

社紋になっている、三本杉もありました。

 

(御神木の三本杉です)

 

(お約束の狛犬さんの角を確認)

 

(ここでお参りします)

 

辻さんが資料を下さったので、ヤマトタケさん所縁の方々の名前も確認しながら、

摂社に祀ってある御祭神名を読んでいきます。

 

(ヤマトタケさんの系図)

 

『ホツマツタヱ』には、以下のように記載されています。

 

ホ40-33(10526)

ヤマトタケ イマスノマコノ

タンヤガメ フタヂイリヒメ

ウムミコハ イナヨリワケ

タケヒコト タリナカヒコ

カシキネト ヌノオシヒメ

ワカタケゾ キヒタケヒコガ

 

(こちらが、お妃さんのフタヂイリヒメさんのお社ですね)

 

(こちらがお子さん:兄のイナヨリワケさんのお社ですね)

 

(左は、「弟彦公」と書いてありますが、弟のタリナカヒコさんですね。)

(右は、「日本武尊の家臣」と書いてあります。)

 

(左は、ヤマトタケさんの料理番だった人、右は家臣です)

 

「建部大社」の参拝も終わり、御座船が帰ってくると、その後には花火があるのですが、

時間も遅くなりますので、とりあえずはお腹を満たしましょうと、お好み焼き屋さんへ。

Yさんオススメのお店です。かなりの距離があったと思いますが、

暑い中、Y隊長はぶっちぎりの速さで到着!!Σ(・□・;)

みなさんも健脚で、無事に全員たどり着けました。

「ヲシテ」の学習には、やはり体力が必要だと、つくづく思いましたねー。

 

(店名は「てっぱん・笑栄しょうえいさんだと思います)

 

お料理の写メ撮るの忘れましたが、このお店とっても美味しかったです!!o(^▽^)o

 

(石部駅から、花火も見れました!ついてる!\(^o^)/)

 

もう花火も終わったかと思って諦めていましたら、みなさん花火の方向を向いて

佇んでいますので、尋ねたら事故待ちだそうで、運良く再開の

花火も見られました。

本当に充実した1日になりました。

 

(後で聞くところによりますと、喫茶店グループの方も不思議なパレードを見られていたようです。)

下鴨神社の境内で、不思議なアートのイベントがあったのですね。(´⊙ω⊙`)

 

 

 

 

こちらも、幻想的で、魅力いっぱいでしたね♪( ´∀`)

  ここ ↓

https://www.teamlab.art/jp/e/shimogamo/

 

今日のお話は、以上です。

 

 

新しい会場に移動しました:8月の京都「ヲシテ」講習会

  • 2019.08.19 Monday
  • 09:30

 

それにしても暑い!京都の夏ですね。

8月京都「ヲシテ」講習会は、8月17日(土曜日)

前日の16日には、京都五山の送り火もBS放送で中継番組をやっていました。

この時期の京都は、昔から特に暑いようですね。

 

 

(五山送り火で、冷泉家の方の令和に詠む特別な一首:前日の放送でやっていました)

※「送り火」って、「タマカエシ」の儀式??って、疑問も湧いてきました!(´⊙ω⊙`)

 

今回から新しい会場の「明覺寺」さんに移動になりました。

新しい会場では、どんな様子になるのか?

まずは、会場にちゃんとたどり着けるのか?

ちょっとワクワクでしたが、京都駅から違いので、

道を間違えなければ、約10分ほど歩けば到着の位置です。

 

(今は、デパートビルに隠れて見えにくくなった京都タワーもよく見えます)

 

新会場は、京都駅の北側なので歩いて行くと京都タワーば良く見えます。

今ではデパートビルに隠れてしまいましたが、京都タワーも以前は

京都玄関口のシンボルでしたね。

そんなことを考えながら、暑い日差しの下を北に向かって進みます。

少し細めの道に入ったら、しばらく行くとあっ、あった。

お寺さんが隣にあるし、ここが写真で見た、会場ではないでしょうか。

 

(写真は、細い道を通って行くところです:会場前写真は撮れていません)(^_^;)

 

到着時間は10時半、扉が開いていないのでまだ入れないから、

「明覺寺」さんの前で待っていますと、池田先生がご到着。

まだ会場が開くまでは時間があるので、どこかへいきましょうか?

と先生は言われましたが、どこも暑いので、せっかくの時間がありますので

「門前 質問コーナー」o(^▽^)o

 

8月講習の28アヤ「キミトミノコシフミノアヤ」

『ホツマツタヱ』前編の総集編ということもありますし、

いよいよアマテルカミが、カミ上がられるということもあって、

ノコシフミ、これが内容が深くてとっても難しいですね。

 

そして、クニが始まって以来、暦を刻んでいましたマサカキが、

遂になくなるという一大事件です!!

このマサカキの植え継ぎの記述も、500継ぎとありますし

50スズになっていますので、どう考えたら良いのか疑問が何点かありました。

 

門前で、疑問箇所を順にお尋ねさせて頂きました。

 

1、まずは冒頭の、ホ28ー1

ヰソススノ チヱノハタトシ

アメカワル

 

ヰソススノ   =50スズの

チヱノハタトシ =千枝(あるところの)のハタトシ(20年目)に

アメカワル   =天から授かった暦に大変化がありました。

 

つまり、50スズで暦の木が終わろうとしている、

という事なのだと思いますが、私はもうひとつ、後で出てくる記述との違いが

よくわかっていなかったのです。

 

ホ28−4

ヰモツギノ アマノマサカキ

トシノホノ

 

ヰモツギノ   =500継ぎの

アマノマサカキ =アマノマサカキで

トシノホノ   =年の「ホ」を数えていたのが

 

この記述はクニトコタチさんの時代から植え継ぎのマサカキが、

500継ぎになって絶えようとしているという記述ですが、

アマテルカミさんの時代では、50ススで終わろうとしていると書いてあるから、

新しい時代のアマテルカミのスズが、どうして逆に少なくなっているのだろう??

と、不思議に思っていたのです。

 

池田先生のお答えは、「ヒタカミ」に分けたマサカキの苗木を、また分けてもらって

新しく数え直したのだという事でした。

 

後で出てきますが、アマテルカミの時に既に26本目のマサカキから植え継ぎを

始めて、後の25本を植え(最後の一本は自然生えですが)

(ウビチニさんの時代からの本数)25本+(アマテルカミの時代の本数)25本

 =50本となって、数字が合うという事でした。

 

私は全く、クニトコタチさんの時代からの本数を

続きに数えるものとばかり思っていましたので、これで、一つ疑問が解決しました。

 

2、次の質問は、「酒折の宮」

以前のブログでも書かせていいただきましたが、サカオリノミヤは、

富士山南麓だったと思っていたのですが、

火野正平さんのBS『こころ旅』に出ていた「酒折の宮」にはヤマトタケさんの

連歌発祥の地の石碑も立っていて、それが山梨県にあったのです。

これって、富士山のずっと北側ですよね。

これはいったいどうしたことか?という疑問がありました。

 

このお答えは、やはりサカオリノミヤといえば、富士山南麓と考えた方が良いとのことで

山梨県にあった「酒折の宮」は、後の世に『古事記』の記述をもとに造られた宮だと

思いますとのことでした。

やっぱり、質問してお答えを聞きかせて頂くとスッキリしますね!

山梨県の「酒折の宮」へも今度、行ってみようと思っていますが、

そのことを頭に入れて見てきます。(´⊙ω⊙`)

 

3、三つ目の質問は、幻となりました。(質問しようとして、見落としました)

 

ホ28−38

モスソオクメト 

 

この意味の質問でしたが、でも、これは運の良いことに講習会の中で、

説明があったので分かりました!

 

モスソオクメト=裳(スカートみたいなズボン)の裾を組んでしまう状態になること

つまり、足元をしばったような状態で、動けなくなることの意。

 

4、次はアマテルカミの「世に遺す歌」の中の言葉の意味「ヲ」

 

ホ28−39

ヒトグサハ ミミチカキ「ヲ」

 

この中の「ヲ」という意味が分からなかったので、質問したのですが、

これに関しては、中々難しいということでした。

そういえば、この一文字だけではなくて、アマテルカミの「ヨニノコスウタ」

全体が、やっぱり難しいですね。例えば「ミミチカキヲゾ」の「ミミ」

ミミ=耳 と解釈して、それで終わりにしたらそれだけのものですが、

やっぱり耳だけではなくて、「ミミノハ」(ホ16−62)という言葉もありますし、

「ミミ」は「自分自身を振り返ること」など、何か深い意味もありそうです。

この場合の縦棒の特殊文字の「ヲ」については、今のところ、

「アマテルカミとの繋がり」を意味しているような気がします。

何れにしても、

この「ヨニノコスウタ」の意味は全体を通して、もう一度考えてみたいと思いました。

 

5、次の疑問は、マサカキが無くなっているときに、

どうして「フタヱ ミヱ トヱ」なのか?

 

ホ28−57

マサカキノ 「フタヱミヱトヱ」

カツテナク

 

この場合の「フタヱミヱトヱ」は、既にマサカキが枯れてなくなって、

探しているときに、二枝・三枝・十枝と時間が経過しているように

思えますので、どういう意味なのでしょう?という質問です。

 

これに関してのお答えは、この場合の「フタヱ・ミヱ・トヱ」は、

時間の経過を表しているのではなくて、

「アメフタヱ」さんが、枝を探し「ミ」見たり、枝を探し「ト」問うたりして

探されたことを表現されていると考えると、理解がしやすいのではないか?

ということでした。私も、そう考えるとスッキリしますので、

そのような気がしました。

 

6、最後の質問は、飛んで来月分になりますが、28アヤの後半、

「サルタヒコ」が禊をしているときに、泡がやけに立つので不思議に思い、

胸騒ぎで「フトマニ」をやったら、「ヰムノミ」(=五六の三)がでました。

これは、「モコケ」ではないでしょうか?という質問です。

結局、この歌で、アマノコヤネさんが亡くなったのではないかと気づき、

伊勢に急いだのですね。

 

モコケ

モノコケノムシハナ

カミノフクロトリサナ

ヱマツリサルタ

スカミ

 

この歌には、中身がなくなるので泡が出た!という表現や

「サルタ」という自分自身の名前も出てきますし、

早苗祭りをサルタがしたという事も書いてありますので、

ぴったりではないでしょうか?、と門前でお話をしているうちに、・・・

 

明覺寺さんの娘さんが出てこられて、11時前に門を開けてくださいました。

\(^o^)/

 

暑いので、早速中に入ります。予約は12時だったということでしたが、

ご好意で、今回は早めに開けてくださいました。

まあ、それにしても、門前で時間前にもかかわらず、良い勉強ができました。

「ヲシテ講習会」では、池田先生に直接質問させていただけるのが、ありがたいですね。

自分が疑問に思っていることを聞く、これが次への道を拓いて、

一番の勉強になっていると思います。

 

さて、

初めての新会場でしたが、今度の会場は椅子席で30人は入れますね。

それに、小さいキッチンも付いていますので、みんなで食事もできます。

そうこうしているうちに、みんな「暑い暑い」という顔で、次々に集まってきます。

部屋に入れば、クーラーがあって涼しくなりますので、今はありがたいですね。

 

テーブルも向かい合わせにして、お弁当の時間が始まります。

私はいつもどおり、納豆も温野菜も、葡萄パンにペンネルバターもお呼ばれをして、

(いつもは、これで終わるところを)

更に、今回は自分用には、京都駅で「タコめし」お弁当を買ってきました。

タコ壷の中に入った、タコの炊き込みご飯には、何故か「ひっぱりダコ」と書いてありましたので、

そういえば、池田先生もダンスで「ひっぱりダコ」になっておらると思い出して、

不思議な「縁」を感じました。(笑)

(おなかいっぱいになりました。)

 

(いつも沢山のお料理をありがとうございます)♡( ´ ▽ ` )

 

(こちらが噂のひっぱりダコタコめしです)

 

「ヲシテ講習会」の内容は、また次回にさせて頂きたいと思いますが、

今回から、「ヲシテ」の文章も朗読とは別に、大切なところは抜き出して、

講習会のテキストに載せて下さっていました。

その話もあったせいか、時間内に終わらなくなりそうでしたが、

最後はピッチを上げていただいて、終了時間の4時までには

全てやり終えられて、良かったです!!\(^o^)/

うまくいきましたね!

 

(始まる前は、めいめいに質問しています。この時間は大切ですね)

 

(今月の掛け軸は「トニウルオヱル」です)

 

(五十鈴川(いすゞがわ)の解説:

イソスス川と読んでも良さそうなのが、ススと「ソ」が抜けるのはどうしてか?)

※「ヒメタタラ・ヰススヒメ」を「イススヒメ」という用例もあります

というご説明でした。

 

来月の28アヤは、ついに「アマノコヤネ」さんもノコシフミをして、カミ上がられます。

マサカキは、ついに見つからず、新しい暦はアススと名付けられて新しい時代が始まります。

その前に、「カミヨ」の総集編がありますので、どのように纏めてあるか、それも楽しみです。

カミヨからヒトノヨへのメッセージは如何に!!

ここは、読み直してじっくりと考えてみたいところですね。

 

(お帰りの際は、綺麗どころの女性に見送られてのご出発です♡

今月も、ありがとうございました♪)

※こちらが明覺寺さんの門前ですね、右側が会議室になります

 

それでは、今回もまた、内容をすっ飛ばしになってしまいましたが、

京都の「ヲシテ講習会」も、新時代が無事に始まりましたということで、

メデタシメデタシ♡

28アヤの内容につきましては、近いうちにブログに掲載させていただきたいと思います。

 

また、帰りには、辻さんに近江国の一宮、建部大社の「船幸祭」(せんこうさい)へ

みんなさんと一緒に連れて行ってもらいましたので、その様子もご報告させて

頂きたいと思っています。(こちらの方が先かな)

 

では、今日のお話は以上です。

 

 

高山『桜山八幡宮』へ真夏のツーリング:

  • 2019.08.12 Monday
  • 18:02

 

暑い中ではありますがお休みの日に、飛騨・高山(たかやま)へ行ってまいりました。

目的地と言っても特になかったので、久しぶりに、

夏場も涼しいイメージのある「せせらぎ街道」を通ってツーリングにでもと思って、

秋の高山祭で有名な「桜山八幡宮」を目指しました。

 

(道の駅、明宝・磨墨の里にて:暑い中バイクも多いです)

 

連日の37度〜38度と言う暑さですが、流石に谷川沿いを通る「せせらぎ街道」は涼しかったですね。

道の駅「パスカル清見」へ立ち寄りますと、川へ水浴びに来ている家族もあって夏の涼を感じます。

 

(道の駅、パスカル清見の裏に流れる川で水遊び)

 

(これは飛騨のお土産の「さるぼぼ」です。厄除けのお守りですね)

 

食堂では、飛騨の名物はやっぱり飛騨牛に高山ラーメンが名物かな。

入り口に「さるぼぼ」が飛騨牛のメニューを勧めてくれています。

この「さるぼぼ」も、日本文化ユダヤ起源説の本によりますと、

イエスキリストの身代わり像だと言う話もあって、

私も、もしや外国から伝わったものかと思っていましたら、『ホツマツタヱ』に書いてありました。

ハヤアキツヒメが作って下さった魔除け人形の「アマガツ」ですね。

気が付いてみれば、どれだけまことしやかな噓が蔓延っていることでしょうか。

(日本文化ユダヤ起源説は、今流行りの大ウソです!

知識人が騙されているのが歯痒いばかりです。)

 

ホ12-1(2034)

サツサツノ コヱトイモセノ

ササイハフ ソノモトオリハ

アマガツオ ハヤアキツメ

ツクリソメ アマテルミコノ

ヲシホミミ アマツヒツギハ

タカノカフ タクハタヒメノ

ミウチイリ ソノサキコシノ

アマカツオ シホカマノカミ

 

そんなことを考えながら、私は「高山ラーメン」を食べます。

この高山ラーメンは少し辛めのしょうゆ味で、地味なので北方ラーメンのようにヒットしません。(笑)

減塩がブームなので伸び悩みなのかな? ですが、地元では一定のファンはいますね。

懐かしいので久しぶりに食べてみました。

 

(シンプルな濃いめのしょうゆ味の高山ラーメン)

 

涼しかった「せせらぎ街道」を抜けて、高山の市街地へ入るとやっぱり都会並みの暑さです。

こんな日は、アイスコーヒでも飲みたいと思って、早速「桜山八幡宮」へ向かうことにしました。

「桜山八幡宮」の境内にいつも立ち寄る喫茶店があるからです。

でもまあ、境内ですので先ずは、参拝を先に済ませることにしました。

 

(高山市内は旧暦の七夕祭りです:ササと川の流れを祈るお祭りですね。

  洪水が起きないようにと・・)

 

(こちらが、桜山八幡宮です:ナント!こんな観光地でバイクを境内へ停められるのは奇跡です)

 

(桜山八幡宮の由緒:御祭神の八幡大神は応神天皇さん、熱田大神は日本武尊命、香椎大神は仲哀天皇と神功皇后)

 

 

「桜山八幡宮」へは何度か来ているのですが、

今回は『ホツマツタヱ』を読むようになっていますので、自分も少し進歩しています。

お祭りしてある御祭神の意味を考えながら参拝をして回りました。

 

少し解説をさせて頂きますと、

高山祭というのは豪華絢爛な屋台にからくり人形の奉納もあるというのは有名だと思いますが、

実はは違う神社のお祭りなんですね。

春は「日枝神社」山王祭と言い、秋がこの「桜山八幡宮」八幡祭です。

秋祭りが桜の「桜山八幡宮」というのは、どういう理由なのか、少し不思議な気がします。

御祭神は、主祭神に「応神天皇」さんと相殿に「日本武尊」

そして「応神天皇」のご両親の「仲哀天皇」と「神功皇后」さんになっています。

 

因みに、春祭りの「日枝神社」の御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)ということなので、

京都の松尾大社の「ヤマクイ」さんでしょうか。

ヤマクイさんは、ホツマツタヱでも非常に重要なポストでよくご登場されていて、

しかも最高に抑えが効く重鎮の位置付けです。

ですので、小京都と言われる高山でも同様に祭られていると考えると、成る程と思えます。

 

(手水舎:日本では龍(りゅう)ではなくて、水を司るのは「タ・ツ」ですね!)

 

境内に入って、まずは手水舎で手と口を濯ぎます。

竜の口から水が出ていて、「タツ」とは「タ」(=増やす方向)と「ツ」(=減らす方向)ですから、

水をコントロールしてくれるという様子がよく分かりますね。

china式の「龍」(りゅう)と考えると、意味がよく分からなくなります。

 

続いて、向かって左側の狛犬さんを見つけますと、いつもながら角のチェック。

桜山八幡宮の狛犬さんにも角が確認できましたが、

ちょっと違ったタイプで一本角ではなく小さい2本角が付いているように見えます。

一本角、二本角とタイプはありますが、角が付いているのが古くから伝わる狛犬の姿だったようですね。

狛犬は、シラヒケカミサクラギさんですね。

 

(八幡さんの狛犬は、小さい角が頭の上に2本あるタイプでした。)

 

 

(桜山八幡宮のお拝殿を横から撮影)

 

さて、参拝を済ませて拝殿の左側の階段の方から降りようとしますと、稲荷神社があります。

稲荷神社にはやっぱり獅子狛犬ではなく、おキツネさんが眷族で護っています。

この意味も、『ホツマツタヱ』を読む様になってから、よくわかる様になりました。

御祭神は倉稲魂神(うかのみたま)と言う事で、「ウケモチ」さん。

その子孫が「カダ」さんということで、お米や野菜の種を育てて、

農業技術の普及に最も貢献して下さった、言わば日本最初の農業大臣なので、

摂社として篤く祭られているいると言うわけですね。

 

(お拝殿の向かって左側には、お稲荷さんがあります。)

 

(稲荷神社:御祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ))

 

(「ウカノミタマ」を守るのは、命を助けてもらった、キツネのキクミチでした!)

 

私は、『ホツマツタヱ』の話を知る前は、日本の昔はアニミズムだったと言うので、

キツネが神様なのか?と思っていました。

いくらなんでも、キツネを神様に祭るというのもおかしな話だと思って、稲荷神社は気味が悪いので、

できるだけお参りしない様に避けていました。

ところが、真実を知ったら、日本の基盤である農業生産を支えて下さった大いなる指導者だったのですね!

こんなありがたいご先祖に、そっぽを向くというのも大変に失礼なことでした。

やっぱり、これも洗脳(思想操作)だったと思うと、悔しいです。

やっとわかって仲直り、今度はちゃんとお礼を言ってお参りをしてきました。

 

ホ15-25(2643)

ナルユエニ ツキヨミヤリテ

ウルソタネ ヱントイタレハ

マルヤニテ クニニムカエハ

ツギオケノ クチヨリヨネノ

イヰカシク ソノニムカエハ

コヱカクル テコニイレキテ

ススナシル モモタクハエテ

ミアエナス ツキヨミイカリ

イヤシキノ ツハハクケカレ

カワンヤト ツルギオヌキテ

ウチコロシ カエコトナセハ

ヲヲンカミ ナンチサガナシ

アヒミスト マツリハナレテ

ヨルキマス アメクマヤレハ

ステニサリ カタウルソノ

タネササク クマドカエレハ

ヲサガタニ ウユルソノアキ

ヤツカホノ ナレハクニトミ

 

カダさんのところへ「ツキヨミ」さんがウルソタネを分けて貰うために出かけられた時は、

お父さんの方のカダさんは、田舎者丸出しで農業技術にのめり込んでおられ、

ツキヨミさんに、「汚いぞ!無礼者!」と、誤解を受けて斬られてしまいました。

そんな大きな事件もありながら、先祖代々の大きな心で、ご子息のカタさんは、

大切な稲や野菜の種を提供して下さいました。

これぞ本当に日本人らしい、勤勉で謙遜な姿ではないでしょうか。

 

ホ8-70(1425)

キクミタリ スクニキツネ

カケアレハ ナモミツキツネ

ミソミヨロ タマタチセンオ

カタガコフ モロユルサネハ

カタノカミ ナナタヒチカフ

ノリコチニ ヤヤユルサルル

ミコトノリ ミツヒコガコト

モロキツネ ウケノミタマオ

マモラセヨ モシモタカハハ

スミヤカニ タマタチナセヨ

コノユエニ ナガクナンチニ

ツケルナリ アマツミコトノ

 

また、ハタレの「キクミチ」が、一族滅ぼされるという今際の際に、

カタさんが、七度までも命乞いをして下さったという事もあって、

キツネがその後ずっと眷属で田畑の鳥を追ったりして、カダさんの助けをし、

「ウケノミタマ」も守るということになったのでしたね。

キツネと言っても、本当に動物の狐ではなくて、

狐に似たハタレの「キクミチ」一族のことですね。

情報が正しく伝わらないと、狐が神様になってしまって、

せっかく日本の食に大きな貢献をして下さった「カダ」さんのことが

うやむやになりますので、怖いですね。

 

(末社の琴平神社:御祭神は大物主、崇徳天皇。配祀は、オオナムチとスクナヒコナ)

 

次は、「琴平神社」です。御祭神は「大物主」、ホツマツタヱでは「オオモノヌシ」は役職なので

どなたの事かよくわかりませんが、右の「トミ」ですから、秋の宮には相応しい御祭神ですね。

配祀の大穴牟遅(おおなむち)と少名毘古名がなぜ一緒に祀られているということも、

『ホツマツタヱ』で良くわかりますね。

スクナヒコナは、カンミムスヒの数多の子孫の中でも、変わり者で

教えに合わない子だったみたいですけれど、オオナムチはその子を預かって、

見事に共同事業者と言っても良いくらいの働きに導いたのですね。

オオナムチは慢心はしましたけれど、本当によく働き、人使いの上手い人だったと思います。

 

ホ9-38(1684)

クヱヒコガ カンミムスヒノ

チヰモコノ ヲシヱノユヒオ

モレオツル スクナヒコナ

コレトイフ クシキネアツク

メクムノチ トモニツトメテ

ウツシクニ ヤメルオイヤシ

トリケモノ ホヲムシハラヒ

フユオナス スクナヒコナハ

 

さて、参拝も終わって、アイスコーヒーです。

ここのマスターは、アイスコーヒー一杯にしても注文を聞いてから豆を挽いて、

アイスコーヒーに仕立てて下さるので嬉しいですね!本当に美味しいです。

マスターも若い頃はオートバイに乗っておられたと言うことで、

いつもオートバイの話をして、私の「ハーレー号」(原付スーパーカブ)も

毎回見て、随分褒めてもらって、帰ります。

 

 

(奥様の手作りアクセサリーに、息子さんの陶芸品も売っています)

 

(コーヒー豆を挽いてから、一杯ずつ淹れてもらえるアイスコーヒー)

 

帰り道には、明方豆腐を買って帰ります。このお豆腐は、とにかく硬いお豆腐です。

床に落ちても型崩れしません。(笑)テレビにも何度も出て、ここのおばちゃんは、

西川きよしさんが来た時には、この明方豆腐を大きくサイコロ状に切って、

床に放り投げてやったら、きよしさんがびっくりして

「なにしはるんですか!いくらなんでも、食べ物を粗末にしたらダメでしょう!(´⊙ω⊙`)」と、

言われたそうです。(爆)

普通のお豆腐三丁分の大豆で一丁になるらしいです。とにかく中身が濃くて美味しいので、

私は硬豆腐のファンを続けています。

 

(有名芸能人も取材に来ている、伝統のお豆腐屋さん)

 

(明方お豆腐は、硬いです!普通の3倍の量の国産大豆を使っていますからね。)

※3丁分が1個で180円では、商売にならない。でも、これが日本ですね!

 

ところが話はお豆腐だけでは終わらず、明方金鉱山があった頃の話もしてくれました。

この石は、金の原石だというのです。確かに金色が光っています!!

明方の鉱山では、金・銀・銅が採れたらしく今でも鉱石の捨て場に拾いに行くと、

金が入った石が見つかるそうです。お孫さんがおばあちゃんの誕生日のお祝いに

拾ってきてくれたのだと、大切にしてお客さんに見せてくれます。

 

(近所で拾ってきてくれた、金鉱石を見せてくれました!)(´⊙ω⊙`)

 

こんな近くにも、鉱物資源が採れていたのだと気づき、昔の豊かさを感じました。

今の時代は、何でも輸入に頼らないといけなくなった時代ですからね。

日本の金も黒船が入ってきてから、海外へかなりの量が流出したようです。

日本の良いものが外に流れて、外国のチープなものが日本に大量に入ってきているので、

日本の豊かさが感じにくくなってしまったのかもしれません。

この傾向は、思想的にも同じことが言えますね。

外国人の方が日本の評価が高くて、高山祭りも見にきているのは外人さんの方が多いです。

日本文化の見直しを本当に今、し直さないといけない時代だと思います。

 

それでは、

今年の夏も大変に暑い夏になりましたが、

皆様どうぞお体に気をつけてお過ごしください。

 

『あるユダヤ人の懺悔:日本人に謝りたい』のご紹介

  • 2019.08.03 Saturday
  • 00:21

 

『あるユダヤ人の懺悔:日本人に謝りたい』

モルデカイ・モーセ著

久保田 政男訳

 

定価:1000円+消費税

 

 この本は、現在の日本が置かれている状況を分かりやすく示してくれる良著であると思って、読み始めました。

日本の「天皇制」こそユダヤ人も羨むものであると言うことも、ユダヤ人である著者によって告白されています。

40年ぶりに貴重な復刻版が、沢口裕司氏の自費出版により発刊されました。

価格も安く抑えて、一人でも多くの方に読んでもらえるようにとの意図もよく分かります。

 

 

復刻版刊行にあたって:

   一冊の本で人生が変わる!

 

 あなたはそんな経験をお持ちでしょうか?

私は驚くべき内容のこの本と出会い、カウンターパンチのような一撃を喰らったのでした。

この本の著者も翻訳者も亡くなり、版元の出版社も倒産して絶版になってしまいました。

 この状況の中、この本を眠らせておくのは実に惜しいとの思いがつのり

是が非でも復刻せねばという使命感に駆られ自費出版いたしました。

 一人でも多くの方がお読みになり、そして少しでもお役に立てれば幸いです。

              (沢口 裕司)

 

 

推薦文

 

1、本書が東西冷戦最中の1979年に発刊されたのは奇跡と言えます。

当時ソ連を信奉してやまない日本の左翼とは、

ユダヤ思想のエピゴーネン(まね・亜流)であることがばれてしまったからです。

本書を読めば、わが国の国体の真髄である「君民一体」こそ、

最先端の民主主義体制であることに誇りを持てるはすです。

  (元駐ウクライナ兼モルドバ大使 馬渕睦夫氏)

 

2、戦後、日本を占領したアメリカといいGHQといい、

その中核はユダヤ人であることを如実に示した好著である。

四十年前、この本が出た時、買い求めたが、これを左翼の論壇が抹殺してきた。

こうしたユダヤ人の懺悔をききたくなかったのだろう。

なぜなら、日本の論壇こそ、左翼ユダヤ人たちが支配してきたからだ。

  (東国大学名誉教授 田中道夫氏)

 

 

ユダヤの長老が明かす戦後病理の現像(初版本の帯より)

 

「ユダヤ人は信じられないほど頭が悪かったのだ」とモーゼ翁は告白する。

東京裁判、日本国憲法、

その他戦後日本に持ち込んだ改革の全ては、ユダヤ的思考と民族的悲願の所産だった。

マルクス主義もユダヤ民族解放事業のための虚構論理だったのだ・・・

ユダヤ民族の真の理想は戦前の君民共治の中にこそ体現されていたという、

日本人の蘇生を心から願うユダヤの一長老の懺悔を聞こう。

 

 

 

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