ヲシテ時代の「疫病蔓延」(パンデミック)の後には、「大減税」があったこと

  • 2020.05.28 Thursday
  • 15:54

 

 5月も末になり、良い季節になりましたね。(^○^) また新しい花も咲いて、我が家の日本庭園(京都御苑より少し小さめですが・・・笑)の皐月(さつき)は今年も綺麗に咲いてきました。そして、家庭菜園の玉ねぎも収穫時期を迎えて、今年は少し小ぶりですが、またこんなに沢山収穫できました。季節は巡りますね。

 

(我が家の日本庭園の皐月(さつき)も咲きました!\(^o^)/)

※皐月(サツキ)は、ツツジ科の木なので、ツツジと言っても良いのだだそうですね。

 

(家庭菜園の玉ねぎが取れました。・・今年はちょっと硬いよ^^;)

 

 ところで、世は新型コロナの「緊急事態宣言」も全面解除になって、6月からの再始動が待ち遠しいですね。しかし、2ヶ月にも及ぶ「自粛」により、経済の問題が、これからいよいよ表立ってきそうな気配です。このあたりはマスコミは「不安」は煽りますが、その結果としての経済難には、目を逸らすのではないかと思います。

 

 そんな世の中の背景もあり、このところ「ヲシテ時代」の崇神天皇の御世に「疫病」の大流行があって、国民の半数が亡くなると言う大惨事があったという記述を追いかけていますが、中々終わりません。前回までには、遂に「疫病」も終息を迎え、その後の騒乱も平定されるに至りました。しかし、問題はこれで終わったわけではありませんでした。その後の経済復興の為に成された施策についても、文献中に触れられていたのです。

 

 今日のテーマは、この「経済対策」についてです。この時代に崇神天皇の採られた対策は、ズバリ!「大減税」でした。「減税」無くしては、復興はあり得ないとは思うのですが、しかし、実際に行うのは中々難しいのではないでしょうか。現代の「コロナ禍」においても、経済対策としての「給付金」はありますが、政府から「減税」と言う言葉は聞こえてきません。消費税の増税10%と言う事もあったばかりですので、「消費税」は一旦取りやめたら良さそうですが、そうはならないのが今の世の現実です。

 

 しかし、ヲシテ時代の崇神天皇の御世(西暦の紀元前)には、見事に「大減税」が行われました。現代にあってこそ、凄いことだったのだなと思えます。順を追ってみますと、崇神天皇の5年に疫病蔓延(パンデミック)が起き、国民の半数が亡くなりましたが、7年には新しいお米も収穫できる様になりました。三輪のうま酒の話もありましたね。しかし、社会秩序も乱れて戦乱もありましたので平定軍が出され、11年には見事に治めることができました。それからが本格的な経済復興策になります。12年には、「労働」による納税も免除するとの勅(みことのり)が出されて、それにより完全に復興したと言えるまでになりました。

 

 それでは、先ず10年に「モモソヒメ」が亡くなられて後の11年に、モモソヒメの陵でもあるハシツカ(箸塚)で、タタネコさんが「タマカエシ」の祝詞を読まれるところから、記述を追ってみたいと思います。

 

ホ34-19(8857)

 

ソヒウツキ ソムカヨミチノ

エヒスムケ キミニツクレハ

クニヤスク アキタタネコニ

オレカレノ ヲトクマツリ

ハシツカニ ナセハカカヤク

ノリノイチ 

 

ソヒウツキ   =(崇神天皇の)11年4月の

ソムカヨミチノ =16日に、ヨミチ(四方)の

エヒスムケ   =エヒス(反逆者)を平定して

キミニツクレハ =平定軍が、君に報告に戻ってきました。

クニヤスク   =それでやっと、国全体が平穏になりました。

アキタタネコニ =その年の秋に、オオタタネコに、

オレカレノ   =闘いや疫病で亡くなった人々の

ヲトクマツリオ =タマノヲを解く祀りを

ハシツカニ   =ハシツカ(箸塚)の陵で

ナセハカカヤク =執り行えば、輝きひびき渡る

ノリノイチ   =祝詞の「イチ」(命の繋がり)でした。

 

大意:

(崇神天皇の)11年4月の16日に、ヨミチ(四方)に遣わした平定軍が、エヒス(反逆者)を平定し終わって、君に報告に戻ってきました。これでやっと、国全体が平穏になりました。そこで、その年11年の秋に、オオタタネコに、疫病や闘いで亡くなった人々のタマノヲを解くタマカエシの祀りを執り行わされました。ハシツカ(箸塚)の陵に、ひびき渡るタタネコの祝詞は、「イチ」(命の繋がり)が、輝くものでした。

ーーーーーー

 

 崇神天皇が四方に出した兵が11年の4月16日に任務を終えて帰ってきたと言うことですが、この兵が出されたのは、10年の9月9日でした。昨年の秋の勅使の派遣(平定軍)が初夏には帰還したのですから、見事な仕事ぶりだったと思います。これで「疫病」の終息だけではなくて、その後の「混乱」も治ったと言うことですね。しかし、この平定軍の派遣でも、戦いで亡くなった兵士がいるわけで、その霊の弔いもしなければなりません。

 

 11年の秋には、オオタタネコさんが斎主となって、ハシツカ(箸塚)の陵で、「タマカエシ」の祀りが執り行われました。ハシツカの陵は、「モモソヒメ」の陵だと思っていましたが、戦いで亡くなった兵たち、そして「疫病」で亡くなった多くの国民も共に、ここに弔われたと言うことだったようですね。

 

 オオタタネコさんによる、タマカエシの祝詞は、カカヤク ノリノイチと表現されていますが、この祝詞で、「アモト」(天の源)へ旅立つ英霊達の命が輝いた!と言うことでしょうか。命を懸けて闘って下さった戦士たち、犠牲になった国民に、残された人々が感謝を捧げてこそ、その霊が報われると言うものですね。靖国神社に英霊が祀られていることを思い出します。

 

 この後に、崇神天皇による、この「疫病」の総括と、今後の経済対策に関する発表があります。

 

ホ34-21(8862)

      ソフヤヨイソヒ

ミコトノリ アマツヒツギオ

ワレツギテ アメノオフヒモ

ヤスカラス メヲアヤマリテ

ツイテセス ヱヤミオコリテ

タミヲエス ツミハラワント

アラタメテ カミオウヤマヒ

ヲシエタレ ヤヲノアラヒト

イマナレテ モロタノシメハ

カンカエテ オサトイトケノ

ミチモアケ タミニオオスル

イトマアケ ユハスタスエノ

ミツギトメ タミニギハセテ

ソロノトキ ナオリテヤスク

コノミヨオ ハツクニシラス

ミマキノヨ

 

ソフヤヨイソヒ =(崇神天皇の)12年3月11日

ミコトノリ   =崇神天皇は勅を出されました。

アマツヒツギオ =「天皇の位を

ワレツギテ   =私は受け継ぎまして、

アメノオフヒモ =天に見守られながらの年月であっても、

ヤスカラス   =心が休まることはありませんでした。

メヲアヤマリテ =政治上の「」厳しさと「」優しさの加減を誤って

          (※気候の「」冷「」温の不順のことも)

          [「」男女の道の誤(あやまり)があって]

ツイテセス   =正しい施策[日嗣]をすることができませんでした。

ヱヤミオコリテ =それで、「疫病」が起きて

タミヲエス   =民に疫病が蔓延してしまいました。

ツミハラワント =私は、その罪を祓おうと、

アラタメテ   =(旧来の)祭りを改めて、

カミオウヤマヒ =「カミ」を敬い

ヲシエタレ   =教えを皆に告げる勅使を送りました。

ヤヲノアラヒト =(離散の後)各地に新しく住み着いた人々も

イマナレテ   =今はやっと、慣れ従う様になって

モロタノシメハ =皆が楽しめる様にもなりました。

カンカエテ   =(それで私は、復興の道を)考えて、

オサトイトケノ =村落の長に若者が仕える

ミチモアケ   =働きも暫くは免除させ、

タミニオオスル =民に負担させる

イトマアケ   =労役をも、暫くは免除することにしました。

ユハスタスエノ =また、弓矢などの武器を作る

ミツギトメ   =上納も止めて

タミニギハセテ =民の経済活動を賑わせたいと思います。」

ソロノトキ   =そうしましたら、田畑の穀物の収穫の時には、

ナオリテヤスク =元通りの経済状態に戻り、平安な時代になりましたので、

コノミヨオ   =この時代を、

ハツクニシラス =「ハツクニシラス

ミマキノヨ   =ミマキの世」と讃えられるようになりました。

 

大意:

 

 (崇神天皇の)12年3月11日に崇神天皇は勅(みことのり)を出されました。

 「私は、天皇の位を受け継ぎまして、これまでの年月を過ごしてまいりました。しかしながら、例え天に見守られながらの年月であっても、少しも心が休まることはありませんでした。

 この原因はといいますと、政治的な「メ」厳しくするところと「ヲ」優しくするところの加減を誤って、(※気候の「メ」冷「ヲ」温の不順も)[もしくは、「メヲ」男女の道を誤って]、正しい施策[もしくは、日嗣]が出来ていなかったことだと思います。その為に、「疫病」が起きて、民に蔓延してしまいました。

 私はこのことを悔み、その罪を祓おうと、(旧来の)祭りを改めて、新たに「カミ」を丁重に敬い、その教えを皆に告げる勅使を送りました。これにより、「アラヒト」(離散の後各地に新しく住み着いた人々)も今はやっと、慣れ従う様になって皆が楽しめる様にもなりました。

 そこで私は、この度、国の復興の道を考えて、村落の長に若者が仕える仕事も免除させ、国が民に負担させる労役をも、暫くは免除することにしました。また、弓矢などの武器の上納も止めて、民の経済活動を賑わせたいと思います。」

 このような勅(みことのり)を出されましたら、田畑の穀物の収穫の時には、元通りの収穫量にも戻り、平安な時代になりました。この時代を、「ハツクニシラス ミマキの世」(崇神天皇による新しい世)と讃えられるようになりました。

ーーーーーーー

 

まとめと感想:

 

 崇神天皇は、各地の騒乱を鎮めることができましたので、次はいよいよ経済の復興に当たられます。年貢米などの「ミツホ」は、減免をするとの記述は出てきませんが、取ることもできなかった事と想像できます。それに加えて、労働力としての税も、厳しい状況下で農作物を作るには、国民にとって大きな負担となります。そこで、考えられて、平時の収穫量に戻るまで、労務が免除されたということではないかと思います。

 

 それが、12年の3月11日の勅(みことのり)でした。労務免除の発表をされる前に、先ずは、この度の「疫病」の総括をされました。私は、これが実に凄いことだと思いました。崇神天皇ご自身が、驚く程正直に「疫病」の原因となった理由を、「メヲアヤマリテ」と述べられています。これは、「メ」冷「ヲ」温の気温の巡りが順調に行かなかった事と取ることもできますが、政治の差配を誤ってと取ることもできます。これは、自分の政治が悪かったか、先代の治世が悪かったということになると思えます。

 また、もうひとつの意味としては、の道を誤ってと取ることもできます。つまり、ご自身の出生に関わる「イセノミチ」(夫婦の規範)を外した、先代の天皇であるご両親の縁組のことを言われているようにも十分に思えます。何れにしても、ご自身の恥にもなることをはっきりと言われていて、驚くばかりです。

 

 具体的に免除された労務の種類は、3つありました。

1、「オサトイトケノミチ」を空けること。

     → 村の長に若い衆が仕える労務を免除させること。(翻訳は未詳)

2、「タミニオオスルイトマ」を空けること。

     →民に負担させる労務を免除すること。

3、「ユハスタスエ」の貢を止めること。

     →弓矢や武具の貢を止めて免除すること。(翻訳は未詳)

 

 負担を軽くしてもらった民たちは、嬉しさもあり、農作業や商いにも集中できたことでしょう。次の収穫期には、従来通りの収量にも回復して、生活も安心できるほどになりました。理想的な経済対策がなされたということですね。「ハツクニシラス ミマキノヨ」とは、分かりやすく言えば、「崇神天皇による新しい治世」とでも言えば良いのでしょうか?民に讃えられた呼び名ですね。

 この話は、仁徳天皇の「民の竃(かまど)」の話とも似ていますが、古来日本では、飢饉や災害の時には、天皇による大減税がなされてきたということが、ここでも分かります。有難い時代でしたね。

 

 以上、今日は崇神天皇による「疫病蔓延」(パンデミック)の後の「経済対策」の話をさせていただきました。ここまで来るには、長い道のりでしたね。それにしても、崇神天皇はご自身の出生の経緯に問題はおありでしたが、とてもご立派な天皇だったと思います。特に大神神社の再興をされ、現在の伊勢の神宮の再興のきっかけを作られた事は特筆に値するのではないでしょうか。素直な反省と素早い対策が素晴らしかったです。現代日本の立て直しにも、ヤマトの国の「カミ」祭りと「大減税」が求められると思うのは、私だけではないと思います。

 

 それでは、今日も最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございます。

 

5月のWebヲシテ講習会のご報告です

  • 2020.05.23 Saturday
  • 21:47

 

 5月も遠隔にて、Webヲシテ講習会になりました。私は初めてのWeb参加でしたが、13インチのipadで見ていましたら、かなり綺麗な画像で見れましたので、十分に遠隔講習会ができる事が分かりました。良い時代になったものです。それに、会話をすると話をしている人に画面も自動的に切り替わるので、会話形式でもストレスなく対応できるように思いました。今日は初めてでしたので、勝手も良く分かりませんでしたが、皆さんが映像もオンにして参加していたら、本当に揃って勉強している様な気になりますね!少し勝手もわかりましたので、今度から画像をオンにして参加してみようかと思いました。( ◠‿◠ )

 

(このような綺麗な映像で、見れていました。)

 

(「オホヒルノミコト」の文字もバッチリ:口3つの下にと書いてあるので、

アマテルカミが、女性だとなったというご説明でした。)

 

 講習会の内容は、今月は『ミカサフミ』タカマナルアヤでした。これは、本当に難しいですね。私も昨年でしたでしょうか?「タカマナルアヤ」の全解読にチャレンジしてブログに書かせていただいた事がありましたが、とりあえずは第一印象みたいなもので、勉強の記録にしかなっていないと思います。その後に繰り返して読んでいきましたら、読み間違えていた所や、また新しい気づきが出てきて、どんどん修正していかなくはいけないと思います。カッコ悪いですが、誰かが叩き台を出さないと、「それはおかしい!」(☝ ՞ਊ ՞)☝と、議論が始まらないと思って、出させていただきましたよ♪

 

 今回の勉強会でも、読み直してみて、そして今度は池田先生の訳もつきましたし、いくつか修正箇所に気がつきました。これはまた、読み直しで、タカマナルアヤの読み解き再チャレンジをしてみたいと思います。その時は、皆様もぜひ、参加して、「ここは私はこう思う!」とか、「意味がわからない??」(笑)とか、ツッコミを入れて頂きたいと思います。楽しくやったら、良い結果が出るように思いますよ♪

 

 さて、そして、池田先生に私が少し前に質問していた、「モモソヒメ」様の年齢問題にも答えていただきまして、とても勉強になりました。モモソヒメがお若くいらっしゃるという表現があるにもかかわらず、計算してみるとすごく高齢で、202歳までご存命だったということは、現代では考えられないことですね。しかし、女性だからどうのこうのと言う事もおかしいですし、男性の方は200歳以上の方も、この時代は出ておいでですので、ご高齢もありだと言う説に納得をしなければならないと思いました。不思議は不思議として残しておかないといけないのだと、改めて思いました。

 

 以上、今日は短いですが、Webヲシテ講習会のご報告でした。Yさん、Tさん、Nさんが先生のお宅に見えたのかな?少し画面で見えて、お元気そうなお顔が見られて、嬉しかったです。( ◠‿◠ )

 

追伸:講習会の後は、久しぶりの自転車です

 

※コロナによる自粛で、出られませんでしたので・・(言い訳です)

長らく皆様にお会いできていませんが、元気にやっています。♪

 

「丹塗の矢」の伝説とは、どこから来ているのか?

  • 2020.05.22 Friday
  • 22:07

 

 前回の「大神神社の白蛇神の謎」に関連するお話で、これもまた、『ホツマツタヱ』に記載されている、よく似た話があります。この際、不思議つながりで、少し触れさせて頂きたいと思いました。

 

 『ホツマツタヱ』のどこの箇所かと言いますと、27アヤ「ミヲヤカミフナタマノアヤ」の後半、タマヨリヒメの御両親が亡くなって、姫が一人ワケツチカミに祈っているという所から始まるお話です。これもとても不思議なストーリーで、何が似ているかと言いますと、誰かわからないお方(かた)が、逃げ去るところがよく似ています

 

(ご存知!下鴨神社)

 

 今回ご紹介するのは、二箇所あります。

 先ずは、1、タマヨリヒメ「ウツロヰ」さんが近付いて問うので、「何者ですか?」と反対に問い返されて、「ウツロヰ」さんが飛び上がって逃げ去ったというお話と、

 もう1つは「シラハノヤ」のお話。2、タマヨリヒメが産んだ子が、3歳の時に「ヤ」を指差したら、「ヤ」が飛んで行ってしまったという話です。「ヤ」が、飛んで逃げたと考えてもいいですね。

 

 特に、後の「シラハノヤ」(白羽の矢)の話に関しては、『古事記』によって書き換えられたので、下鴨神社や各地に伝わる「丹塗りの矢」の話になっているのではないかと思います。私は、初めて下鴨神社へ行った時に特別拝観がありまして、神社の人にこの「丹塗矢」の話を聞かせて頂いたのですが、何故「丹塗矢」を床の間に置いておくと子が生まれ、子が瓦を突き破って空へと飛んでいくのか?不思議に思った覚えがあります。

 

 

(下鴨神社の丹塗矢の話:下鴨神社のHPより)

https://www.shimogamo-jinja.or.jp/about/shinwa/

 

 本当にどう考えても分からない、不可思議な話ではありましたが、幸いな事に、『ホツマツタヱ』をよく読んで、周辺の事情を考えてみますと、元々はどういう話だったのか、そして何を伝えようとしてたのかが、納得できたような気がしました。これも、大神神社の「白蛇伝説」の話と同じで、ハッキリとは言いにくい、秘め事があったというわけです。

 

 では、最初の「ウツロヰ」さんが出てくるところから、その箇所を見ていただきたいと思います。

 

ホ27-51(5893)

マタトワク ヨニチナムカヤ

ヒメコタエ ナニモノナレハ

オトサンヤ ワレハカミノコ

ナンチハト イエハウツロヰ

トビアガリ ナルカミシテソ

サリニケリ 

 

マタトワク   =また、(ウツロヰはヒメに)問いかけました。

ヨニチナムカヤ =「身寄りもなく、落ちぶれていくつもりですか?」

ヒメコタエ   =タマヨリヒメは、答えて

ナニモノナレハ =「あなたは何ものなのですか?

オトサンヤ   =どうして、この私を脅すのですか?

ワレハカミノコ =私は、(ワケイカツチの)カミの御子です。

ナンチハト   =あなたは、誰なのです?」と言いました。

イエハウツロヰ =その様に言いますと、ウツロヰは、

トビアガリ   =飛び上がって、驚き

ナルカミシテソ =雷の音を鳴らして、(又は「カミ」の姿になって)

サリニケリ   =去って行きました。

 

大意:

 また、「ウツロヰ」はタマヨリヒメに、問いかけました。「あなたは、身寄りもなく、このまま落ちぶれていくつもりですか?

 タマヨリヒメは、答えて言います。「あなたは何ものなのですか?どうして、この私を脅すのですか?私は、(ワケイカツチの)カミの御子なんですよ!そういうあなたは、一体誰なのですか!?

 その様に言いますと、「ウツロヰ」は、飛び上がって驚き、雷の音を鳴らして、(又は「カミ」の姿になって)逃げ去って行きました。

 

 ここで、「ウツロヰ」を「雷の化身」と取ると、面白い事に気づきます。タマヨリヒメが、「ワレハカミノコ」つまり、ニニキネさんの子であると言った時に、「ウツロヰ」が飛び上がったのは、「ウツロヰ」(雷)は、ニニキネさんには大恩があるので、頭が上がらなかったからです。ニハリノ宮の新築の際のことです。ウツロヰは、宮遷しの前にうっかり雷を落として垣根を壊してしまいました。それをアマテルカミに報告すると、「ウツロヰ」の社を潰せと強く言われました。しかし、ニニキネさんが何度もアマテルカミに頼み、「ウツロヰ」の社を潰すのを取り下げてくださった事があったのでした。

 だから、「ウツロヰ」にとっては、「ニニキネ」さんは大恩人であり、親分です。その親分の娘さんに声をかけてしまい、叱られたので、びっくりして逃げ去ったと思うと、面白いですね!

 

 また、「ウツロヰ」を「憂鬱でウロついている人」と取ると、新たな意味があって、興味深く思えます。「ウツロヰ」さんは、憂鬱な顔をしてウロついていた挙句に、モモソヒメに声をかけると、「あなたは、どなたですか?!」と、2度も問われて、身分を隠してのお出ましだったので、自分の正体がバレてはいけないと、びっくりして逃げ帰られたということになります。「ナルカミ」を「カミ」の姿に戻ってと取ると、高貴な方だったと言う事になりますね。

 さあ、この時に、憂鬱でうろついていた高貴な人って、どなたなのでしょう?・・・今回は、そこまでは触れないでおきますね。

 

(河合神社の絵鏡:美人さんのタマヨリヒメを描くようになっていますね)

 

 では、2つ目の「白羽の矢」が飛んで逃げたという話にうつります。

 

ホ27-53(5900)

      アルシノオケノ

トトマリテ オモハスヲノコ

ウミソタツ ミツナルトキニ

オサシテ チチトイウトキ

ハノホル ワケイカツチノ

カミナリト ヨニナリワタル

 

アルシノオケノ =主人の月経が

トトマリテ   =留まって、

オモハスヲノコ =意せずして、男の子を

ウミソタツ   =産み、その子が育ちました。

ミツナルトキニ =3歳になったときに、(行事の席で)

オサシテ   =その子は、「ヤ」を指差して、

チチトイウトキ =「お父さん」と声をかけると

ハノホル   =「ヤ」は、登って行ってしまいました。

ワケイカツチノ =この子の親は、ワケイカツチの

カミナリト   =カミであるとの噂が、

ヨニナリワタル =世間に広まりました。

 

 

大意:「ヤ」(=矢)としての訳

 

 主人(タマヨリヒメ)の月経が留まって、意せずして、男の子を産み、その子が育ちました。3歳になったときに、(行事の席で)その子は、飾ってあった「ヤ」(=矢)を指差して、「お父ちゃん!」と言うと、その「ヤ」(=矢)は、天に登って行ってしまいました。その後に、この子の親は、ワケイカツチの「カミ」(ニニキネさん)であるとの噂が、世間に広まりました。

 

 この訳ですと、いかにも不思議な話ですね。ところが、「ヤ」(=親)として訳をしなおしてみると、いかにもあり得るように思えます。これは、「ヲシテ文字」で読むからこそ、2通りの解釈がなりたつからですね。

 

もう1つの意味:「ヤ」(=親)としての訳

 

 主人(タマヨリヒメ)の月経が留まって、意せずして、男の子を産み、その子が育ちました。3歳になったときに、(行事の席で)その子は、「ヤ」(=親)を指差して、「お父ちゃん!」と言うと、「ヤ」(=親・お父ちゃん)は、殿の奥へ走り去ってしまいました。その後に、この子の親は、ワケイカツチの「カミ」(ニニキネさん)であるとの噂が、世間に広まりました。

 

 このように、タマヨリヒメは男の子を産み、その子が三歳になって行事に出た時に、父親が来ていたので、「お父ちゃん!」と声をかけたら、お父ちゃんは知られてはいけない身分なので、飛び上がって御殿の奥へと走り去ったと言う意味になりますね。

 

 漢字文献で読むと、不可思議だとしか思えない話も、「ヲシテ文献」で読むと、深い事情が裏に重ねられた話になっている事に気づけます。判る人には解り、分からない人には不思議な話として受け入れてもらえるように書かれていたように思えます。日本の古代史は、「ヲシテ文献」を読んでこそ、現代に生きる我々にも伝わってきますね!

 

 以上、今日は前回に引き続き、不思議な話つながりで、「丹塗矢」の伝説の不思議について、書かせて頂きました。対訳で、何か間違っていると思われる箇所がありましたら、是非コメント下さいね。(^○^)

今日も最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございました。

 

 

白蛇神の謎:「大神神社」に伝わる白蛇の「カミ」とは、いったい何だったのか?

  • 2020.05.20 Wednesday
  • 23:04

 

 私は、以前から大神神社に伝わる白蛇さま(みーさま)について、なぜ蛇が神として祀られているのか?また、蛇が好きな卵(たまご)も、なぜお供えされているのか?その辺のところが、不思議でならなかったのです。龍(たつ)も神として祀られていますが、蛇(へび)の神とも何か関係があるのか?そこのところも複雑で、どうにもよくわからなかったのですが、今回この『ホツマツタヱ』34アヤ「モモソヒメ」についての記述を読んでいて、何かスッキリと自分の中で、答えが見出せたというような気が致しました。

 

(大神神社の巳の神杉:白蛇を祭り、たまごのお供えをします)

 

 この話は、『古事記』の記述を元として、神社の伝説として伝わっているところが主だと思いますが、もちろん『古事記』では、話が貶められ創作されすぎていますので、本当の意味などは解りません。また、『日本書紀』にも同様のことが書かれていて、こちらの方が、まだ筋が通ってはいますが、やはり大元の原書は『ホツマツタヱ』ですので、漢訳してしまっては、残念ながら本当の意味までは読み取ることができません。どうしても『ホツマツタヱ』から、「ヲシテ文字」のヤマトコトハで、読み解くしかないことになります。

 

(大神神社の巳の手水舎:大きなたまごを抱いているように見えます)

 

 不思議な話を理解できるようになったのも、『ホツマツタヱ』に出会えたお陰です。それでは、『ホツマツタヱ』の今回の「白蛇の謎」に関わる箇所、モモソヒメオホモノヌシの妻となるところから、転記させていただきたいと思います。「ヲシテ文字」で書けないのは残念ですが、カタカナ書きの対訳で、見ていって頂ければ、『日本書紀』以上に、作者の意図が伝わってくるのではないかと思います。

 

ホ34-14(8834)

モモソヒメ オホモノヌシ

ツマトナル ヨニハキタリテ

ヒルミエス アケナハキミノ

ミスカタオ ミントトムレハ

カミノツケ コトイチシルシ

 

ワレアシタ クシケニイラン

ワカスカタ ナオドロキソト

モモソヒメ ココロアヤシク

アクルアサ クシケオミレハ

コヘヒアリ ヒメオトロキテ

 

サケヒナク オホカミハチテ

ヒトトナリ ナンチシノヒス

ワガハチト オホソラフンテ

ミモロヤマ ヒメアホキハチ

ツキオルニ ハシニミホドオ

 

ツキマカル オイチニウツム

ハシツカヤ ヒルハヒトテニ

ヨハカミノ オオサカヤマノ

イシハコヒ モロアイツキテ

タコシガテ ハカナルノウタ

 

オホサカモ ツキノカオソヱ

イシムラオ タコシニコサハ

コシカテンカモ

 

対訳:

 

モモソヒメ   =モモソヒメは、

オホモノヌシノ =オホモノヌシの

ツマトナル   =妻になりました。

ヨニハキタリテ =夜には、御出でになるのですが、

ヒルミエス   =昼は、姿が見えません。

アケナハキミノ =明るい時に、貴方の

ミスカタオ   =御姿を、

ミントトムレハ =見とうござりますと、求めると

カミノツケ   =カミ(旦那様)が告げられるには、

 

コトイチシルシ =「これは、そのとおりです

ワレアシタ   =私は、明日の朝

クシケニイラン =櫛箱に入っておりましょう。

ワカスカタ   =私の姿を見て、

ナオドロキソト =驚いてはいけませんぞ」と仰いました。

 

モモソヒメ   =モモソヒメは、

ココロアヤシク =不思議なことだと思いながら、

アクルアサ   =翌朝に、

クシケオミレハ =櫛箱を開けてみると、

コヘヒアリ   =その中に、小蛇がいました。

ヒメオトロキテ =姫は驚いて、

サケヒナク   =叫び泣きました。

 

オホカミハチテ =オホモノヌシのカミは、恥じて

ヒトトナリ   =人となって現われ

ナンチシノヒス =「あなたは、びっくりして我慢できなかったのですね!

ワガハチト   =これは、私が悪かった!私の恥です」と言い、

オホソラフンテ =大空の元、駆け足で

ミモロヤマ   =ミモロヤマの方へ走り去りました。

 

ヒメアホキハチ =姫は空を仰ぎ、御姿を見たいと言ったことを恥じて

ツキオルニ   =お腹に子が居るのに、

ハシニミホドオ =箸で、陰部を

ツキマカル   =突いて、お亡くなりになりました。

オイチニウツム =遺体をオイチに埋葬しましたのが、

ハシツカヤ   =ハシツカ(箸塚)の陵です。

 

ヒルハヒトテニ =昼は人の手によって、

ヨハカミノ   =夜は、カミの手によって、

オオサカヤマノ =オオサカ山からの

イシハコヒ   =石を運び、

モロアイツキテ =皆が連携して、

タコシガテ   =「助けの御輿」で、担いで運びました。

ハカナルノウタ =この様にして墓をなしたウタです。

 

オホサカモ   =「オホサカ(大きなサカ=大変な坂)も

          (オホモノヌシのサガ(=罪)だとしても)

ツキノカオソヱ =皆が連携で、力添えをして

          (貴女が妻となり、継ぎ子の力添えを得たなら、)

イシムラオ   =沢山の石を運ぶことができました。

          (石だらけで越せないような村でも、)

タコシニコサハ =皆の「助け御輿」で越すことができた、

          (助け御輿でなら越せるように、乗り越えられたでしょう)

コシカテンカモ =その御輿こそ、天の助けなのでしょう」

          (そうすれば、その子の世もあったことでしょう。)

 

大意:

 

 モモソヒメは、オホモノヌシの妻になりました。それが不思議なことに、夜には、御出でになるのですが、昼は、お姿が見えません。そこで、モモソヒメは、「明るい時に、貴方の御姿を、見とうござります」と申されました。そうしますと、「カミ」(=旦那様)が告げられるには、「これは誠に、そのとおりです。それでは、私は明日の朝、あなたの櫛箱に入っておりましょう。しかし、私の姿を見ても、決して驚いてはいけませんぞ!」と仰いました。

 

 モモソヒメは、不思議な事を言われるものだと思いながら、翌朝に、櫛箱を開けてみると、その中には、なんと小蛇がいました。姫はもうびっくりして、叫び泣きました。そこに隠れていた「オホモノヌシ」のカミは、これは申し訳ないことをしたと、恥じ入って人となって現われ「あなたは、驚きのあまり、我慢ができなかったのですね!これは、私が悪かったのです!あなたが悪いのではない、私の恥です。」と言い置くと、大慌てに走って、ミモロヤマの方へ去って行きました。

 

 姫は空を仰ぎ、「御姿を見たい」と自分が言ったことを恥じて、お腹に子が居るのに、箸で、陰部を突いて、亡くなってしまいました。その姫の遺体をオイチに埋葬しましたのが、ハシツカ(箸塚)の陵です。この箸塚の陵を作るには、昼は人々の手によって、夜は、「カミ」の手によって、オオサカ山から石を運び出し、皆が連携して「タコシ」(=助け手の御輿)を担いで運びました。この様にして皆が力を合わせて墓をなしたウタです。

 

オホサカモ ツキノカオソヱ

イシムラオ タコシニコサハ

コシカテンカモ

 

 

「ウタ」の意味:

「オホサカ(大きなサカ=大変な坂)を超えるにも皆が連携で、力添えをしてくれましたので、沢山の石を運んで立派な陵を作ることができました。皆の「タコシ」(=助け手の御輿)で越すことができた、その御輿こそ、天の助けというべきなのでしょう」

 

この「ウタ」のもう1つの悲しい意味:

「オホモノヌシのサガ(=罪)だとしても、貴女が妻となり、継ぎ子の力添えを得たなら、石ころだらけで越せないような村でも、助け手の御輿でなら越せるように、無事に乗り越えられたことでしょう。そうすれば、その子の世もあったかも知れないと思うと、とても不憫です。」     

 

 

(大市の箸墓古墳:モモソヒメの墓)

 

感想:「白蛇」のカミの意味

 

 この話の始まりは、いきなりですが「モモソヒメ」が「オホモノヌシ」の妻になるところから始まります。その「オホモノヌシ」というのは大神神社に祀る「カミ」という事なのですが、クシヒコさんのことですので、そうだとしたら、もう天におられるご先祖様ということですね。ですから、本当は誰なのだ?ということになります。

 そのオホモノヌシ」が誰?ということは、「モモソヒメ」自身も分かりませんでした。そこで、「貴方を、明るい時に見たい」と言いますと、「オホモノヌシ」は、困って「明日の朝、櫛入れに入っている」と返事をします。「オホモノヌシ」とはクシヒコさんだから、櫛入れと言ったのでしょうか?そこのところは、咄嗟のごまかしで、気軽なウソをついてしまった様に思えます。何れにしても、その場を凌ぎの冗談ですね。

 

 ところが、「モモソヒメ」は真剣です。その訳は、既に子ができた自覚があったからなのだと思います。翌朝になって、櫛箱を開けると、そこには小蛇が居ました。蛇嫌いな女性なら、驚いて泣き叫ぶのも目に浮かびますね! 一寸びっくりさせるだけの積りだったのが、驚かせすぎの失敗でした。隠れて見ていた「オホモノヌシ」も流石に申し訳なく思って、出てきて謝りますが、正体がバレて居たたまれなくなり、ミモロヤマの方へに逃げ去ります。

 しかしながら、今度悩みこんだのは、「モモソヒメ」の方でした。「オホモノヌシ」が誰かなんて知らなければ良かったと、深く気を病んで、子を堕ろそうとミホト(陰部)を突き、亡くなってしまいます。

 

 以上が、大まかな話の流れですね。ここで、「白蛇」とは何であるか?との問いの答えは、「オホモノヌシ」が悪戯で「モモソヒメ」の櫛笥(くしげ)の中に入れた「小蛇」のことで、あの時のオホモノヌシ」の象徴という事になりますね。また、「白蛇」へのお供えの卵(たまご)」とは何であるか?についての答えは、「オホモノヌシ」と「モモソヒメ」との間に産まれてくるはずだった、お子さんと言うことになるのだと思います。「白蛇」と「たまご」これをお祀りしている意味がわかると、とても悲しい物語が秘められていたことに気がつきます。

 

 私は思いました。「オホモノヌシ」が誰であるかは、詮索しないでおくべき事柄なのだと。だから、白蛇の伝説として残っているのですね。ただ、モモソヒメは「疫病」の終息に、とても大切な役割を果たして下さった方ですので、あまりにも残念なことです。このことを知った崇神天皇も、「モモソヒメ」をとても憐れに思われ、大神神社と纏向の宮との間のとても近い場所である、「オイチ」(大市)に「ハシツカ」(箸墓古墳)の陵を造ってあげました。そして、モモソヒメが「タケハニヤス」の乱を見抜いて、初戦で破ることができた、あの「オオサカヤマ」から石を皆に持たせ、陵に敷き詰めさせて下さいました。

 

 陵に捧げる歌も、きっと崇神天皇の御製だと思います。そのウタの意味も、裏に隠された意味は、モモソヒメ」とその子の事をとても残念に思われ、嘆いておられる悲しい歌になっています。モモソヒメには、いくら感謝をしてもしきれないお気持ちだったのだと思います。( ;∀;)

 

 今度「大神神社」へ参拝に行った時には、白蛇のみーさまと、お供えの卵にも、私も心を込めてお祈りしてこようと思います。

 以上、今日は大神神社の白蛇神(みーさま)について、お話をさせていただきました。最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございます。

 

(箸墓古墳の位置:崇神天皇のおられた纏向の宮にとても近い場所に造られました)

 

 

追伸:「大神神社」のホームページより

 

蛇体の神と卵

 崇神(すじん)天皇の御代に神意を伝える巫女として天皇のまつりごとを助けた倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)という方がおられました。この姫が大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の妻となられるのですが、大神は夜にしか姫のもとを訪れません。姫は貴方様の顔をはっきり見たいと大神に願い出られます。もっともな事と、姫の申し出を聞き届けた大神は、姫の櫛を入れた箱の中にいるが、箱を開けても決して驚いてはならぬと念を押しました。不審に思いながらも明朝に姫が箱を開けると、そこに小蛇が入っており、驚きのあまり姫は悲鳴を上げてしまいます。大神は蛇からたちまちに麗しい男性に姿を変え、約束を破ったことを責め、二度と姫とは会えぬと大空を翔けて三輪山に帰ってしまわれました。そして後悔した姫は箸で女陰を突いて命を落としてしまわれました。このことから百襲姫(ももそひめ)の墓は箸の御墓(みはか)と呼ばれました。三輪山の麓にある箸墓(はしはか)にまつわる、この悲しいお話が『日本書紀』に記されています。

ーーーーーー

※『日本書紀』にも、『ホツマツタヱ』と同じ様な物語が書かれていますが、正確な訳にはなっていないように思います。『日本書紀』では大神が、百襲姫が約束を破ったことを責めたとなっていますが、『ホツマツタヱ』では、大神は「自分が悪かった」と全面的に謝っているように、私には思えます。

 

 

「タケハニヤス」の乱:これもアフターパンデミック?!

  • 2020.05.16 Saturday
  • 14:33

 

 前回の33アヤまでは、ヲシテ時代のパンデミックの話についてのお話でしたが、今回の34アヤからは終息してからの話になります。現在の世界も「新型コロナ」のパンデミックが一応収まってはいますが、まだ終息とまでは行っていないようです。しかし、仮に収束したとしても、むしろそれからが問題と言える程のことになりそうです。

 

 これは、ヲシテ時代でもその通りであったようで、現代のような世界規模の複雑さまでは行きませんが、この「疫病」に起因する、国内の騒乱がこの後に続いています。既に33アヤの最後のところにありましたが、国の中央では収まっていても、遠方の方々に騒乱を起こす分子が起こり、四方へ平定部軍を向かわせなければならなくなりました。

 

 ところが、敵は外だけにあらず、皇族の中に謀反を起こす勢力が現れて、外からだけではなく、内側から国が崩れ去るという危機も起こって来るのです。

 それが今回のお話の中心となる「タケハニヤスの乱」ということになります。ミマキイリヒコ(崇神天皇)さんの朝廷に謀反を起こそうとする「タケハニヤス」という人物ですが、皇統の系図を辿ってみますと、2代前の8代孝元天皇の御代には、皇位継承権もあった事と考えられる、高貴なお方なのですね。下の図が、崇神天皇と「タケハニヤス」の関係を示す系図になります。

 

(崇神天皇と「タケハニヤス」との関係図)

※崇神天皇の出生は、母がイカシコメイキシコメと名を変えて

2代続いての天皇の后となられたことが、問題でした。

 

 

 「タケハニヤス」は、皇族の方ですので、10代のミマキイリヒコ(崇神天皇)さんが皇位を継承された経緯も、もちろん知っていて、あってはならぬ縁組によって産まれた子であるという認識もあった事と思います。そのせいで、今回の「疫病」が起きて国民の約半数が亡くなったのだと考えれば、「タケハニヤス」としても、もうこれ以上現天皇のミマキイリヒコ(崇神天皇)さんに政(まつりごと)を任せるわけには行かない、自分が代わって皇位を継承しようとされた事も、十分に考えられるのではないかと思えます。ですから、「タケハニヤス」が、単なる悪人というわけでも無く、世直しせねばという思いもあったのかも知れません。しかしそれなら、勿論話し合いによる譲位という事もできますので、隙をついた謀反というのは、明かに間違った行為であります。

 

 乱を起こす前には、カンヤマトイハワレヒコ(神武天皇)さんのヤマト撃ちの時のように、「タケハニヤス」の妻の「アタヒメ」が、カクヤマの埴土を持って行き、ヒラテ(お供えの皿)を作ろうとします。これによって、謀略が知られる事になりますが、この謎解きができたのも、呪力に長け、頭が良い「モモソヒメ」のお陰なのでした。先ずは、そこの箇所までを掲載させていただきますね。

 

 (※対訳は、ヲシテを勉強される方の参考になるのではないかと思って、いつも掲載させていただいています。何か訳がおかしいと思われる点がありましたら、コメントくださいね♪)

 

ホ34−1

ミヅカキノ トホナノソナカ

コシノヲシ オオヒコカエリ

モフサクハ ユクヤマシロノ

ナラサカニ オトメガウタニ

ミヨミマキ イリヒコアワヤ

オノガソヱ ヌスミシセント

シリツドオ イユキタガヒヌ

マエツドヨ イユキタガヒテ

ウカガワク シラジトミマキ

イリヒコアワヤ

 

ミヅカキノ   =崇神天皇の御代

トホナノソナカ =10年9月17日に、

コシノヲシ   =越国の勅使に任命した

オオヒコカエリ =オオヒコが帰ってきて

モフサクハ   =申し上げました。

ユクヤマシロノ =ヤマシロ(京都)を行くときに

ナラサカニ   =ナラサカ(奈良の北部)で、

オトメガウタニ =乙女が(不思議な歌を)歌うのです。

ミヨミマキ   =「気をつけよ、ミマキ

イリヒコアワヤ =イリヒコ、アワヤ(危険です!)」

オノガソヱ   =ご自分の腹心の部下が、

ヌスミシセント =盗みをしようとしているのに、

シリツド   =それを知りつつ、土産を持たせている。

イユキタガヒヌ =行けば裏切られます。

マエツド   =マエツド(持っていく物・印)があります。

イユキタガヒテ =出かけて裏切ろうとして、

ウカガワク   =様子を伺っています。

シラジトミマキ =それを知らないで、ミマキ

イリヒコアワヤ =イリヒコ、アワヤ(危険です!)

 

 この歌のことは、前回の33アヤで既に出てきましたね。越の国の勅使として遠い国の平定に出かけたオオヒコが、乙女の歌う不思議な歌を聞いて、怪しんで都へ帰ってきました。遠くへ行っている場合ではない、その前に敵は近くにありと言うことですね。ヤタガラスというのでしょうかね、常に見張っている存在がいて、敵に気付かれにくいように少女に歌を歌わせて知らせたのでしょうか。崇神天皇は早速みんなと相談したところ、このウタの謎解きをモモソヒメが見事にやってくれました

 モモソヒメが、謎解きをした記述が次に続きます。

 

ホ34−3

シルシカト キミコレハカル

モモソヒメ ウマレサトクテ

コレオシル キミニモフサク

コレシルシ タケハニヤス

ソムクナリ ワレキクツマノ

アタヒメガ カグヤマハニオ

ヒレニイレ イノリテクニノ

モノザネト コレニコトアリ

ハヤハカレ モロハカルウチ

ハヤスデニ タケハニヤス

アタヒメト イクサオコシテ

ヤマシロニ ツマハオオサカ

ミチワケテ トモニオソフオ

ミコトノリ イサセリミコオ

オオサカエ ムカヒアタヒメ

ウチヤフリ ツイニコロシツ

 

シルシカト   =これは、謀反の知らせかと、

キミコレハカル =崇神天皇は、トミらと相談しました。

モモソヒメ   =モモソヒメは、

ウマレサトクテ =生まれながら頭が良くて、

コレオシル   =このウタの意味が解りました。

キミニモフサク =君に申し上げました。

コレシルシ   =「これは、知らせです。

タケハニヤスノ =タケハニヤス

ソムクナリ   =謀反を起こそうとしているのです。

ワレキクツマノ =私は噂を聞きました。妻の

アタヒメガ   =アタヒメが、

カグヤマハニオ =カグヤマ(香久山)の土を

ヒレニイレ   =ヒレ(腰布)に入れて、

イノリテクニノ =祈って国の

モノザネト   =モノザネ(象徴)にしたと。

コレニコトアリ =これは、事件です。

ハヤハカレ   =早く討伐の策を練って下さい。

モロハカルウチ =皆が作戦を練っているうちに、

ハヤスデニ   =もはや既に、

タケハニヤスト =タケハニヤス

アタヒメト   =妻のアタヒメとが、

イクサオコシテ =軍を興して、(タケハニヤスは)

ヤマシロニ   =ヤマシロ(京都)に陣取りました。

ツマハオオサカ =妻のアタヒメは、オオサカに陣取り、

ミチワケテ   =地域を分担して、

トモニオソフオ =同時に襲撃しようとしていました。

ミコトノリ   =そこへ、崇神天皇は詔を出されます。

イサセリミコオ =イサセリミコを

オオサカエ   =オオサカへ

ムカヒアタヒメ =向かわせて、アタヒメを先ず、

ウチヤフリ   =撃ち破って、

ツイニコロシツ =遂に殺してしまいます。

 

 このように、モモソヒメは、この歌からタケハニヤスが謀反を起こそうとしている事を悟ります。それは何を証拠としたかと言いますと、この歌には「マエツト」(前に持って出かける物)があるというヒントがありました。そこで、モモソヒメは、妻のアタヒメがカグヤマ(香久山)の埴土を持って出て、それを国の象徴のようにして祈っていたという噂を聞いていたので、この事実に合致すると気づいたからでした。神武天皇のヤマト撃ちの話で、香具山の埴土でヒラテ(お供えのお皿)を作って戦勝を祈ったことが書かれていますので、戦支度が推測できますね。

 

 事前に気づいてしまえば、平定する事も容易くなります。夫のタケハニヤスと妻のアタヒメとは、同時多発テロのように、場所を分けて襲撃する作戦に出ましたので、先ずは弱い方の軍を破ります。急いでイサセリミコオオサカへ向かわせて、妻のアタヒメの軍を破って、打ち殺してしまいます。

 そして、次には夫のタケハニヤス軍です。流石に本体の軍は簡単には倒せませんが、最後には木津川を挟んで、弓矢の打ち合いで、ヒコクニフクの射る矢が川北のハニヤスに当たって勝敗がついたと書かれています。

 

 こうして、とりあえずは内乱が平定されたということになります。日付順に追ってみますと、とても迅速に内乱が平定された事が分かります。

 

「タケハニヤスノ乱」平定の日付順:

 

 ミマキイリヒコ(崇神天皇)の10年

9月9日:ヲシ(一次平定軍)が四方へ遣わされる。

9月15日:「オオヒコ」がナラサカで乙女のウタを聞く

9月17日:ミヅカキの宮(纏向)へオオヒコが帰る

   (モモソヒメが歌の意味を解読して、早速タケハニヤス討伐軍が

    編成されて、戦が始まる。そして、勝利し平定する。)

10月1日:詔が出され、再度ヲシ(勅使)が遣わされることになる

   (二次出兵の軍備にかかる)

10月22日:ヲシ(二次の勅使)が四方へ出発する。

 

 さて、「疫病」を収束させる為にどうしたら良いか、何が足りていないかを呪術的に示唆してくれた「モモソヒメ」、またタケハニヤスの謀反についても読み解きをしてくれたのが、「モモソヒメ」でした。ここまでくると、もう崇神天皇にとっては、なくてはならない存在になっていたことが想像できます。

 

 その次の展開は、何故かいきなり「モモソヒメ」は、オホモノヌシの妻となったと書かれています。それではいったい、この「オホモノヌシ」って誰???と、いうことになります。大神神社の「カミ」のクシヒコさん??・・・だとしたら、実在の人物ではないのではないでしょうか。それとも、他の誰か新しい大物主なのでしょうか?

 

 この続きが、次回になります。ここからが、ますます面白いところですね。大神神社に伝わる蛇のカミの意味。私は、本当に不思議でしたけれど、いよいよその意味も解ることになりそうです。次回を是非、お楽しみに。

 

ではまた。

 

 

追伸:台所でできる椎茸です

 

(椎茸キット:ベースに水をかけるだけで、3〜4日程で

こんなに大きくなったので、びっくりしています!∑(゚Д゚))

 

ヲシテ時代のパンデミック(その6):霊返しの祝詞と反乱

  • 2020.05.10 Sunday
  • 14:04

 

 「新型コロナウイルス」による緊急事態宣言5月6日から31日までと延長になり、一度は落胆と先々の不安で焦りも募りましたが、幾日か経つうちに、マスコミの報道にも変化が現れ、世の中の緊張感も少しは和らいで来たのではないでしょうか。しかし、マスコミによる脅しと緊張の引き延ばしは、まだまだ続きそうです。

 

(我が家の花紹介(その1):芍薬

※立てばシャクヤク、座ればボタンと言われますが、芍薬は牡丹に比べて、

ずいぶんと背が高くなりますね。

 

 私の個人的な意見ではありますが、世の中が見えない黒幕にウラで操られているとは言え、政府もマスコミ関係者も、あまりの急激な経済の締め付けに、自分たち自身も怖くなって来ているのではないかと思います。行き過ぎた脅しによる経済破壊は、既得権益にとっても、周り回って自分自身を脅かすことになりますからね。皆様は、最近の様子を、どの様にお感じになっておられるでしょうか。

 

 さて、禍いのあとには浄化もあり、国民意識がレベルアップするという良い事もあります。それは、ヲシテ時代の崇神天皇の御代にもあって、公衆衛生の意識も更に上がり、正しい祭りの徹底も行われましたね。現代においては、「アセンション」という言葉でも言われますが、大災難の時代を生き残った人は、肉体的にも魂的にもレベルアップすると言う事がありますね。今回の「新型コロナ」騒動でも、この問題が終わった時には、国民の意識もある意味では、成長しているでしょうね。しかし、世の中がまた元に戻るかと言うと、そういう事も考えられません。既に「外出自粛」を背景に、新しい技術が使われる時代になってきましたし、これを境に、時代が大きく変わることは、もう間違いのないことのように思えます。

 

(我が家の花紹介(その2):牡丹

※牡丹の花は、儚い命。いつも冷たい風雨の時期に咲きます。

 

 誰もが次の時代に対応できる人間へと、自分自身を変革していかないといけない、大変な時なのですね。ですが、幸いと言っては何ですが、自粛と「ステイ、ホーム」で時間的な余裕のあるうちに、自分自身を見つめ直せると考えれば、ある意味ありがたい事でもあります。自分自身を変えるのは、平生でも中々大変なことではありますが、少しでも良くなる方へ向けば、それで良しと気楽に考えれば、チャンスでもあります。

 

 では、どんな人間へと変革すべきか?それは、やっぱり自立型の人間へと変化すべきでしょうね。「新型コロナ」への対応でも見られたように、もう政府に頼ることもできませんし、誰かが明るい良い時代にしてくれるわけでもありません。私達一人ひとりが、自分で明るく、楽しい人生にして行かないといけません。とりあえずは、自分で勉強して自分で何かの役に立つと言う考え方でしょうか。自分の人生は、自分で明るくするという前向きな人が力を合わせて、元気で楽しくて、笑顔が溢れる世の中を作り上げていくのが、新時代に求められているのだと思います。

 

 自分の楽しみは自分で見つけ、明るい希望を持つ。『ヲシテ』の講習会に来ておられる方は、既に出来ている方ばかりだとは思いますが、これなら誰にでもできて簡単な「アセンション」なのではないかと、私は思います。いつも楽しい事を考えるクセをつけるだけでも、人生が少しずつ切り開かれるのかも知れませんね。でも、明るく考えるには、やはり正しい知識も必要です。垂れ流しの情報は、恐怖を植え付けるための「ウソ」が多いですからね。

 

 幸いなことに、私たちは池田先生の永年のご研究のお陰で、「ヲシテ文献」に出会い日本の真実も知ることが出来ましたので、幸せですね。今日も少しずつ読み進めて、縄文哲学の素晴しさを心の中に蘇らせたいと思います。『ホツマツタヱ』が、『古事記』『日本書紀』に置き換わる日が来たら、きっと明るい時代がやってくる事でしょう。

 さてさて、今回の箇所は、戦があった場所の地縛霊の「タマカエシ」をするという記述が出てきますよ。アモトからの「タマ」(霊)の概念は、とても重要なことですね。では、今日も是非、楽しくお付き合い頂きたいと思います。(^○^)♪

 

(我が家の花紹介(その3):チューリップ)

※チューリップの時期は、もう終わってしまいましたが、

この花が咲くと、春が来たなって感じます。

 

ーーーーーー

 9年3月15日、崇神天皇の夜の夢に、又「カミ」(=クシヒコさん)が出てきて、このように告げられました。

 

      カシキホコタテ 

カミマツレ ウタスミサカモ

オオサカモ カワセサカミオ

ノコリナク コレツミヒトノ

シイトトム ヱヤミナスユエ

 

カシキホコタテ =赤・白・黄色のユフに、ホコ(鉾)を立てて

カミマツレ   =(バサラ(=場の清め))のカミ祭りをしなさい。

ウタスミサカモ =ウタスミサカ(宇田の墨坂)も

オオサカモ   =オオサカも、

カワセサカミオ =カワセサカ(彦根河瀬神社)、ミオ(三尾神社・水尾神社?)

ノコリナク   =残りなく、(場を清める祭りをしなさい)。

コレツミヒトノ =これは、罪人の

シイトトム   =シイ(執着の悪念)が留まっていると、

ヱヤミナスユエ =疫病の原因となるからです。

 

意訳:(崇神天皇へ夢の告げ)

 「赤・白・黄色のユフに、ホコ(鉾)を立てて(バサラ(=場の清め))のカミ祭りをしなさい。ウタスミサカ(宇田の墨坂)もオオサカも、カワセサカ(彦根河瀬神社の辺り)、ミオ(三尾神社・水尾神社?)も、残りなくバサラ(場を清める)のカミ祭りをしなさい。これは、罪人のシイ(執着の悪念)が留まっていると、疫病の原因となるからです。」

 

キウイ:今年は大胆な剪定をして、葉っぱが一枚も出ないのか?と

心配しましたが、無事に少し葉が伸び始めました!(^ ^))

ーーーーーー

 崇神天皇の夢で、このようなカミの告げがありましたので、そこで、「タマカエシノリ」をする事になります。

 

ウスエフカ ヲトミカシマト

タタネコト タマカエシノリ

マツラシム コレニアカルキ

 

ウスエフカ   =(9年の)4月22日に、

ヲトミカシマト =ヲトミのヲヲカシマと

タタネコト   =タタネコとに、

タマカエシノリ =「タマカエシノリ」(=迷える霊をアモトヘ還す祝詞)の

マツラシム   =祭りをさせました。

コレニアカルキ =これで、霊も還って場が清められました。

 

意訳:

 (9年の)4月22日に、ヲトミのヲヲカシマタタネコとに、「タマカエシノリ」(=迷える霊をアモトヘ還す祝詞)の祭りをさせました。これで、霊も還って場が清められました。

ーーーーーー

 このように、見えない「タマ」(=霊)の存在も考えているのが、日本の特徴なのですね。「アモト」(=宇宙の中心)から来た「タマ」(=霊)をまた、アメミヲヤの元に無事に返してこそ、厄(わざわい)が終わり、場が清められると考えられていたようです。日本は、見えない世界をも見える世界と同等に大切にするという習慣がありますね。

 先の戦争の際にも、外国兵と戦って、敵の霊も丁重に弔ったと言います。昭和の日本兵にまで、この伝統は受け継がれているのだと思います。

 

 さて、翌年のことです。崇神天皇の10年7月24日に、勅(みことのり)が発せられます。それは、遠方のクニで朝廷に反抗している族が多々居るので、ヲシエ伝えに行って来るようにとの司令でした。そこで、9月9日には、四方へ「ヲシ」(=勅使)が遣わされます。

 

1、オオヒコはコシ(越のクニ)のヲシ

2、タケヌナガワケは、ホツマ(関東地方)のヲシ

3、キビツヒコは、ツサ(西南地方)のヲシ

4、タニハチヌシは、タニハ(丹波のクニ)のヲシ

 

 ヲシエを受けなかったら、ホコロバセ(殺すのも止む無し)との命を受けて、4名の勅使が、軍(いくさ)立ちをして担当する地方へ旅立ちます。

 ところが、出かけて一週間後の9月の15日に、オオヒコはナラサカ(奈良の北部)で、一人の乙女に出会い、不思議なウタを歌うのです。オオヒコは、訝(いぶか)しく思って、乙女にウタの意味を問いますが、乙女も歌っているだけと言って居なくなりました。そこで、胸騒ぎがして、帰って来ました。その乙女のウタが、これです。

 

ミヨミマキ イリヒコアハヤ

オノガソヱ ヌスミシセント

シリツトオ イユキタガヒヌ

マエツトヨ イユキタガヒテ

ウカガワク シラシトミマキ

イリヒコアワヤ

 

ミヨミマキ   =「気をつけよ、ミマキ

イリヒコアハヤ =イリヒコ、「あわや」(危ない!)

オノガソヱ   =ご自分の腹心の部下が、

ヌスミシセント =盗みをしようと

シリツトオ   =しているのに、土産を持たせている。

イユキタガヒヌ =出かければ、裏切られる。

マエツトヨ   =前兆(手土産・印)があります。

イユキタガヒテ =出かけて、裏切ろうと

ウカガワク   =伺っています。

シラシトミマキ =それを知らずに、ミマキ

イリヒコアワヤ =イリヒコ、「あわや」(危ない!)」

 

大意:

 「気をつけなさい、ミマキイリヒコ、「あわや」(危ない!)ご自分の腹心の部下が、盗みをしようとしているのに、土産を持たせている。出かければ、裏切られます。それには、何か持ち出す印があります。出かけて、裏切ろうと伺っています。それを知らずに、ミマキイリヒコ、「あわや」(危ない!)」

 

イチジク:こちらも昨年の大胆な剪定で細い木が一本になりましたが、

無事に昨年も実をつけてくれました。今年も大丈夫でしょう\(^o^)/)

 

ーーーーー

まとめと感想:

 今日の箇所では、ヱヤミ(疫病)の禍(わざわい)は、「タマカエシノリ」によって場の清めを終わり、全て終わったかに見えました。しかし、今度は、朝廷の弱みにつけ込んで謀反を企てる者が現れるというところに来ましたね。次は、それを平定するという話に移りますが、やはり疫病の後は国力が弱りますので、各地で反乱が起きてきますね。とりあえずは、不思議な乙女が謀反の企てを教えてくれたので、良かったです。

 このことを今回の「新型コロナウイルス」騒動にも当てはめて考えてみますと、収束後も経済的な対策が、大きな問題として残りますね。現代はむしろ、こちらの対策の方が、本当の問題のように思えます。また、外国からの侵攻にも、対応して行かなければならないので、これからがいよいよ大変になりそうです。この点は、現代も崇神天皇の紀元前の時代も同じ事のようですね。

 

 以上、今回の記事で33アヤの崇神天皇の時代の疫病蔓延(パンデミック)のお話は終わりますが、次の34アヤ「タケハニヤスの乱」へと続きます。この乱の平定の話も面白いですが、いつも頼りになる「モモソヒメ」と崇神天皇の関係の話も凄く興味深いですので、また機会がありましたら、ご紹介させて頂きたい気持ちでおります。『ホツマツタヱ』は、本当に奥が深いですね。

 

 今日も、最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

 

追伸:武田邦彦さんの「ホントの話」

  コロナ対策の科学的な話だと思って、いつも参考にさせて頂いています。

 

ヲシテ時代のパンデミック(その5):後の祭り(疫病終息後のこと)

  • 2020.05.07 Thursday
  • 13:54

 

 令和のコロナパンデミックが続いています。「緊急事態宣言」が出されて、5月6日の時点で終わる筈でしたがやはり予想通りに延長され、また5月末まで続くことになりました。この令和のコロナパンデミックを考える上で、ヲシテ時代の景行天皇さんが疫病蔓延の際に執られた政(まつりごと)を参考に見ていこうとしているのですが、現代の問題との決定的な違いがあります。ヲシテ時代のパンデミックはウイルスや細菌による本当の疫病だったのですが、現代の「パンデミック」は疫病の恐怖を利用した「脳内ウイルス」によるパンデミックの方が、中心だということです。

 

 もともと、現在陥っている「新型コロナウイルス」による「緊急事態宣言」は、科学的な統計による数字で考えてみれば、「注意レベル」にも達しておらず、例年のインフルエンザに比べれば、報道するにも値しないほどの少ない患者数です。国内について言えば、インフルエンザで年間の死者が約1万人という数字に比べて、コロナによる死者は水増しされた数字でも、数百人のレベルです。未知のウイルスだから怖いと言いますが、毎年ウイルスは変異していますので、それが当然とも考えられます。確かに、急な発熱を伴うという特徴はあるようですが、たった1つの疾病を殊更に恐れて、それ以外の不安から一切目を逸らすのは、狂気の沙汰としか思えません。

 

 例えば、子供の教育について、期待も不安も色々あると思います。それを、たった1つの病気が心配なあまりに、全国の学校が全て揃って、学業を停止してしまうというのは、子供達の可能性をまとめて全部葬り去ると言うことにはならないのでしょうか。経済について言えば、多くの人にとって、頑張って働いても苦しいのが現状だと思いますが、働くことさえ国から禁止されれば、生きることそのものを否定された、という事にならないのでしょうか。「三密」(さんみつ)を避けて、海岸へ散歩に行っている人達に、遊びに出歩くことすら罪のように言われるのは、もはや視点がずれて、マスコミによる弱者への「イジメ」にさえなってきています。

 

 こんなことがまかり通って良いわけがありませんね。よほど「脳内ウイルス」で侵されている人以外は、これが異常なことだと気づかないはずは無いと、私には思えます。このまま行ったら教育も経済も破壊され、国が崩壊することは、誰が考えても明らかなです。ところが、テレビでは「ウイルス怖い」という偏った意見しか取り上げられませんので、みんなが「ウイルスの恐怖」と闘っているというイメージしか伝えられませんね。でも、実際は殆どの人が、何かおかしいと気がついているのではないでしょうか。

 

 学校の先生も気がついているし、政治家も気がついている。テレビのコメンテーターでさえ、本当は気がついているのかもしれません。しかし、それが分かっていながら、誰もが、何も言えなくなる。それが一番恐ろしい、現代の「異常事態」のような気がします。

この状況と似たような物語を思い出しました。

 

 イソップ寓話で、「王様の耳はロバの耳」という話がありました。一人の床屋さんが、王様の耳はロバの耳だ気がついて、言いたくて仕方がなくなりますが、言えないというお話です。また、アンデルセンによる童話で、「裸の王様」という話もありました。この話も、誰もが王様が裸であるということが分かっていながら、美しい衣装を着ているとしか言えないというお話です。この2つの話ととても似ているのではないかと、思えます。「王様の耳はロバの耳!」「王様は裸だよ!」という言葉を現代に置き換えてみれば、「新型コロナは、緊急事態ではない!」とも置き換えられないでしょうか。

 

 それでは何故、このような事態に発展しているのか?それが問題なのですが、これはやはり、現代における「王様」とも言える、裏で操る「世界金融資本」もしくは、グローバリストという大きな存在があって、国の指導者の発言を操作しているからなのだと思います。このような話は、「陰謀論」だという人もいますが、陰謀でも何でもなくて、これが現実なのだということですね。今回の「新型コロナ」でそれが明らかになったと思います。つまり、表に現れる政府の見解やマスコミによる報道は、実際は裏で作られていて、それが当たり前のことだという事ですね。お店に並ぶ商品でも、お店の裏(バックヤード)で作られたり、仕入れをされて表の商品棚に並ぶわけですね。

 

 ですから、政治の「ウラ」に注目をしないと、もうどうにもらならないところまで来たと言う事では無いでしょうか。問題の在り処を安倍内閣のせいにすることもできますが、どんな政治家が表に立っても同じ事になるように思えます。誰がやっても同じであるとすれば、私たちには何をすることができるのか?

 

 童話の「裸の王様」では、最後には一人の子供が、「王様は裸だよ!」と無邪気な声を上げました。それによってみんなが本心を言い合って、詐欺師の「ウソ」がバレるというストーリーになっています。このお話のように、我々国民も純真な子供に倣って、「それはウソだよ!」と、口々に声を上げられれば余程、世の中が良くなるように思えます。テレビを用いたマスコミ、それから最近は、役所からの毎日の放送も加わっています。これらメディアによる洗脳力が強くて、考える力が失われているという事はあると思います。しかし、一人の生活者として、それはオカシイと思えば、口汚い言葉で言わないまでも、「それ、本当?!」と心の声に従って、不条理(道理に合わないこと)には疑問の声を上げる事が大切だと、私は思っています。

 

 

 さて、「ヲシテ時代のパンデミック」(その5)ということで、今日は楽しいお酒の宴のお話をさせて頂きたいと思っていましたが、前置きが長くなってしまいました。「新型コロナ」による自粛の問題は、どうしても考えなければならない、直近の大問題ですからね。では、今日のお話を始めたいと思います。

 

(三輪山と大神神社の大鳥居)

 

 崇神天皇5年に始まった疫病の蔓延(パンデミック)は、大きな祭り事の改革を経て、3年目にしてやっと終息を迎えました。1年のうちに国の人口の半分ほども亡くなるまでに蔓延したのですから、全ての国民が免疫抗体を得ますし、国々のカミ祭りをして、村々に至るまでの衛生管理の徹底もされましたので、終息したと言えるのでしょう。そして、疫病との長い闘いの後には稲作も復活して、やれやれご苦労様と、4年目の8年12月8日には、美味しいお酒でお祝いをするという記述も出てまいります。それが、「ミワノウマサケ」の話なのですね。以下、その箇所を掲載させていただきます。

 

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ホ33-29(8725)

ヤホウヨカ タカハシイクヒ

ミキツクリ ミワオオカミニ

タテマツル ソノアチウマシ

シハスヤカ カミマツラセテ

ミユキナル イクヒガサケニ

ミアエナス キミノミウタニ

コノミキハ ワガミキナラス

ヤマトナル オホモノヌシノ

カミノミキ イクヒサツクル

スギハイクヒサ

 

ヤホウヨカ   =(ミマキの御代)8年4月4日に、

タカハシイクヒ =杜氏のタカハシイクヒが、

ミキツクリ   =お酒を造り

ミワオオカミニ =ミワのオオカミ(大神神社のカミ)に

タテマツル   =奉納しました。

ソノアチウマシ =そのお酒の味が、とても美味しかったのです。

シハスヤカ   =(そこで、崇神天皇は)12月の8日に

カミマツラセテ =ミワのカミのお祭りをさせて、

ミユキナル   =(大神神社へ)行幸されました。

イクヒサケニ =タカハシイクヒの造るお酒に

ミアエナス   =ご馳走もして、みんなで直会をされました。

キミノミウタニ =君(崇神天皇)が御製のウタを詠まれます。

コノミキ   =「この『ミキ』(疫病が終息して実り来ったこと・そのお酒)は、

ワガミキナラス =「私の『ミキ』(実績・お酒)ではありません。

ヤマトナル   =ヤマトの国をこれまで護って、ここまでにして下さった

オホモノヌシ =オホモノヌシ(クシヒコさん)の

カミノミキ   =「カミ」の『ミキ』(実績・お陰・お酒)です。

イクヒサツクル =幾久しく、宮をやっと造ることが出来ました。

          (又は、「イクヒ」が奉納してくれたお酒は)

スギハイクヒサ =過ぎて行った年月は何と、長かったことでしょう。

          (杉の葉が使ってあって、これが長く美味しさを保つ秘訣です)

 

大意:

 (ミマキの御代)8年4月4日に、杜氏の「タカハシイクヒ」が、お酒を造りミワのオオカミ(大神神社のカミ)に奉納しました。そのお酒の味は、とても美味しいとの誉(ほまれ)も高いのです。(そこで、崇神天皇は)12月の8日に、ミワのカミのお祭りをさせて、(大神神社へ)行幸されました。「タカハシイクヒ」の造るお酒には、一緒にご馳走もさせて、みんなでカミ祭りの後の宴(うたげ)をされました。そこで、君(崇神天皇)が御製のウタを詠まれまました。

 

コノミキハ ワガミキナラス

ヤマトナル オホモノヌシ

カミノミキ イクヒサツクル

スギハイクヒ

 

(意訳):2つの意味

 

1:この『ミキ』(疫病が終息してまた再び、稲が実り来ったこと)は、私の『ミキ』(実績)ではありません。ヤマトの国をこれまで護って、ここまでにして下さった、オホモノヌシ(クシヒコさん)の「カミ」の『ミキ』(お陰)です。幾久しく祭りを滞っておりましたが、祭りの宮もやっと造り替えることが出来ました。その間に過ぎて行った年月は何と、長かったことでしょう。

 

2:このお酒は、私の持参したお酒ではなくて、ヤマトのオホモノヌシ(クシヒコさん)の宮に奉納されたお酒です。「イクヒ」が奉納してくれたお酒は杉の葉が使ってあって、その為にとっても美味しいのですが、これが長く美味しさを保つ秘訣です。

ーーーーーー

 

(大神神社の酒まつりの杉玉)

 

 このように、疫病が終息して、崇神天皇もやっと一段落と心を休められた事でしょう。お酒が美味いということは、良い稲ができたという事であって、生き残った若者達だけだと思いますが、働き手も元気を取り戻したということになります。

 崇神天皇は、杜氏(とうじ)の「タカハシ イクヒ」の奉納してくれた酒をとてもお喜びになり、12月の8日にオホモノヌシの「カミ」祭りをして、働いてくれたトミ達と一緒に直会(なおらい)をされます。本当に嬉しい喜ばしい光景が目に浮かびますね。

 

 そこで景行天皇は「ウタ」を詠われますが、このウタが面白いのですね。2つの意味が重ねてあって、1つは、これまで皇室が続いてきた事、そして今回の疫病が終息を迎えたことも、一重に「オホモノヌシ」(=クシヒコさん)のお陰様ですという感謝の気持ちのこもったウタになっています。

 

 そして、もう1つの意味は、杜氏の「タカハシ イクヒ」のお酒が美味いのは、杉の葉が使ってあって、これが「イクヒ」の考案した美味しさを保つ新技術らしいのです。現在でも造り酒屋の軒先には、杉玉が吊るしてありますが、これは新酒ができたという目印になっていますよね。杉の木は酒樽にも使ってあって、杉の木そのものが、酒作りには欠かせない木材になっていますね。杉の葉で作った杉玉も、「タカハシ イクヒ」によって考案され、当時は酒作りの工程に使われていたのかも知れませんね。

 

 また、このウタに、トミらが返しウタをします。ウタの解釈は、私の個人的なものなのかも知れませんので、そのつもりでご覧いただければと思います。

 

(トミらの返しウタ)

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ホ33-31(8738)

ミアエオエ トミラウタフテ

ウマサケヤ ミハミワノトノ

アサトニモ イテテユカナン

ミワノトノトオ

 

ミアエオエ   =直会(なおらい)の食事を終えて、

トミラウタフテ =今度はトミらが、ウタを詠みます。

ウマサケヤ   =「(今日は、本当に)美味しいお酒ですね!

ミハミワノトノ =私達の体は全て、三輪の造営に捧げて来ました。

アサトニモ   =(美味い酒を呑み過ぎて)朝帰りとなって

イテテユカナン =出て帰る事になりそうです。

ミワノトノトオ =(酔って)三重に見える、殿の戸を開けて」

 

大意:

直会の宴を終えて、今度はトミらがウタを詠みました。

 

ウマサケヤ ミハミワノトノ

アサトニモ イテテユカナン

ミワノトノトオ

 

(今日は本当に、美味い酒です。私たちの身は、これまで全て三輪の殿の造営に、朝廷にと捧げて参りました。完成した嬉しさに、呑み過ぎて朝帰りにもなる事でしょう。戸を開けて家に帰るのも残念な事ですが、その時は、酔って殿の戸が三重に見えることでしょう。)

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(大神神社の摂社:活日(いくひ)神社)

※崇神天皇に召され、三輪の神様にお供えする酒を造った高橋活日命をまつる。

杜氏の祖先神として酒造関係者からの信仰が篤い。

 

 このトミらのウタにまた、キミ(崇神天皇)が返歌をされます。そのウタが部下への思い遣りが感じられて、とても素晴らしいのです。

 

(君の替え歌による返歌)

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ホ33-32(8742)

トキニキミ コレカエウタニ

ウマサケニ ミハミワノトノ

アサトニモ オシキラカネヨ

ミワノトノトオ

トノトオシ ヒラキカエマス

 

トキニキミ   =そのときに、君(崇神天皇)は、

コレカエウタニ =このウタを替え歌にして、返歌を詠まれました。

ウマサケニ   =「(今夜は)美味い酒を、沢山呑んで、

ミハミワノトノ =私も既に酔って、三重に見えています。

アサトニモ   =(このままでは、本当に)朝帰りになってしまいそうです。

オシキラカネヨ =指揮をしてくれたトミ達、早く帰って「カカ」(妻)と寝なさい。

ミワノトノトオ =酔って三重に見える、三輪の殿の戸を押して」

トノトオシ   =(そこで)殿の戸を押して、

ヒラキカエマス =お開きになり、皆が帰りました。

 

※「オシキラカネヨ」が、反対から読むと、「ヨネカラキシオ」(米辛き塩)となります。

 

大意:

 トミ等がウタを読んでくれたので、君(崇神天皇)も、そのウタを替え歌にして返歌を詠まれました。

 

ウマサケニ ミハミワノトノ

アサトニモ オシキラカネヨ

ミワノトノトオ

 

(今夜は、私も既に酔って三重に見えています。このままでは、本当に朝帰りになってしまいそうです。指揮をしてくれたトミ達、本当に長期にわたりご苦労でした。今夜は、久しぶりに早く帰って「カカ」(妻)と一緒に寝なさい。早く帰らないと、カカに叱られますぞ。酔って三重に見える、三輪の殿の戸ですので、帰り道にも気をつけなさいよ。)

 

 そこで、少し早めでしたが、直会はお開きとなり、皆が殿の戸を押して帰って行きました。

ーーーーー

 

 トミらのウタも良いですが、ミマキイリヒコ(崇神天皇)さんの返しウタが、トミらのウタの替え歌になっていて、本当に素晴らしいと思います。ほんの少し変えただけですが、部下への労いの気持ちが込められていて、とても心の温まるおウタになっています。トミらも疫病との長い闘いがあり、宮作りに精魂を尽くしていた事でしょうね。やっと造営がなって新しい祭りも始まり、安心して家に帰れることになったのではないでしょうか。

 

 美味い酒に、深酒をしたい気持ちも分かりますが、今夜は帰って、カカ(妻)と一緒に寝てあげなさいと、君も部下の家庭のことを気遣っておられます。「オシキラカネヨ」を反対から読むと「ヨネカラキシオ」(米辛き塩)となり、「奥さんに叱られますよ」という意味のユーモアとも取れるところが、また面白く思えます国民の心の分かる、立派な天皇陛下でいらっしゃいましたね。

 

 以上、今日のお話は、パンデミックから4年目にして、美味しいお酒もできるようになり、「三輪の旨酒」で崇神天皇が、トミらの苦労を労(ねぎら)ったというお話でした。とりあえずの、ホッと一息というところでしょうか。しかし、疫病の後処理は、まだまだ続きます。

 

 ではまた。

 

「カク」(橘)と「サクラ」(桜)について:

  • 2020.04.29 Wednesday
  • 22:10

 

 4月京都「ヲシテ講習会」は、新型コロナ対策の為にweb講習会になりました。

『ミカサフミ 』5アヤ「ハルミヤノアヤ」私は今月も私は残念ながらリアルタイムで参加できなかったのですが、池田先生が資料を送って下さいましたので、後ほど勉強させて頂きました。

 

 このアヤでは、アマテルカミの5人の男のお子さんのうちのお一人、オシヒトさんがハルミヤ(皇太子)とされるに至るまでの事が書かれています。始まりは、アマテルカミが「コヱ・ヤスクニのミヤ」(=富士山南麓のハラミの宮におられた時でした。トヨケカミが臨時でまつりごとの指導に行っておられたミヤツ(宮津)からハヤキジ(急ぎの伝令)が来て、トヨケカミの寿命が尽きようとうしておられるという事を伝えます。そこで、アマテルカミは急ぎミヤツに行幸されるのですが、マナヰの山で最後の奥義を伝えらえた後に、やはりトヨケカミは洞に入って亡くなられます。

 

 葬いを終えたアマテルカミは、ハラミの宮(富士山南麓)へ帰ろうとされましたが、皆に引き止められてトヨケカミの後のまつりごとをされる事になりました。今度は、その事情を聞いたウチミヤ(正皇后)のセオリツヒメ(ホノコ)さんが指揮をとって、ネのクニ出身の3人のお后さまをミヤツアマテルカミの元へ向かわせます。

 それが、モチコさん、ハヤコさん、アチコさんの御三人でした。3人のお后様はミヤツで宮仕えをされることになりますが、その際にお子さんをお産みになります。スケ后のモチコさんは、ホヒのミコト(タナヒト)さんを、ウチ后のハヤコさんは三つ子の姫、1タケコ(オキツシマヒメ)さん、2タキコ(ヱツノシマヒメ)さん3タナコ(イチキシマヒメ)さんをお産みになりました。

 

 アマテルカミがミヤツ(宮津)にご滞在の時には、チタルクニでの問題があり、その事も処理された後、やっと5年後にハラミの宮に帰られることになります。ところが、帰ると直ぐにヒワヒコ(ヒノハヤヒコ)に頼んで、都遷しをするために日本の地図を描いてくれるようにお頼みになります。

 

ミ5-11(11306)

カエリマス ノチヒワヒコニ

ミコトノリ ナンチクニヱオ

ウツスヘシ ヤマトメクリテ

ミナヱカク キミハミヤコオ

クニノサニ ウツスハヤタミ

ウウクタメ オモイカネシテ

ツクラシム ナリテイサワニ

ミヤウツシ ココニイマセハ

 

カエリマス   =(アマテルカミは)お帰りになります。

ノチヒワヒコニ =その後に、ヒワヒコに

ミコトノリ   =勅をして仰いますには、

ナンチクニヱオ =「あなたは、国の地図を

ウツスヘシ   =描いてください」

ヤマトメクリテ =それで、ヤマト(東海道諸国)を巡って

ミナヱカク   =全ての地図を描きました。

キミハミヤコオ =それを見て、アマテルカミは都を

クニノサニ   =東海道諸国の南部に

ウツスハヤタミ =遷すことを決められました。その理由は、国民が

ウウクタメ   =もっと潤いを多く得られる様になる為です。

オモイカネシテ =オモイカネに頼んで、

ツクラシム   =都の造営をさせられました。

ナリテイサワニ =新都が完成して、イサワノミヤ(伊雑宮)に

ミヤウツシ   =宮遷しをされました。

 

 遷都の理由は、「ヤタミ ウウクタメ」と書かれています。つまり、農作物の生産性を上げることによって国民にもっと豊かになってもらいたいから、と言うことですね。南の地である伊雑宮は、今でも暖かいですが、新しい農業試験をするのにも、うってつけの場所だったのでしょうね。

 

(「ウクタメ」の「」が特殊文字になっています)

※この特殊文字の「ウ」は「ウン」と鼻に抜けて発音すると

説明されていた箇所もあり、産み出すことを意味している文字になります。

 

 このイサワノミヤ(伊雑宮)に移られてから、今度はウチミヤ(正皇后)のムカツヒメ(ホノコ)さんがお子さんをお産みになりました。それがオシヒトさんであり、この子がハルミヤ(皇太子)として選ばれました。正皇后のお子さんとしてお生まれになったのですから、当然とも言えますが、皇太子に選ばれた理由としては、次の様に書かれています。

 

ミ5−18

ミコオシヒトオ

ハルミヤト ナスハイキイク

ハルココロ タミイツクシム

ミヲヤナリケリ

 

ミコオシヒトオ =御子のオシヒトさんを

ハルミヤト   =ハルミヤ(皇太子)として

ナスハイキイク =選ばれたのは、「イキイク」(活き生きと育つ)

ハルココロ   =「ハルココロ」(春の様な暖かいこころ)

タミイツクシム =民を慈しむ

ミヲヤナリケリ =「ミヲヤ」(親として相応しい)性格だからです。

 

 この様につまり、人々の気持ちが分かって、春の様な優しい心の人だったからですね。民を慈しむ親のような存在になってくれそうだったという事でしょうか。強さよりも優しさが優先されて選ばれたという事になります。ある意味では、一国のトップとして優しさばかりで選ばれて良いものだろうか?という気持ちにもなりますが、アマテルカミの判断基準は、そうだったのですね。

 民を慈しむ心こそ最も大切なのだという、この考え方が私達ヤマトノクニの国柄であり、価値観だったという事が、この文章からもしっかりと感じ取れます。・・・しかし、皇太子をホノコさんのお子さんとしたことによって、後にはモチコさんとハヤコさんの嫉妬を生んで、大変な事件へと発展していくことになりますね。

 

 さて、今月の学習範囲で、私が改めて気がつきましたことですが、アマテルカミの「イサワノミヤ」(伊雑宮)の橘(たちばな)の木と桜の木についての記述です。今も皇居の西には橘の木と、東には桜の木が植えてありますが、この時が初めになっているようですね。次の様に記述されています。

 

ミ5-17(11332)

サノトノニ タチハナウエテ

カクノミヤ キニサクラウエ

ウオチミヤ ミツカラマツリ

キコシメス 

 

サノトノニ   =「サ」(まつりをきく・南向き)の殿に、

タチハナウエテ =橘(たちばな)を植えて、

カクノミヤ   =「カクの宮」と言っていたのを、

キニサクラウエ =東に「サクラ」桜を植えて、

ウオチミヤ   =「ウオチミヤ」と言う様になりました。

ミツカラマツリ =ここでアマテルカミは、親(みずか)ら政治を

キコシメス   =執り行われました。

 

(「サノトノ」(皇居御正殿)に橘を植えて「カクノミヤ」だったのですが、

   更に東に桜を植えて、「ウオチミヤ」(内宮)となった説明図)

 

 

 この記述によりますと、アマテルカミ以前は、皇居のことを「ウオチミヤ(ウチミヤ)」とは言っておらず、クニトコタチさんから続く、橘(たちばな)を植えて、「カクノミヤ」と言っていたのですね。桜を献上して夫婦仲を見る為にと持ってこられたのは、ホノコさんのお父上のサクラウシ(オオヤマスミ)さんでしたが、この話を聞いて、これは良いと殿の東にその桜の木を植えられたのは、アマテルカミでした。この桜は、国民の夫婦仲つまり、家庭円満であることの大切さを象徴していますね。

 そして、これをきっかけとして「カクノミヤ」から「ウオチミヤ」へと、呼び名も変わって、「ウチミヤ」(内宮)と呼ばれる様になったということでしょうか。

 「カクノミヤ」が、(天からの恵を来たらす宮)という意味なら、「ウオチミヤ」とは、それをもっと発展させて、(潤いが更に大きな、先祖から伝わる大切な宮)という意味になるのではないかと思います。

 イサワノミヤへ宮遷しをしたのも、「ヤタミ ウウクタメ」(国民が、もっと多くの潤いを得られる様になる為)という理由でしたから、「ウオチミヤ」という名前も納得がいきますね。

 

 「カク」(橘)の木と「サク・ラ」(桜)の木、この2つもヲシテ文字で書くと、面白いことに気がつきます。ウツホのエネルギーが上から降りて来たのを、ヤタミ(国民)へと横に広げる。そんな願いが、「カク」「サク・ラ」に込められている様な気がします。

 

 以上、今日は『ミカサフミ』4アヤの「ハルミヤノアヤ」の復讐をしながら、気がついたことを書かせていただきました。「ヲシテ文献」を読ませて頂くと、縄文から弥生時代のヤマトノクニでは、如何に国民の為を思う政治がなされてきたか、このことを痛切に感じざるを得ませんですね!

 

 さてさて、この2020年、現代の政治に照らし合わせてみますと、言うまでもなく、このところの腐敗ぶりは何と言えば良いのでしょう。「新型コロナ対策」のために外出を控えることは、「みんなの為、じぶんの為」と言いながら、みんなの為にも自分の為にもならない経済崩壊を引き寄せているのが、今の政府や自治体のリーダー達なのだと思います。国民の豊かさとは、全く反対の方向へのミスリードしているとしか考えられません。もし、それ知っていて自分の立場を守るためだけに行なっているとしたら、どう考えれば良いのでしょうか。

 

 今はまだ、経済崩壊が大きく顕在化していなくても、やがて、政府や自治体の関係者、マスコミ関係者にも自分の発した言葉が、必ず災いとなって返って来る日があることでしょう。大惨事の引き金とならない為にも、1日も早く過剰な「新型コロナ対策」を解除していただきたいと、私は願うばかりです。

 今月の勉強の箇所にもありましたが、現代に至っても京都御所の紫宸殿には西に「カク」(橘)の木と東に「サクラ」(桜)の木が植えられています。それは「ヤタミ ウウクタメ」(国民に豊かに暮らしてもらう為)の象徴でもあります。ヤマトゴコロによるマツリ(政治)が行われていた「ヲシテ時代」の歴史を、今こそ、日の当たる表舞台へ引き出すべき時なのだと思います。

 

追伸で、現在の新型コロナ対策問題について、私が参考にしているお話をご紹介させて頂きますので、良かったら見てみて下さいね。(^ ^)

 

追伸:1

不要不急の仕事ってなに?都知事?役人?

https://youtu.be/bJ1BASwtM4I

 

追伸:2

 

追伸:3

 

ヲシテ時代のパンデミック(その4):手水舎が収束の決め手だった?!

  • 2020.04.21 Tuesday
  • 23:05

 

 前回は、ヲシテ時代の疫病蔓延パンデミックが、3年目にしてやっと収束に辿り着いたというお話をさせて頂きました。今回は、その追伸みたいなものですが、何故全国にカミ祭りを徹底することで、疫病の蔓延に留めをかける事ができたのか?そのあたりに付いて考えてみたいと思います。

 

 気になる箇所は、前回も書かせていただきましたが、以下の記述です。

 

33−28

アマネクフレテ =世間に御触れを出して、

カミアガメ   =カミを崇めて

カミナフミナス =カミナフミ(神名帳)を作成しました。

 

カンヘシテ   =カンベ(神官)を置いて、

ヤモヨロカミオ =八百万(やおよろず)のカミを

マツラシム   =お祭りさせました。

ヱヤミムケイエ =これによって、疫病は終息して

ソロミノリ   =稲も稔り

タミユタカナリ =民はまた豊かになりました。

 

世間に御触れを出してカミを崇めさせ、カミナフミ(神名帳)を作成しました。

カンベ(神官)を置いて、八百万(やおよろず)のカミをお祭りさせました。

これによって、疫病は終息して稲も稔りタミはまた豊かになりました。)

ーーーーーーー

 

 この箇所に記されている「カミナフミ」が何であるかは、はっきりと分かりませんが、おそらく「カミの名」を詳細に記入した「神名帳」の様な物ではないかと思いました。きちんと明文化することにより、各地方の神社の格付けをして、中央から地方への統一的な神社システムをつくった事が推測できます。そして、「カンヘ」とう言葉もありますが、大まかに「神官」という捉え方をしても良いと思いました。各地に、カミをお祭りする「役職」を定めて氏子制度のようなものを作ったのだと考えられます。

 つまり、祭りを中心としたシステム作りをすることによって、末端まで朝廷の意志が届きますので、日本中を一つに纏めることに成功したのだと思えます。

 

 そこまでは想像がつきました。ところが、もう一つ納得がいかなかったのは、では何故、朝廷の意向が末端まで届くようになると、疫病が収束したのか?そこのところは、想像できないでいました。それで、昨夜遅い時間にネットを見ていましたら、「崇神天皇の時代の疫病の話」をしている人がいるではないですか!こんな話ができるのは、やっぱり「ねずさん」でした。ねずさんという方は、小名木善行というお名前なのですが、ニックネームでしょうね、『古事記』や日本の古代史に詳しい方ですね。

 

 どんな話だったかと言いますと、結局最終的に、疫病を収束させられたのは、手水舎を全国のあらゆる神社に配置して、手洗いと嗽(うがい)を徹底させたということらしいのです。地域の神社は古代においては、唯一の集会場でした。今でもコロナ対策には、集会は避けるようにと盛んに言われていますが、古代においても人が多く集まる際は、感染の危険があります。先ずは手洗いと嗽(うがい)ということで、神社の入り口には手水舎を必ず設けられ、感染予防に気をつけるようにしたのだそうですね。以下、ねずさんのブログに分かりやすく書いてありました。

 

(高山の桜山八幡宮の手水舎:綺麗な流水がいっぱいに湛えられていました。)

 

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「神社の手水はなぜ使う」ねずさんのブログより転載

 

それは第10代崇神天皇(すじんてんのう)の時代のことです。

国内に疫病が流行り、なんと人口の大半が失われてしまうのです。

これについて古事記は国民の過半数が失われたと書き、日本書紀はほとんどの国民が失われたと書いています。

 

これだけの死者が出ると、埋葬が間に合いません。

遺体はそこら中に転がり、ハエがたかり、ウジがわき、遺体は皮膚の下のウジのために、もぞもぞと動いているような様子になります。

腐臭は街をおおい、遺体にたかったハエや鳥などがさらに病原菌をはこび、ますます死者が出るようになるわけです。

 

このときの疫病が、何であったのかはわかりません。

コレラか、赤痢か、ペストだったのか。

ペストについていえば、時代は異なりますが、14世紀にチャイナで発生したペストがユーラシア大陸全体に広がり、ついにはヨーロッパにまで至って「黒死病」と呼ばれ、西洋を含め、ユーラシア大陸の人々の過半数の命を奪ったことが歴史に残っています。

それだけ伝染病の威力は、計り知れないたいへんなことであったのです。

 

いまでは、世界中の政府機関によって、これらの伝染病への対策が図られるようになりましたが、昔は、本当におそろしいものであったわけです。

そのおそろしい疫病(伝染病)が、崇神天皇の時代に起きたわけです。

 

事態に苦慮された崇神天皇は、真剣に神々に祈り、対策のための知恵を授かろうと努力を重ねられます。そして、ようやく祈りが通じて疫病がおさまり、国内に平穏が戻ったとき、崇神天皇が行われたのが、国内に、天社(あまつやしろ)、国社(くにつやしろ)、神地(かむどころ)、神戸(かむべ)という、中央政庁から地方の村落に至るまでを総合管理する新たな制度でした。

 

それが、天社(あまつやしろ)、国社(くにつやしろ)、神地(かむどころ)、神戸(かむべ)です。

 

天社とは、いわば中央政庁です。

国社とは、地方の県庁です。

神地とは、市区郡役場です。

神戸とは、町村役場です。

 

そして国社、神地、神戸には、それぞれ神社が任命されました。

所属する人たちは、月に一度、定期的に神社に集まります。

あるいはなにか問題が起きたら、やはり神社に集まって協議します。

 

そしてこのとき、全国の神社の作法として定着したのが、手水(てみず)の作法です。

手水は穢(けがれ)を祓(はら)うものですから、崇神天皇よりももっとずっと古い昔からあったものかもしれません。

けれど、それが全国的に徹底されたのは、疫病対策に心を砕かれたまさに崇神天皇の御事績です。

 

二度と伝染病が普及しないようにと、中央政庁である天社から率先して、政庁に入る人たちが全員、手水を使って手を洗い、口をゆすぐ。

権威ある政庁が率先してこれらを慣習化することで、日本全国津々浦々、誰もが会同(かいどう)と言って人と会ったり、人々が集うとき、あるいは帰宅して家に入るときに、手を洗い、口をゆすぐことを習慣化していく。

そうすることによって、二度と伝染病が蔓延しないようにしたのです。

 

ですから少し古い、たとえば明治・大正の頃から営業しているような老舗のそば屋さんや食堂などに行きますと、店内の入り口のそばに、手洗いのための小さな水道が設置してあったりします。

最近の新しい外食屋さんなどでは、あまり見かけなくなりましたが、要するに、人々が集うところでは、入室や入店の前に、まずは手を洗い、口をゆすぐということが、つい近代までの日本人の常識となっていたことが、神社のみならず、街の食堂にまで徹底していたのです。

 

またあるいは、ちょっと古い時代に造られた日本庭園などに行きますと、上の画像にあるような小さな手水舎(ちょうずしゃ)が作られていることがあります。

これらは庭のあるお屋敷には必ずあったもので、コーンと音がする鹿威(ししおど)しなどとセットになっていたりもしていました。

けれど本来の目的は、手洗い用です。

 

神社の手水はなぜ使う

 

https://nezu3344.com/blog-entry-4385.html#more

ーーーーーーー

(以上、転載終わり)

 

(浅間大社:湧玉池の清流です。富士山からの伏流水ですね)

 

 この話を聞いて、私も成る程と納得が行きました。今まで神社の手水舎」は、神聖な場所へ入るための単なる心のお清めなのだと思っていました。実際に清潔になるかどうかを考えてみても、現代では家庭の水道水で手を洗った方が清潔ですし、人の寄らない神社では、汚れた水が溜めてあることも多いので、あまり清潔にするというイメージはなかったですからね。

 

 しかし、昔の水事情を考えてみれば、大きな神社では鳥居の前に小川が流れてますし、手水舎にも清潔な水が常に引いてあります。特に紀元前のことですから、家庭の水場よりもはるかに綺麗だったと考えられます。やっぱり、手水舎」の全国配置というのは、当時としては画期的なことだったのですね!そう思うと、日本では2000年以上も前からこの習慣が続いていることに、改めて驚かされます。中央の祭りをもう一度改め、良いことは地方にももれなく行き渡らせる、これがヤマト心による天皇の祭りであり、崇神天皇の偉大な業績の一つだったのですね。

 

 以上、今日は「手水舎」について考えてみました。因みに、小名木善幸さんについては、私も本を何冊も読ませて頂きましたが、あの『古事記』からでも、本当に素晴らしいヤマト心を読み解いて下さっています。この先は、『ホツマツタヱ』にも目を向けて頂いたら、さぞかし素晴らしい展開が待っているような気がしています。・・・きっと、『ホツマツタヱ』『古事記』にとって変わる時代が来るでしょうね! 未来は、想像も出来ないくらい、素晴らしい!!\(^o^)/

 

 今日も最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます。

 

ヲシテ時代のパンデミック(その3):行き渡るカミ祭りを終え収束へ

  • 2020.04.20 Monday
  • 23:11

 

 今日は、ヲシテ時代のパンデミックについて、その3話です。現在も日本はパンデミックだとマスコミと政府は言っていますが、感染者や死者は数字の上ではそこまで行っていないと思います。例年のインフルエンザより遥かに少ないですからね。どうもそこのところがしっくりこない訳でして、今起きているパンデミックは、むしろ情報誘導型のパンデミックのような気がします。しかし、ヲシテ時代のパンデミックは本物ですので、『ホツマツタヱ』に悲惨な描写は少ないですが、状況からして、かなり凄惨を極めていたと想像できます。

 

(2020年、今年の桜です。コロナ騒動で桜祭りもありませんでしたが、見事に咲きました!)

 

 ミマキイリヒコさん(崇神天皇)の御世の5年には、やはり大陸の影響があったのかも知れませんね。疫病の大流行で半数程のタミが亡くなりました。翌年の6年にタミが村を捨て離散するまでになりました。そこで、崇神天皇はご自身の不徳の致すところ、つまり出生に纏わる不祥事が原因だと思い、罪の赦しをカミに乞い願いました。この時の話は、1話で書かせて頂きましたが、その結果大神神社と最初の伊勢神宮の再建が急ピッチで進められて、年内の秋9月に完成しました。

 

 では何故、大神神社と伊勢神宮の再建が必要だったかという理由については、前回の2話の記事にあげさせて頂きました。9代フトヒヒさん(開化天皇)の時代のイカシコメさんをイキシコメと一文字名を変えて、母を正皇后として娶り、その子に皇位を継がせたという事件。正にその子こそが、ミマキイリヒコさん(崇神天皇)ご自身だったという事です。

 母を妻として入れるという事は、アマテルカミが示してくださった『イセノミチ』(結婚における規範)から外れると、大神神社に祭られる「オオモノヌシ」(クシヒコさん)の子孫でもあるヲミケヌシが、命を掛けて諫めてくれました。偉大な先祖の掟と、忠実な家臣の命懸けの箴言を無視して、ここまで来てしまったのでした。

 

 崇神天皇の反省は、父の時代の事とは言え、混乱の時代を経て正式な「カミ祭り」がしてなかった。だからアマテルカミの『イセノミチ』も無視し、「オオモノヌシ」の子孫のヲミケヌシの諌めも聞けなかったのだということだろうと思います。父の罪は子も背負う罪であり、それが疫病からの護りが得られない原因だと、懺悔の気持ちで「アマテルカミ」の宮と「オオモノヌシ」の宮が再建されのは、想像にかたくありません。

 

 さて、そこで今回のお話は、新しく二宮が再建されてからの物語です。崇神天皇も少しは気持ちが楽になり、疫病も収まりそうな兆しではありました。しかしながら、まだまだ終息という段階には至っていませんでした。完全終息する為に、今度は誰にお祀りをして貰うかと言う事が問題になって来ます。

 さあ、どんなドラマが待ち受けているのでしょう。今回も少し長めですが、見てみて下さいね。『ホツマツタヱ』33アヤの対訳から始めさせて頂きます。

 

ホ33-15(8670)

ナホキサラ   =(ミマキの世)7年2月

ミカミコトノリ =3日に、詔がありました。

ワガミヲヤ   =「私の御祖が

ヒラクモトヒハ =開かれたヤマトの国は

サカンナリ   =大変に栄えていました。

ワガヨニアタリ =しかし、私の治世になりましたら、

ヲエアルハ   =疫病が蔓延しました。

マツリトトカヌ =その理由は、良き政治が行き届いていない、

トガメアリ   =咎めなのだと思っています。

ケタシキワメテ =しかし、その原因を追求して行きます。」

 

ヨルナリト   =それでは、行きましょうと、

アサヒノハラニ =アサヒノハラに

ミユキシテ   =御幸をされます。

ヤモヨロマネク =八百万のカミを招く

ユノハナノ   =百合の花のような

モモソヒメシテ =モモソヒメに会って、

ノリコチニ   =親(みずか)らお願いをして、

サツサツスウタ =お祓いの「サッサツツウタ」を歌って貰いました。

 

サルタミモ   =亡くなったタミや、離れて行ったタミも

ツスニマツラテ =その親族に祈り、祀って貰わなければ、

ヲヱニミタルサ =疫病や混乱は続きます。

 

キミトフテ   =ミマキの君は、素晴らしいウタに驚いて、お尋ねになりました。

カクオシユルハ =「このように教えてくれるのは、

タレカミソ   =何方のカミでしょうか?」

コタエテワレハ =モモソヒメの口を借りて言います。「私は、

クニツカミ   =クニツカミ

オオモノヌシソ =オオモノヌシ(クシヒコ)です。」

 

キミマツル   =それを聞いて、ミマキの君は、オオモノヌシをお祭りしました。

コトシルシナシ =しかし、良くなる兆候は現れませんでした。

ユアヒシテ   =そこで、湯を浴びて、

スガニイノリテ =身体を清々しくして祈り、

ツケモフス   =この様にカミに告げ申しました。

ワレウヤマエト =「私は、オオモノヌシを敬いお祭りしているのですが、

ウケサルヤ   =いっこうに聞き届けて貰えませんのは、何故でしょうか?」

コノヨノユメニ =その夜の夢に、

 

ワレハコレ   =「私はここにいます。

オオモノヌシノ =オオモノヌシの

カミナルガ   =カミですが、心に曇るところがあって来ました。

キミナウレヒソ =君よ、心配する事はありません。

タセサルハ   =人々を「タス」(よく治める)事ができないのは、

ワガココロアリ =私の思うようになっていないからです。

ワガハツコ   =私の子孫の

オオタタネコニ =オオ・タタネコ

マツラサハ   =祭りをさせれば、

ヒトシクナレテ =国中に祭りが等しく行き渡って

トツクニモ   =遠くの国も

マサニマツラフ =本当に、ひとつにまとまるでしょう。

 

ハツキナカ   =8月の中旬に、

トハヤガチハラ =トハヤの娘のチハラ

メクハシメ   =メクハシメと、

オオミナクチト =オオミナクチと、

イセヲウミ   =イセヲウミと、

ミタリミカトニ =3人が帝に

ツケモウス   =夢の告げがあったと、言って来ました。

ユメニカミアリ =「夢にカミが出て来まして、

タタネコオ   =タタネコ

オオモノヌシノ =オオモノヌシの

イハヒヌシ   =イワヒヌシ(斎主)にしなさい、

シナガオイチオ =シナガオイチ

オホヤマト   =オホヤマト

クニタマカミノ =クニタマカミの

イハヒヌシ   =イワヒヌシ(斎主)にしなさい、

ナサハムケヘシ =そうすれば、収まるでしょう」

 

キミコレニ   =君は、この告げに

ユメアワセシテ =ご自身の見た夢が本当であると判断をして、

フレモトム   =御触れを出して、斎主となる人を探しました。

オオタタネコオ =オオタタネコが、

チヌスエニ   =チヌ(堺市)のスエに

アリトツクレハ =居ると報告する人がいたので、

キミヤソト   =君は、80人の従者と共に

チヌニミユキシ =チヌに御行をして、

タタネコニ   =タタネコ

タガコソトトフ =「誰の子ですか?」とお尋ねになりました。

 

コタエニハ   =タタネコが答えるには、

ムカシモノヌシ =「昔、モノヌシ(コモリカミ)と

スエツミガ   =スエツミの娘の

イクタマトウム =イクタマヨリヒメとの間に産まれた

モノヌシノ   =モノヌシの家系の

オオミワカミノ =オオミワノカミ(クシミカタマ:ワニヒコ)の

ハツコナリ   =直系の子孫に当たります。(ヲミケヌシの子)

 

キミサカエント =君はこれを聞いて、これでまた繁栄すると

タノシミテ   =将来が楽しみになり、

イキシコヲシテ =イキシコヲに頼んで、

ウラナハス   =占いをして貰いました。

コレマコトヨシ =占いに、「これは実に良い」と出ました。

ヨソカミオ   =他のカミについても

トエハフトマニ =占って貰うと、フトマニに

ウラワロシ   =占いの結果が悪く出ました。

 

メツキハツヒニ =10月1日に、

イキシコヲ   =イキシコヲさんは、

ヤソヒラカナシ =80枚の平皿を作って、

コレオモテ   =これを持って行きました。

オオタタネコオ =オオタタネコを

イワヒヌシ   =イワヒヌシ(斎主)として、

オオミワノカミ =オオミワノカミを祭ります。

ナガオイチ   =そして、ナガオイチは、

オオクニタマノ =オオクニタマ(大國主)の

イワヒヌシ   =イワヒヌシ(斎主)となって祭ります。

アマネクフレテ =世間に御触れを出して、

カミアガメ   =カミを崇めて

カミナフミナス =カミナフミ(神名帳)を作成しました。

 

カンヘシテ   =カンベ(神官)を置いて、

ヤモヨロカミオ =八百万(やおよろず)のカミを

マツラシム   =お祭りさせました。

ヱヤミムケイエ =これによって、疫病は終息して

ソロミノリ   =稲も稔り

タミユタカナリ =民はまた豊かになりました。

 

(大意)

ーーーーーーーー

(崇神天皇の御代)7年2月3日に、詔がありました。「私の御祖が開かれたヤマトの国は大変に栄えていました。しかし、私の治世になりましたら、疫病が蔓延してタミが苦しんでいます。その理由は、良き政治が行き届いていない、その咎めなのだと思っています。しかし、その原因を追求してまた国を繁栄させたいと思っています。」

 

 そう仰ると「では、行きましょう」と従者を連れて、アサヒノハラ(榛原市阿紀神社)に御幸をされました。そして、八百万のカミを招く百合の花のようなモモソヒメに会って、親(みずか)らお願いをして、お祓いの「サッサツツウタ」を歌って貰いました。

 

サルタミモツスニマ 

ツラテヲヱニミタルサ

(亡くなったタミや、離れて行ったタミもその親族に祈り、祀って貰うのが当たり前でしょう。そうしていないので、疫病や混乱が続いているのです。)因みに、このうたの最初の4文字「サルタミ」は、最後の「ミタルサ」と逆に読むと同じになる、マワリウタになっています。マワリ歌は返すことのできない、完全なるメッセージですね。

 

 ミマキの君は、素晴らしいウタに驚いて、お尋ねになりました。「このように教えてくれるのは、何方のカミでしょうか?」カミは、モモソヒメの口を借りて言います。「私は、クニツカミのオオモノヌシ(クシヒコ)です。」

 

 それを聞いて、ミマキの君(崇神天皇)は、オオモノヌシ(クシヒコさん)をお祭りしました。しかし、疫病が収まる兆候は現れませんでした。そこで、湯を浴びて、身体を清めてから祈り、この様にカミに告げ申しました。「私は、オオモノヌシを敬いお祭りしているのですが、いっこうに聞き届けて貰えません。それは、何故でしょうか?」その夜の夢に、告げがありました。

 

 「私は、オオモノヌシのカミです。心に曇るところあって来ました。君よ、心配する事はありません。人々を「タス」(よく治める)事ができないのは、私の思うようになっていないからです。私の子孫のオオ・タタネコに祭りをさせれば、国中に祭りが等しく行き渡って、遠くの国も正にひとつにまとまるでしょう。」

 

 8月の中旬に、1、トハヤの娘の「チハラ・メクハシメ」と、2、「オオミナクチ」と、3、「イセヲウミ」と3人が、帝に夢の告げがあったと言って来ました。

「夢にカミが出て来まして、タタネコをオオモノヌシのイワヒヌシ(斎主)にしなさい、シナガオイチをオホヤマト・クニタマカミのイワヒヌシ(斎主)にしなさい、そうすれば、収まるでしょうと告げるのです。」

 

 君は、この告げにご自身の見た夢が本当であると判断をして、御触れを出して、斎主となる人を探しました。オオタタネコが、チヌ(堺市)のスエ(陶荒田神社)に居ると報告する人がいたので、君は、80人の従者と共にチヌ(堺市)に行幸をして、タタネコに会い「誰の子ですか?」とお尋ねになりました。

 

 タタネコが答えるには、「昔、モノヌシ(コモリカミ)とスエツミの娘のイクタマヨリヒメとの間に産まれたモノヌシの家系のオオミワノカミ(クシミカタマ:ワニヒコ)の直系の子孫に当たります。」(諌めをしてくれた、ヲミケヌシの子でしょうか)

 

 君はこれを聞いて、これでまた国が繁栄すると将来が楽しみになり、イキシコヲに頼んで、占いをして貰いました。占いに、「マコトヨシ:大吉」と出ました。他のカミについても占って貰うと、フトマニに、「ウラワロシ:凶」と出ました。(他にも世話になっているカミの祭りが疎かになっているので、それもやりなさいという事でしょう。)

 

 10月1日に、イキシコヲさんは、80枚の平皿を作って、これを持って行きました。(八百万のカミをお祭りする為にお供えの平皿として使います)オオタタネコをイワヒヌシ(斎主)にして、オオミワノカミを祭ります。そして、ナガオイチは、オオクニタマ(大國主)のイワヒヌシ(斎主)となって祭ります。世間に御触れを出してカミを崇めさせ、「カミナフミ」(神名帳)を作成しました。

 

 カンベ(神官)を置いて、八百万(やおよろず)のカミをお祭りさせました。これによって、疫病は終息して稲も稔りタミはまた豊かになりました。

ーーーーーーーー

(以上)

 

(大和神社(おおやまとじんじゃ)には、戦艦大和の模型もありました)

 

(感想とまとめ):

 崇神天皇の「ちゃんと決着をつける、完全終息するまで徹底解明します」という宣言は頼もしかったですね!言い終わるやいなや、早速、霊的能力に長けたモモソヒメのところへ出かけます。モモソヒメのウタもマワリウタとあって、これは間違いなくカミのお告げだとお思いになります。ウタのメッセージは、「カミ(先祖)の祭りは、その家の親族に祀って貰うのが当たり前でしょう!それが出来ていないので、疫病も続くし人心が纏まらないのです」という意味だったと思います。しかし、誰に祭りを頼んだら良いのか分からなかったのでしょうね。オオモノヌシ(クシヒコさん)のお告げでしたので、オオモノヌシだけをお祭りされていました。

 

 やはり、それだけではダメでした。次にどうしたらよいのか?分からないので、お湯を浴びて身を清め、カミにお告げをを願われました。そうしましたら、その夜の夢にオオモノヌシが出てきて、タタネコをオオモノヌシのイワイヌシ(斎主)にしなさい」と告げられましたね。この夢と同じ夢を3人が見たと言って来ましたし、今度はナガオイチオオクニタマ(大國主)のイワヒヌシ(斎主)にもしなさいと、具体的な名前が上がって来ましたので、これは間違い無いと、御触れを出してタタネコを探されます。

 

 そして、いよいよ運命の時がやって来ました。チヌ(堺市)にタタネコが居ると聞いて、崇神天皇は、早速出かけて素性を訊かれます。タタネコとしては、待ちに待った瞬間だったたと思いますよ。父のヲミケヌシは既に亡くなってしまいましたが、タタネコはあの時のお子さんだったのでしょう。また、先祖のオオモノヌシの祀りをする事ができるようになりましたし、天皇にもお仕えする事が出来る様になって良かったですね!待った甲斐がありましたね。

 

 崇神天皇もお喜びで、これで全て良いのかと思いきや、イキシコヲに「フトマニ」占いをして貰うと、内のカミを祭ることは良いけれど、「外のカミが祭ってないのが良くない」と出ました。そこで、崇神天皇は、80枚のヒラカ(お供えの平皿)をイキシコヲに作らせて、八百万の神の祀りもしてもらうことにしました。お偉いですね!祭りの全国への普及。私は、ここが大革新で、大切な記述だと思いましたよ。

 

 現在の日本が八百万(やおよろず)の神を祀っているのは、この時から始まったのでしょうか。中央のカミ祭りを大切にするだけではなく、神名帳を作り、地方のカミ祭りも中央に併せて行うことによって、国中に祭りが行き渡りました。これでまた一つに纏まって来ます。本当に少しの記述ですが、八百万の神を祀る日本の国柄につながる経緯にも気づけます。『ホツマツタヱ』には、大切な歴史が刻み込まれていますね。

 

 何れにしても、崇神天皇の5年に本格的なパンデミックになり、6年は二つの宮を急ピッチで建設して、オオモノヌシ「ヤエガキ剣」と、アマテルカミ八咫鏡を新しい宮に遷しました。そして、7年にはオオモノヌシの告げにより、タタネコが見出されて「オオモノヌシ」の斎主になってもらいました。

 また、シナガオイチにも「オホヤマト・クニタマカミ」(大和神社)の斎主になって貰いました。この意味は、ニニキネさんの兄のホノアカリさんに意見をしたクシヒコさんの「マロカネハメト ケカレヱス」という言葉を忘れないようにと、こちらでも重ねて祀ると言うことでしょうか。

 また、地方のカミ祭りも大切にされ、中央に併せて祭られるようになりました。これによって、やっとパンデミックが終息します。収束までに3年かかりましたが、稲も実りタミは豊かになってきましたので、これでとりあえずは、一件落着です。

 

 以上、今日はヲシテ時代のパンデミックが収束するまでの経緯についてのお話でした。現代のパンデミックにも、「神祭り」が絶対に必要だと思います。パンデミックの後処理は、昔も現代もそう簡単には行きそうもありません。次回は、その後について書かせていただきたいと思いますので、お楽しみに。

 

ではまた。

 

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