弥生時代の稲の品種改良について:

  • 2019.01.14 Monday
  • 17:06

 

今日のテーマは、『ヲシテ』に記された稲の品種改良についてです。

 

弥生時代に既に稲の品種改良がされていたという記事が、ヲシテ文献に出ているような気がします。私の読みで正しいかどうかは、全く分かりません。しかし、読むとどうしても稲の品種改良のことが書いてあるような気がしてならない箇所があります。ちょっと、チャレンジと思っていますが、どのように読み取ったかを見ていただきたいと思います。

 

(住吉大社のお田植神事の写真より:昔の田植の行事って、楽しそうですね♪「ハ・ヤル」わけですね!)

 

それは、25アヤの53から始まります。その前の話は、九州の新田開発と井堰を作る話でしたが、ここからは稲の品種改良の話に移ります。(と、考えているのは私だけかも・・)二重の意味(もう1つの意味)として考えているわけです。

 

ホ25ー53

      カコシマニマス

トシトシニ ミノリモフエテ

クニユタカ コトシウエツケ

テレトヨシ ウサノアカタニ

ヤハラセテ サツキノモチニ

ハルイワヒ モチニハエシキ

ウケカミニ イハフホナガト

ユツリハノ ホツマアソビノ

ミズホウタ タノシニキハフ

トヨノクニ ミソフノアガタ

ミナハヤル カトマツハエバ

ユツリハモ ハルシキカザル

モトオリヤ

 

ここに、品種改良の意味が入っているというわけですね。

先ずは、1つ目の訳をしてみたいと思います。

 

カコシマニマス

トシトシニ 

ミノリモフエテ

クニユタカ 

コトシウエツケ =今年植え付けたのですが、

テレトヨシ   =そうしたところが、良かった。

ウサノアカタニ =それで、宇佐のアガタに

ハヤラセテ   =流行らせて

サツキノモチニ =5月の15日に

ハルイワヒ   =春の祝い

モチニハエシキ =お餅にハヱ(うらじろ)を敷いて

ウケカミニ   =ウケのカミに

イハフホナガト =祝う長寿と

ユツリハノ   =ゆずり葉の

ホツマアソビノ =ホツマ遊びの

ミヅホウタ   =ミツホウタ

タノシニキハフ =楽しい賑わう

トヨノクニ   =豊の国

ミソフノアガタ =32のアガタで

ミナハヤル   =皆、流行る

カトマツハエバ =門松にハヱバ(うらじろ)

ユツリハモ   =ゆずり葉も

ハルシキカザル =春に敷き飾る

モトオリヤ   =起源です。

 

次に、2つ目の訳は、

どこが違うかと言いますと、「ハ・ヤラセテ」「ハ・ヤル」これらの「ハ」の意味を普通は「流行る」と取りますが、「稲の苗葉」と取ったからです。また、「ユツリ・ハ」も「ゆずり葉」=(お餅に飾る葉)と普通は取りますが、(譲り葉)=譲ってもらった稲の苗葉と、取ったからです。

このように解釈すると、どうしても稲の品種改良の話に思えてきます。

 

では、2つ目の訳をしてみます。

 

コトシウエツケ  =今年植え付けた(苗の葉)が、

テレトヨシ    =日照りが続いたけれど、良かった。

ウサノアカタニ  =それで、宇佐のアガタに

「ハ・ヤラセ」テ  =その「派・葉」をやらせて(=送ってやって、作付けをやらせて)

サツキノモチニ  =5月の15日に

ルイワヒ    =その「派・葉」の張るのを祝って

モチニエシキ  =15日に、生えるように敷き

ウケカミニ    =豊作のカミに

フホナガト  =祝うのは稲の穂長と

「ユツリ・ハ」ノ  =譲ってもらった「苗葉」の

ホツマアソビノ  =穂の実が詰まり、種が成長する

ミヅホウタ    =ミツホウタ

タノシニキフ  =楽しい賑わう

トヨノクニ    =豊の国

ミソフノアガタ  =32のアガタに

ミナ「ハ・ヤル」 =皆、稲の苗葉をやった。

カトマツエバ  =カト(家を良くする事を)待つ生え葉

「ユツリ・ハ」モ   =譲ってもらった苗葉も

ルシキカザル  =張る敷き飾る

モトオリヤ    =起源です。

 

と、このように、良い稲の苗葉を選んで、それを32のアガタに「葉」をやらせて(送ってやって、作付けをやらせて)

良い品種のものに改良していく、という話にも読めるのではないか?ということです。

「ハヤル」=(流行る)という言葉の起源も、(葉やる)=葉をやって、広めていくという事が起源になっているのではないか?とも思えませんでしょうか。苗の良い品種の「ハ・ヤリ」=(派・葉やり)と共に、田植祭や田植え唄なども流行って行くので、唄や行事が広まることを「ハヤリ」というようになったのかも。さて、どうなのでしょう。

 

品種改良の次は、土壌の改良の肥料やりです。鹿児島は豊かになったけれど、阿蘇国は、土地が痩せていて、収穫量が中々増えないからです。

 

すぐに出てきます。(つづき)

ホ25−56

      トヨニキハヒテ

ムヨロトシ ヘテモアソクニ

マダコエズ カレニヤツクリ

ウツリマス ハオカンガエテ

カゾミネノ カゾウオイレテ

タオコヤシ 

 

この文章も、私なりに(「ハ」のところを)二重に訳してみますね。

 

トヨニキハヒテ   =豊かになって賑わって

ムヨロトシ     =(マサカキ暦で)六万年を

ヘテモアソクニ   =経ても、阿蘇の国は

マダコエズ     =まだ豊かにならない、

カレニヤツクリ   =それで、土地改良の為の拠点となる宮を造り、

ウツリマス     =移動します。

「ハ」オカンガエテ =「場」=(土壌の性質)を考えて、又は「葉」=(稲の品種の特性)を考えて、

カゾミネノ     =カゾ峰の下の海や川で漁れる

「カゾウオ」イレテ カゾ魚(種や苗に肥やしをする魚)=ニシンやボラ?を田に入れて、

タオコヤシ     =田を肥やし

 

二重の意味に取ったところは、「ハ・オカンガエテ」というところで、「ハ」を「場」と「葉」の両方に取ったというわけです。

何れにしても、魚を肥料にするという土壌改良、施肥をしてと工夫を凝らしていたわけですね。

驚くのは、カゾウオがニシンだとしたら、今は北海道で漁れる魚が九州で漁れていたのか?北海道から船で運んだのか?または、違う魚だった可能性があるのか?そのあたりは、知っている人に聞いてみたいと思います。

 

この改良の話は、「シホツツノヲチ」まで遡り、25アヤは、『ヒコミコト「チ」オヱルノアヤ』ですから、「チ」と言うのは、釣り針と土地の両方を意味しているわけで、ホオデミさんは先に兄のホノスセリさんに意地悪をされて、無くした針を取り戻す時に、工夫した事が農事改良にも役立ったというわけですね。最初は、シホツツノヲチが、小さな針を掬い取る為の「メナシカタアミ」の知恵を授けてくれました。その次には、ハテカミさんが現場の人を集めて会合を開き、アカメさんの提案に従って具体策を実行に移してくれました。

みんなで協力をして、困難な問題にあたって解決する、ということも学んだわけですね。大きな壁にぶつかった場合に、それを乗り越える為の、素晴らしい教訓をいっぱい含んだ物語ですね!

 

『フトマニ』の「フ・コケ」の項目にも、「ハ・ヤリ」と「カゾウ」と「ヲキナガワザニアミリタス」という言葉が出てきていて、

「ハ・ヤリ」=場の改良、又は、稲の苗(派・葉)の品種改良

「カゾウ」=土地の施肥による、稲の発育促進

「ヲキナガワザニアミリタス」=シホツツの「メナシカタアミ」の網糸をもっと増やす

と考えますと、25アヤと関連もありそうですね。

 

(浦島太郎さんの絵本より:この物語は何だろう?って、思いますよね、やっぱり!)

 

それにしても、ホオテミさんは、本当に身を尽くして、よく働かれましたね!!奥さんが6名もおられるのに、仕事に集中されていてお子さんもできなくて、トヨタマヒメもさぞ、ヤキモキされた事でしょう。

翻って、おそらくこのホオテミさんの物語が元になっていると思われる、私たちが子供の頃に教えたれた「浦島太郎の物語」は、どうでしょう!浦島太郎さんが、カメを助けるところまではいいです。そのあと、竜宮城へ行ってからまる3年間も乙姫様と一緒に鯛やヒラメの宴会のもてなしを受け、その間には何にもやりませんでした!そして、3年の後に急に気がついて、「家に帰る!」と言ったのです。

帰る時には、手土産まで持たされて帰って行きました。挙句の果てに、お土産を開けたら、白髪のお爺さんになってお終い!

・・・これって、どういう事なんだろう??・・

「浦島太郎の物語」って、もしかして、古代の天皇の貶めの物語だったの?!と、思えてしまいます。ホオデミさんは、身を尽くして、あんなに働かれたんですよ!!

それなのに、ああ、それなのに、宴会の接待を受けただけで、何にもしなかったなんて!(T ^ T)

 

「トヨタマヒメは、ワニ(鰐)じゃないのよ!」と、いつも強く訴えておられる箭野さんに、トヨタマヒメの旦那さんであるホオデミさんの屈辱も一緒に訴えて欲しいです!!

 

「浦島太郎のホオデミさんは、怠け者じゃないのよ、働き者よ!!

みんなの為に、身を尽くしよ!!」\\¥٩(๑`^´๑)۶////

 

このブログを見られていましたら、よろしくお願いいたします。(笑)

ホオデミさんの物語を伝えるのなら、この『ホツマツタヱ』の物語をそのまま伝えて行きたいですね!

 

以上です。また、ご意見や「カゾウオ」について、何か知っておられる方がおられましたら、是非コメントをお願いいたします。

 

ツツヰについての考察:その2(色「イロ」とは?)

  • 2019.01.12 Saturday
  • 22:40

 

寒くなりましたね!寒さに負けていてはいけませんので、今日は自転車に行ってきましたよ。

 

(こちらは、八幡神社です。冬のウェアーは外気温5℃でも大丈夫)

 

ロードバイクで、近所の神社参りです。三輪神社っていうところにいつも行っていますが、御祭神については考えたこともなかったのですが、クシヒコさんだと思います、きっと。いつも行ってるんですが、今度ちゃんと見てこようと思います。(笑)

 

 

(三輪神社の鳥居:向こうは武儀川です)

 

さて、今日のテーマは、色「いろ」です。

 

前回到達できなかったもう1つのテーマ、

「イロツカサ」の「イロ=色」って何、「イ・ロ」の本質は何を意味していたのかな??ということです。

これも、「ツツヰハモトノ イロツカサ」と「アイモイロ」、この2つの意味を考えていて、思い当たりました。

 

(太陽系の惑星の図:それぞれ、色んな色に見えますね)

 

うまく説明できるかどうか分かりませんが、始めさせて頂きます。

まず、2つの言葉を簡単に訳しますと、

 

「ツツヰハモトノ イロツカサ」=5つの惑星は、元の色(イロ)を司る存在です

「アイモイロ」=天の意も「イ・ロ」である(つまり、季節の移り変わりである)

 

ということです。

 

惑星は、星とは違って宇宙にマダラに広がっているものではなく、独特の色を持ってクニタマの上を独自の軌道で動いている明るい星です。天体を観測していると、特に目立つ存在になると思います。ですから、惑星は一般の星と違って、特に強い影響を地球や人々に与えていると考えられていたと思います。その前提で、「イ・ロ」の元について考えてみたいと思います。

 

 まず、色=「イ・ロ」を「イ」と「ロ」に分けて、ヲシテの文字から考えてみますね。

 

 

「イ」=天の意(季節や気象現象などを表す)人の意(性格や気持ちなど)

「ロ」=個体から流れ出るものや、発するもの

 

早めに結論から言いますと、

惑星というのは、天の意(イ)である、季節や気象現象、また人の性格やその時々の気持ちを、発信する(ロ)源

ということに、なるのでないでしょうか。

 

(「イロツカサ」の図:5つの惑星の「イロ」が、地球と人々とに繋がっています)

 

当時は既に、冶金学も進んでいて合金を作る技術も十分にあったと思います。人の体も合金を作るのと同じように、クニタマの各素材を融かし合わせて作られていると、考えられていたのかも知れません。

また、人の心も同じように、色んな気持ちが合わさって出来ていて、特に心は「ヰクラ」と言われるように、五つの心の要素から成り立っており、各要素が五つの惑星から来ている(もたらされる)、と考えられていたとも十分に考えられます。

 

季節も暖かい春、暑い夏、涼しい秋、寒い冬とありますが、それも惑星から齎されているし、人の心の温度も熱い心、優しい心、涼やかな心、冷たい心と色々ありますが、それはどの惑星から齎されたものであるかによって、違ってきますよね。

 

惑星と私たちとの関係を改めて見てみますと、

「ツツ・ヰ」の「ツツ」は、両端が繋がっているという意味ですが、これは引力でクニタマと繋がっているから、「ツツ」なんだと、私は最初は思ったのですが、どうもそれだけの意味ではなかったようです。「ツツ・イ(=意)」でもあるわけですから、それ以上に、地球上の気象や『人の心』が、この五つの惑星と繋がっていると言う意味なのかも知れませんね。

 

心の五要素である「ヰクラ」とも対応が考えられるのかも知れませんが、今日はここまでにしたいと思います。

惑星の人体に及ぼす影響は、池田先生も既にコメントで指摘して下さっていました。

 

(以下、池田先生のコメントより引用)

ーーーーーーー

「ヰツイロの ハニもてつくる」ホ14-25(2445)

の用例のところの示すように、

人体の形成作用に於いて、ハニのいろいろな「イロ」の成分が、

ヰクラのこころに作用されて、

ソムヨロヤチにシナを変えつつ、赤ん坊が育ってゆく。

と言う考えの方が、良いと思うのです。

ハニのいろいろの種類に極まったのが、

水星・金星・地球・火星・木星・土星

だと思うのですが、いかが?

地球は、ヲシテ時代の呼び名でクニタマですが、

そのまわりを、日も月も巡っていると考えていたわけです。

そうしましたら、

水星・金星・火星・木星・土星も、

ハニの片割れだと、そう考えていて、

理解できます。

だから、人体形成時には、

5色の、ハニの成分が関与してくると言うように考えられる。

こんな世界観が、ヲシテ時代の中期のころの雰囲気だったと思われます。

ーーーーーーー

(以上、引用終わり)

縄文人が何故宇宙研究をし、考え方(哲学)を宇宙の仕組みに準えるのか、それは天意に則って「マツリゴト」=政治をするのが、一番良いし理にかなっていると思っていたからなのでしょう。この発想をもう一度現代に蘇らせて、大切にしていきたいですね。

 

「ツツヰ」についての考察:その1

  • 2019.01.10 Thursday
  • 19:18

 

今日の研究テーマは、「ツツヰ」についての考察です。

 

『ミカサフミ』の6−17に出てきます、「ツツヰ・ハモトノ イロツカサ」という文章があるのですが、この「ツツヰ」と言うのも何なのか?よくわからなかったのですが、池田先生が発見して下さいまして、惑星の五つのことではないか?ということで、ほぼ間違いがないと思えました。

 

惑星

(太陽系の惑星です。地球の周りをぐるぐる回っているように見えますね。)

 

ところがですね、「ツツヰ」の最初の「ツ」は、数詞のようにハネが付いているのです。

ツツヰのはね

それで、ここだけ何故「ツ」にハネがあるの?という事に気がつきます。大体が、おかしい!「ツ」って数字なの?と思えます。まあ、気にしなくても良いのではないか、と私も思っていましたが、昨日、車を運転しながら考えていて、あれあれ??「ツツ」って、数字を意味していたのではなかったのか?!と、ふと気がついたのです。

 

そして、もう一つ考えていたのは、「イロツカサ」の「イロ=色」って何、「イ・ロ」本質は何を意味していたのかな??ということです。この「イロ=色」についても、一緒に気がついた事がありましたので、考えていきたいと思います。

 

今日の研究テーマは、二つ。

「ツツヰ・ハモトノ イロツカサ」の文章の中の 1、「ツツヰ」と 2、「イロ=色」についてです。

 

それではまず、文章全体の訳について考えてみたいと思います。

 

ミ6-17(11405)

ツツヰ・ハモトノ =五つの惑星は、元の

イロツカサ    =色を司る存在である。

 

「ツツヰ」ですが、どうして惑星なのかと言うと、

「ツツ」=繋がって繋がっていること、つまり両端が紐で縛り付けられている状態

を意味しているからなのだろうと思います。(今のところの考えです)

今、星の話をしていて、「ツツ・ヰ」ですから、五つの地球に繋がって動いている様に見える星、となると惑星かな?ということになります。この発見は、素晴らしかったです。

 

でも、不思議な特殊文字、「ツ」のハネの意味は分からないし、「ツツ」って星に付けるには変な名前だし、何か他に意味があるのではないか?とも思えました。そういう意味で考えていたのですが、気づきのヒントになったのは、『トシウチニナスコトノアヤ』のこの文章でした。

 

ト−6(11707)

サツユツキ カツミノツユヤ

ノリクラヘ 「ヰヰノツツタチ」

メヲノホキ ヰワタチマキヤ

メモトカミ

 

この中の、「ヰヰノツツタチ」という箇所です。

「ヰヰのツツタチ」って、5月5日って事じゃないの?!と、ドライブしていて気づきました。

月の初日は、「ツイタチ」って、言うし。5月5日から、何か始まるのですね!きっと。

 

家に帰って調べ直してみました。

とりあえず、『トシウチニナスコトノアヤ』のこの文章を訳してみましょう。

 

サツユツキ    =5月(「サ」幸の「ツユ」梅雨の月)

カツミノツユヤ  =稲の実に稔りを与えてくれる梅雨や!(もう一つの意味は、「カツミ」=勝つ身)

ノリクラヘ    =ムマの乗り比べ

「ヰヰノツツタチ」=5月5日の数字つながりの日は、

メヲノホキ    =男女のお祝いで、

ヰワタチマキヤ  =ヰクラムワタに良い、チマキを食べますが、

メモトカミ    =これが、良い芽の元になるカミ(=代々の仕来り)です。

 

意味が難しいので、訳には自信はありませんが、「ツツタチ」というのは、この文章から考えますと、月と日の数字が二つ並んだ日という意味に取れます。「ヰヰノツツタチ」は5月5日、ムマの乗り比べ(レース)といえば、もう一つ思い出す箇所があります。以前に京都の講習会で学びました『ノリノリヒトヌキマノアヤ』です。

 

ホ19B-21(3805)

      ムマノサタメハ

メハナヨリ オホネヘヤタノ

ツツタチハ ヰタヰキノリオ

ハツキモチ サツキヰツカノ

コトホキノ ノリニカケタハ

アヤシアリ

 

競馬

(馬の乗り比べ、競馬もこの頃からあったのですね!5月5日の駆け比べですね)

 

これも、訳してみましょう。

 

ムマノサタメハ  =馬の良し悪しを定めるには、

メハナヨリ    =鼻頭からの丈、(もう一つの意味は、「目鼻=顔立ち」よりも)

オホネヘヤタノ  =つまり、鼻頭から尾骨までの丈が、八尺であること。

ツツタチハ    =紐に繋がれて、真っ直ぐ立っている時の鼻頭までの高さは、

ヰタヰキノリオ  =5尺5寸の寸法(又は法則)であること(※距離と書いていたのを寸法に訂正)

ハツキモチ    =1月15日の元服式の日?

サツキヰツカノ  =5月5日の菖蒲(勝負)の節句?

コトホキノ    =始まりのお祝い儀式の(これから、良い穂を実らせる願いの)

ノリニカケタハ  =乗馬レースで馬が駆けたのは、(又は、レースに勝敗を賭けたのは)

            (又は、馬の寸法の5尺5寸とお祝いの日5月5日を掛けたのは)

アヤシアリ    =「アヤシ」=心配・不安ということで、つまり、ワクワクした!!

 

この文章も、訳してみると、意味が幾重にも掛けてあって、素晴らしいですね!!

やはり、『ノリノリヒトヌキマノアヤ』の中でも、5月5日の馬のレースの事を言っていて、

「ヰヰノツツタチ」は5月5日ということのようですね。

 

では、本題に戻って、「ツツヰ」というのは、なんであるか?ということなのですが、

どうも『5月5日』の様な続き日を示していていたのではないか?ということになります。

数詞の「ツ」を使っていたのはその為ですね、きっと。

「ヒトツ」「フタツ」「ミツ」「ヨツ」「ヰツツ」の「ツ」ですね!

 

それでは、「ツツヰ」の日

数字つながりの5つの「コトホギ」の日を全部挙げてみます。

「コトホギ」ですから、ヲシテで考えると、この日から新しい惑星の影響が始まるというスタートの日ですね、きっと。(※祝日と書いていたのを原文通り「コトホギ」に換えました)

あ、ありました!

 

1月1日(元旦)

3月3日(桃の節句)

5月5日(菖蒲(勝負)の節句)

7月7日(七夕)

9月9日(菊の節句)

 

こんなに綺麗に五つありますね。

さてそこで、惑星は『ツツヰ』ですから、この祭日のどこに5つの惑星が対応するのか?これが次の問題です。

また、「キ・ツ・ヲ・サ・ネ」の方角は、どこに対応するか?これも考えないいけません。

 

とりあえず簡単なのは、「キ・ツ・ヲ・サ・ネ」の方角の対応ですね。やってみます。

これは、季節の色から考えました。ここに書いていありますね。

 

ミ6-21(11420)

ヤスミキハ ヤイロノニギテ

ミナミアオ ニシハクレナイ

キタハキニ ヒカシハシロク

アイモイロ

 

ヤスミキハ   =八つの隅の木は、

ヤイロノニギテ =八つの色の幣(へい)でお祀りします。

ミナミアオ   =南は、青です。

ニシハクレナイ =西は、紅(赤)です。

キタハキニ   =北は、黄色にします。

ヒカシハシロク =東は、白くします。

アイモイロ   =その間の四隅にも、それぞれ色はあります。

        (又は、天の気持ち(季節)も「イロ」=色で表される)

 

上の記述から、このように、対応させました。そして、図も描いてみました。

 

(金星)黄「ネ」(北):1月1日(元旦)

(木星)白「キ」(東):3月3日(桃の節句)

(土星)黒「ヲ」(中):5月5日(菖蒲(勝負)の節句)

(水星)青「サ」(南):7月7日(七夕)

(火星)赤「ツ」(西):9月9日(菊の節句)

 

 

(「ツツヰ」の図:5つの惑星と季節の色とを合わせて考えてみました)

 

 

惑星の対応は、惑星の色のイメージから(実際に見える色からも)、考えました。

すると、意外にも良い感じで対応ができたのではないかと思えます。

金星は黄色なのでネ=北、木星は木なのでキ=東で色は白、土星は土なので、ツチ=良いものが集まってくる中央、水星は青でサ=南、火星は赤でツ=西という配置です。

また、四つの季節の間にも色があったと思えますので、それも見つかるといいですね。

とりあえずは、夏の青と秋の紅の間に「紫(むらさき)」とかぴったりではないか?と思うのですが、どうなのでしょう?

 

さて、こうやって考えてみますと、五つの惑星が五つの祝日を司り、季節に影響を与えていると考えられていたのでしょうか。

季節の色は、それぞれの惑星の色でもあったし、そしてその惑星が季節を守ってくれる。

五つの「ツツ」の日のお祭りは、幸せが「つづ」きますようにと、それぞれ5つの惑星に感謝する日でもあったのかも知れませんね!

 

以上、もう1つテーマはありましたが、余り長くなってもいけませんので、今回はここで終わりにしたいと思います。

2つ目のテーマ、「色とは何であるのか?」の話は、次回にさせていただきます!

 

では。今日も、ありがとうございました。

又、考えの不備な点など色々あると思いますので、ご意見など聞かせていただければ嬉しいです。

 

「クサ」という言葉の意味について、考える:

  • 2019.01.09 Wednesday
  • 00:10

 

「クサ」という言葉がありますが、これが何を意味しているのか?

そんなの簡単だと思いますよね!そう、「草」ですね。

 

でも、三種の神器を「ミ・クサ・ノカンタカラ」と言いますし、人のことを「ヒト・クサ」と言ったり、

戦争のことを「イ・クサ」、又は軍のことも「イ・クサ」と言います。

草薙剣「クサ・ナギノツルギ」というのも有名ですよね。

でも、「クサ・ナギ」って、草を刈るだけの意味なの?・・という事になります。

 

「クサ」と一言で言っても、草は分かりますが、その他の意味の「クサ」とは、いったい何を意味していたのかと言うことは、疑問ですよね。

 

ということで、「クサ」について、考えてみる事にしました。

これは、『ヲシテ』で考えないと、やっぱり分からないので、先ずは分析して考えてみます。

 

 

「ク」:これは、子音が縦棒(つなぐ)に、母音が「ホ」なので、

上からエネルギーが降りてきて、生まれる事を意味するのだと思います。

つまり、自然発生したばかりで無秩序状態のこと。このことを、「ク」という。

漢字で書くと「苦」つまり、無秩序状態なので苦しいのだと思うのですけど、

生まれることは、本当に昔から「苦」という概念だったのか?という疑問は残ります。

 

「サ」:これは、子音が横棒(とめる)で、母音が「ウツホ」なので、

エネルギーを止めて収める(又は広める)という事を意味しているのだと思います。

(※エネルギーを抑えると同時に、横方向に広がるイメージもある)

 

では、「ク」と「サ」を合わせて、「クサ」となるとどんな意味になるのか?

 

「クサ」=・自然に発生して秩序がない状態を止めて収めること(又は物)

      (※「サ」を抑えるイメージで見た場合)

     ・無秩序な状態が、あちらこちらに広まって出てきていること(又は物)

      (※「サ」を広がるイメージで見たばい)

  これを具体化すると→ 草、取るに足りない事ごと、腐敗した状態、あちらこちらの反乱、心の乱れた状態・・

 

ということになります。

 

一応は、漢字の「クサ」の意味も見てみると

草=木部が発達せず、柔らかくて冬になると枯れる植物。

種=何かを生ずる原因、材料。種類、たぐい。

臭い=嫌な匂いがする。

瘡=皮膚にできるもの、湿疹などの総称

腐す=悪意をもって、他を悪く言う

腐る=腐敗する

 

それでは、『ヲシテ文献』から、検索して用例を見てみましょう。

(意味の違う用例だけを抜き出し、ヲシテの「クサ」の意味を頼りに訳してみます)

 

ミ・クサ・タカラ =(三種宝)三つの、無秩序を収める、宝

ヒト・クサ    =無秩序が収まったばかりの人々(低いレベルの人々)。しかし、種であるので大切

ヲシエ・クサ   =無秩序を収める為に、教える事柄

イ・クサ     =生きる為に、無秩序を収める行為(又は人々)

クサ       =自然に生えて荒地を覆うけど、整っていない植物

クサ・ナギ    =草を薙ぐ、又は、無秩序な状態を実が成る状態にまで落ち着かせること

ス・クサ・ノウタ =乱れを収めるウタ

クサ・シ     =無秩序な状態の匂い

クサ・リ・クサ  =無秩序な状態の事ごと

チヨミ・クサ   =千の世を見られる長生きの草

アオ・ヒト・クサ =天が生んだ、まだ秩序はできていないけれど、大切な人々

ガサ・クサ    =貧しい状態(貧乏)と腐敗した状態(主に皮膚の病気)

ナナ・クサ    =七つの薬草

ト・クサ・タカラ =10種類の、反乱を収める、宝

クサ・ナセハ スセリ・クサ・ニテ =皮膚病を生じたので、スセリが薬草にて治療をした

クサ・オナク   =草を薙ぐ。あちらこちらの反乱を収め、実が成るところまで安定させる。

ナ・クサ・ミユケ =心の乱れた状態を、(無くする)実が成るまでに穏やかにする為に、行ってきなさい。

ワスレ・クサ   =忘れていた、あまり取るに足りないような事ごと

タミ・クサ    =まだレベルは低いけれど、これから良く成る大切な民(たみ)達

サチ・クサ    =幸をもたらす、小さな事ごと。

オモヒ・クサ   =思い出す、小さな出来事。

 

これら、「クサ」の用例から、序でに「ク」=この世に生まれてくる事は、「苦」だと認識されていたのか?

見てみたいと思います。

上から順に、分かりやすいものを抜き出しますと、

「イクサ」、「クサシ」、「ガサクサ」、「ナクサミ」など、余り良いメージの言葉にはなっていないですね。

 

ヲシテの文字で見ますと、子音が縦棒(つなぐ)の『カ・キ・「ク」・ケ・コ』の中で、母音が「ウ」の「ク」だけは、降りてきたエネルギーが流れていかずに生み出すイメージですね!

「ウ」行の『ウ・ク・フ・ヌ・ム・ツ・ル・ス・ユ・ン』は、全て人の動きに関する文字です。

やはり、地上に生まれることは、嬉しい、うるわしいことなのですけれど、産みの苦しみと言いますか、「ク」=「苦」も同じように伴うものだというイメージが最初からあった様だと感じられます。

「苦」の漢字は、音読みも「ク」ですが、訓読みも「くるしい」の「く」ですね。紛らわしい例でしょうか。

 

さて、今回は『ミカサフミ』6−1(11342)

 

『クサ・ナギテ コホシオマツル』

 

の意味を解釈して、着地をしたいのですが、そのまえに「ナギテ」の「ナク」・「ナキ」を考えてみないといけない事に気がつきました。先には、「クサ・ナギ」を草を薙ぐ、又は、無秩序な状態を実が成る状態にまで落ち着かせること、と軽く訳してしまいましたが、もう一度、しっかりと『ヲシテ』の文字から「ナギテ」の分析をしてみたいと思います。

 

「ナ」:これは、縦の棒(つなぐ)と横の棒(とめる)が合わさって、十字になった子音+(なる)に、母音が「ウツホ」なので、やはり、エネルギーが地上に降りて、事がなる(植物や人・物も成る)という意味ですね。

面白い事に、ヲシテ文字の「カ」+「サ」=「ナ」る(かさなる)になります。本当に文字通りですね!

また、「ナ」の文字は、成ると言う意味なのに、「ない」という否定の意味の「ナ」としても使われていて、何故、否定で使われるようになったのか?この問題も、考えてみたいと思います。

 

「ナ(ク・キ)」:成り来る、田畑に成る作物や事の成果が実る時が来る(来た)、という原意になると思います。生産的ではありますが、荒れた状態が収まっていて、穏やかな状態です。そこから、

1、凪いだ(和いだ)という意味も発生してくるのだとおもえます。

また、音に関してもこの世に生成して来るものだから、音が成り来たって

2、鳴く・泣くという事にもつながります。

 

漢字の意味も見てみましょう。

「ナク」

薙ぐ=横に払って切り倒す

泣く=苦しみなどの為に声を出しす(喜びの場合も)

無く=存在しない

鳴く=鳥などが声を出す

「ナキ」

凪・和ぎ=・風が止んで、波がなくなり海面が安定している。

                ・物事が安定して収まっている。

 

それでは、『ヲシテ文献』からの用例を検索して、訳してみてみます。

(関係のありそうなものだけ、重複を減らして抜き出しました)

 

「ナキテ」

カオウケ・ナキテ        =光を受け、鳴きて

ワナ・ナキテ            =震えて、泣きて

ナミ・ナキテ            =波が凪て

 

「ナギテ」

クサ・ナギテ    =(草を凪いで)無秩序な状態が、実が成る状態にまで落ち着いて

 

「ナギ」

イサ・ナギ                =気持ちが爽やかで、実が成る時期で平安である

ナギ・サ                    =穏やかに収まり、広まっている状態や場所

 

「ナキ」

ナキ・サ                    =(「ナギサ」に同じ)

タノシ・ナキ            =楽しさが、無い

ステトコロ・ナキ        =捨てどころが、無い

ナキ・コト                =無い、こと

ワレオ・ナキ・ミニ    =私を、無き、身に

コ・ナキ・トテ        =子供が、無いので

カラス・ナキ            =烏が鳴き

 

「ナク」

ハシカケ・ナク・テ    =仲人が、無くて

ツギコ・ナク            =後継の子が、無くて

ナク・ミコノ            =泣く、御子の

ナク・ル                    =投げる

イエトミヤ・ナク        =家と宮が無く

ナク・コエニ            =鳴く声に

ツケ・ナクル            =追いかけて、殴る

カラス・ナク            =烏が鳴く

クサオ・ナク            =草を薙ぐ、又は、

                                無秩序な状態を、実が成る状態にまで落ち着かせる

 

ここで、上の用例をみてみますと、「ヲシテ」文字からの意味の 1、「凪いだ」と   2、「鳴く・泣く」  に関しては一致しますが、もう1つの意味、3、「無き(く)」と言う意味で使われている用例が多い事に気がつきます。ここが、難しい問題です。何故、「ナ」=成ると言う生産的な文字が、無いという否定語に使われているのか?

 

ヒントとしては、最初の否定語が、「ナ◯◯◯ソ」という形で使われたという事です。

「ナ◯◯◯ソ」となる理由は、「ナ」は成る成果ですが、「ソ」は元の種です。

例えば、「ナ・ウレヒ・ソ」=(心配しないで)という場合は、「成果」としての愁ひを「種」に返すという意味で、反対。つまり、順序を逆にする事によって、否定語にしたとも考えられます。

 

また、「凪(なぎ)」という意味を発展させて、乱れた状態が止まると考えると、消極的な意味にも繋がり、否定的な意味が発生しやすくもなったのではないでしょうか。

「鳴く・泣く」という意味も、否定的な意味に発展しやすく、「ナ」が否定語に繋がる要素になったとも考えられます。

 

時代と共に、「ナ◯◯◯ソ」の形は使い辛いので、省略されて、

「ナ・ウレヒ・ソ」が、「ウレヒ・ナキ(ク)」になり、「ウレヒ・ナ」に成っていったのではないか?と、推測できるところです。

 

以上、長くなりましたが、『ミカサフミ』6−1(11342)の

 

『クサ・ナギテ    コホシオマツル・・・』の意味の解釈に移りたいと思います。

 

「無秩序な状態から、実が成る状態にまで落ち着いたので、ユキノミヤに9星(アメトコタチ)を祀りました。・・・」

つまり、人々がまだ未熟で争いごとが起きたり、教えようとしても無理な状態から、先のアアマキミの方々が、辛抱強く指導して頂いた事により成果が出て世の中が穏やかになり、木ノ実の栽培もできるようになり、ムロヤも建てられるようになった。その事に感謝して、先のアマキミである、九星(ミナカヌシと8人の王子のトホカミヱヒタメ)を、星(ホ・シ=穂を成し見守る存在)として、これからも天から見守って頂けるようにと、お祀りをした。

 

まだまだ十分ではありませんが、今日のところは、ここで終わりたいと思います。

また、考えの至らぬ点や勘違いしている点など、ご意見を宜しくお願いいたします。

『ミカ』という言葉について:

  • 2019.01.04 Friday
  • 21:24

 

お正月の三が日も終わって今日は4日です。私は二日に伊勢の神宮へ参拝に行ってきましたよ。今年は流石に平成が終わる年でもありますので、伊勢の神宮も大きな変化がありました。

 

まずは、

1、参道の石灯籠が無くなりました!(びっくり!)

2、内宮さんの正宮近くの参道で、道路工事風の作業していました。

3、内宮さんの杜全体に響き渡るほどの大音量で、案内放送がかかっていました。

(聖域では無くなったような??こんなことは、初めてでした。)

 

(内宮さんの石灯籠が、一本も無くなっていました。 レンガの明るいところにあったようです

 

 

残念ながら早速、びっくり!の、良くない方の変化を感じてしまいました。

その他、外人さんが多かったとか、おはらい町おかげ横丁の人出が過去最高に超満員だったことなど、これは良いことですが、伊勢の神宮だけは、このままずっと元の形を留めるものだと安心していましたが、これも時代によって変わるのですね!

 

新しい時代が、良い時代でありますように、皇室が永遠でありますように、いつもの年よりも強く願って来ました。

 

(外宮さんはトヨケのカミ様、いつもスガスガしいです。今年はこの15年くらいの間で一番寒かった)

 

さてさて、今日はヲシテ時代の言葉の1つを考えてみました。

 

『ミカ』という言葉について

これは現代には残っていない言葉ですが、ヲシテの時代にはあったのではないか?というお話です。この言葉が有るという前提でないと、どうしても理解でいない部分がありましたので、考えていましたのです。

 

『ミカサフミ 』6ー17

                   フソ「ミカ」ホシ

ヨシアシオ    ハラノニシメス

 

というところがありまして、この「ミカホシ」というのは、一体なんだということですね。

「フソ」は数詞になっていますので、20という意味で、ミナカヌシとトホカミヱヒタメ=9星とキツヲサネ+アミヤシナウ=11星を足すと20になりますので、それで良いということですが、「ミカホシ」は?ということだと思います。もちろん、どの星に対応するかは、分かりません。(笑)

 

それで「ミカ」という言葉があったのではないか?という前提で考えてみたのです。

ヒントになったのは、

ミ6ー12(11387)

                      サコクシロニテ

ミコトノリ    「ミナホシ」トナス

 

「ミナホシトナス」は(皆星となす)と訳すのではなくて、「ミナホシ」いう言葉ものもあったのではないか?ということです。

 

「ミナホシ」=(実(身)が成る星)という意味ではなかったかと、言うことです。

「ミナホシ」については、今回はここで止めておきますが、「ミカホシ」も同様にヲシテで考えると、

 

「ミカホシ」=(実(身)を齎らす(栄養を与える)星)

という意味だったのではないか?と思えます。

つまり、

「ミカ」=(身(実)を地上に齎らす・身に光を当てる)というような意味です。

 

実際に、「ミカ」という言葉が使われているのかどうか、考えてみました。例えば、

『タケ「ミカ」ツチ』

『「ミカ」サフミ 』

『「ミカ」ラヌシ』というのは、どうでしょう?

 

その他にも、検索をかけて調べてみますと、かなり沢山出て来ましたが、この場合の用例に合いそうなものを並べてみました。

 

ミカ・ホシ=身を齎らしてくれる星

ミカ・ツチ=土に稲の実を降ろしてくれる大切な存在

                     =雷(ナルカミ)=(実が)成るカミ

ミカ・サ=(御笠)身に光を当てて幸(さいわい)にする

ミカ・ラ=実を齎らすエネルギーを散らす

ミカ・リ=実を齎らすエネルギーを下に降ろす

ミカ・ケ=(御蔭)実を齎らすエネルギーが来たもの

ミカ・キ=(御垣)実を齎らすエネルギーが来る所

クシ・ミカ・タマ=奇し「ミカ」が溜まっている人

ミカ・ク=(磨く)「ミカ」が来るようにすること

ミカ・ラヌシ=「ミカ」を散らしてしまっている主

 

例えば、「ミカサ」ですと、御笠と訳されてしまいますが、

「ミカ・サ」=身に光を当てて幸(さいわい)にする、だったのかもしれません。

ミ=「御」という丁寧語に取られてしまいがちになるので、間違いやすいですよね。

 

また、「ミカ」と、そのままの単語で使われている例もありました。

 

ホ15ー35

アイモノノ    ウオハヨソアリ(アイモノの魚は40種類あるけれど)

コレモ「ミカ」(これも「ミカ」=(身に栄養を与えてくれる物)である

ススナニケセヨ(ススナで毒を消しておきなさい)

 

アマテルカミ様は、これも「ミカ」!と、単語で使っておられます。

以上、今回は『ミカ』という単語が、ヲシテ時代にはあったのではないか?というお話でした。

 

現代では、身近なものとして「みかん」という形で残っているのかな?とも思います。

「ン」は強調の現在化助詞で、カグの実は正に「ミカ・ン!」ですからね。

 

追伸:蜜柑(みかん)は、漢字由来の言葉でした。

  池田先生のご指摘でよくわかりましたので以後気をつけたいと思います。

    面白いですが、偶然の一致というのも多いですね。

 

(「みかん」は、橘 カクノミですね)

 

また、ご意見やご指摘の点など、コメントをよろしくお願いいたします。

 

『遊び』とは、そもそもなんであったか?ということ:

  • 2019.01.03 Thursday
  • 23:51

 

開けましておめでとう御座います。今年も宜しくお願い致します。さて、2019年の最初はお正月休みに相応しいネタと言いますか、『遊び』について考えてみました。

 

そもそも、『遊び』とはなんであったのか?そのヒントになる事が、「ホツマツタヱ」の25アヤに書いてありました。

 

結論から言いますと、

『遊び』とは、種を蒔いてから芽を出す前の期間に、力を抜いて楽しく時間を過ごすこと。

その方が、後の効率も良い。つまり、田植えの行事だったと言うことですね。

「子供が遊ぶ」というのも、芽を出す為の行為だということで、良い芽を育てるには、楽しい遊びは、絶対に必要だということになりますね。『ホツマツタヱ』は縄文哲学がいっぱい詰まっています。

 

では、順を追って、ヒントの箇所を見ていきます。

 

56

ハオカンガエテ

ホ25ー57

カゾミネノ    カゾウオイレテ

タオコヤシ    カゲロフノヒノ

コエクニノ タケイワタツハ

クツオアケ アソヒメユナニ

58

タテマツル 

 

この意味を考えてみます。

 

ハオカンガエテ(稲の品種による「ハ」(=葉)や土地の「ハ」(=場)を考えて)

カゾミネノ(カゾ峰の下に広がる海川の)

カゾウオイレテ(「カゾウオ」(=ニシンやボラ等)を田に肥やしとしていれて)

タオコヤシ(田圃を肥やし)

カゲロウノヒノ(陽炎が立つような暑い日には)

コエクニノ(土地が肥えてきた国に既になってきているし)

タケイワタツハ(岳や岩が切立って行く手を阻むので)

クツオアケ(靴を脱いで、ゆっくりして)

アソヒメユナニ(阿蘇姫を湯女として、温泉に浸かって)

タテマツル(どうぞゆっくり休んでください)

 

この訳は、もう1つの訳があって、

「タケイワタツハ    クツオアケ」を(「タケイワタツ」という人が、「クツ」屑土を上げ)と取る二通りができるようになっているとはおもいます。

ですが、ここでは訳ではなくて、

『遊び』とは、なんであったか?という疑問に答える文章に注目したいと思います。

 

「アソヒメ」ですが、分解すると「アソヒ」+「メ」になります。

この文章の流れでは、ホホデミさんが阿蘇の国を豊かにしようとして、一生懸命にお働きになり、子供もできない。これも問題である。

だから、夏の暑い日に開拓の山も岩も厳しい、そんな時には靴を脱ぎ、温泉に入ってここらで一旦休んで、遊んではどうか?と、こういう話だと思います。

この流れで、阿蘇姫が出てくるのですが、「ウタ」で書いてあるものですから、意味が幾重にも重ねてあります。そこが日本の文化であり、分かる人には判るというものなのですが、何分にも農業の話をしています。

だから、「アソヒメ」=「アソビ」遊び+「メ」芽でもあるのですね。

つまり、稲の「芽」を出してもらう為の「遊び」でもあるし、

子種の「芽」を出しもらう為の「遊び」でもあるわけです。

 

ここで、今回のテーマである『遊び』とは、そもそもどう言うものであったか?という

疑問を解決する記述の話に移りますと、

注目は、「アソヒ」に「メ」がついてる事です。

「アソヒ」をヲシテ文字で分解をして考えますと、

「アソ」+「ヒ」(=種を開く)という意味になります。

阿蘇姫は、「遊び女」でもあるし「遊び目」、「タネを開き芽を出す」という意味も重ねてありますね。

 

どうせ、暑い日だし岩が邪魔している、今は芽を出すことを考えたほうがいいから、

「アソヒ」(=遊び)とは、種が芽を出す為にワザと(意図的に)ゆっくりしている事だったのではなかったか、と言うことです。

 

 

ですから、

ホ25ー53

ウサノアガタニ(ウサの県に)

ホ25ー54

ハヤラセテ(流行らせて・葉をやらせて)

サツキノモチノ(5月の15日に・サツキのお餅に)

ハルイワヒ(春のお祝いをする・稲が張るイワヒ)

モチニハヱシキ(餅に「ハエ」(=生え)を敷き)

ウケカミニ(「ウケカミ」(=豊作のカミ)に)

イハフホナガト(祝う穂長と)

ユツリハノ(譲ってもらった葉の)

ホツマアソヒノ(穂が詰まる為の「遊び」(=種が開く)の)

55

ミヅホウタ    タノシニキハフ

トヨノクニ

なのだと思います。

 

「タノシニキハフ」ですから、『楽しい』という語源も、田植えに関係する行事から生まれたのかも知れませんね。

「アソヒ」は、種をまき「サヒラキ」(=田植え)で最高潮を迎えるまでの期間の行事だったと考えても良いのではないでしょうか。

 

ちょっと、分かりにくい説明になったかと思いますが、『遊び』の原点の意味が分かったような気がして、嬉しかったです。

 

何かご意見やアドバイスなど、ございましたら宜しくお願い致します。

「ニハリノミヤ」のミツカキに記(しる)された言葉についての考察:

  • 2018.12.30 Sunday
  • 14:41

 

こんにちは。年の瀬も迫ってきましたね。お天気も良くてお墓詣りにも気持ちよく行ってこれましたが、やることは、まだまだあります。ヲシテの文章にも、気になっていたところが何箇所かありました。

 

今日は、折角ですので21アヤの続きで、「ニハリノミヤ」のミツカキに記(しる)された、ニニキネさんのメッセージについて、いったい何が書かれていたのか?これも疑問の残る箇所でしたので、考えてみたいと思います。何となくではありますが、これは重要な事が書いてあるに違いないとは感じていましたので、また時間のあるときに考えてみたいとは思っていました。

 

それで、今年のうちに取り敢えずはやってみようということで、チャレンジしてみました。

 

先ず、話が分かりにくいでしょうから、新しく建築することになった「ニハリノミヤ」についてのミツカキの概要をご説明します。これは、四方に10本ずつ、カド(=玉垣)があるのですね。考えてみると、9X4=36本になります。その一本ずつに、ニニキネさんがコメントを記(しる)して下さるのです。しかして、その内容は?という事になります。

 

 

では、始めさせて頂きます。ヲシテの記述から。

 

ホ21ー19

ニガマダラ    ヒフミニシルス

サノキヨリ    アカツキノアハ

二ノタカラ    クラヤメノアハ

ガニヤメル    ヒワカレノアハ

20

ガノハナレ    ヒノイデノアハ

ニノイハヒ    ハナヤカノアハ

ニノミヤト    テリオレノアハ

ナカオビエ    ガニナスノアハ

21

ガニソコネ    アキラカノアハ

ニノヨロシ    ホシテルノアハ

ニノヒカリ    サノコカトコレ

ツハサヨリ    アキラカノアハ

22

ニノヨロシ    クラヤメノアハ

ガニヤメル    カオウルノアハ

ニミタカラ    アカツキノアハ

ニノタカラ    アカルキノアハ

23

ニノイノチ    アケホノノアハ

コノタカラ    マツクラノアハ

ガノウレヒ    ヒルノヒノアハ

ニニミツル    ツコモリノアハ

24

ガニキユル    ツノコカドコレ

ネハツヨリ    メクルヒノアハ

ニモメクル    アカルキノアハ

ニノイノチ    ハナヤカノアハ

25

ニノミヤト    ミナルヒノアハ

ナカミナル    クラヤメノアハ

ガニヤメル    オボロヨノアハ

ナカクラシ    トマヨヒノアハ

26

ガニクルシ    アラハルノアハ

ニノナアグ    ヒカワクノアハ

ガノトガメ    ネノコカトコレ

キハネヨリ    サカエルノアハ

27

ニノサカエ    ヒオツルノアハ

ガニオトル    ノドヤカノアハ

ニニヤスシ    アヤウキノアハ

ガニアヤブ    ナレヤウノアハ

28

ニニモナル    タソカレノアハ

ガニヤブル    テリオレノアハ

マダラヱタ    アヒノデノアハ

ニノタラチ    アキラカノアハ

29

ニノヨロシ    キノコカトコレ

 

以上、本文箇所は長いです。何しろ、36本のカト(=瑞垣の柱)がありますからね。

 

先ず最初に目につきますのが、「ノアハ」という文字の並びです。これが何を意味しているのかと言いますと、「ア」というのは、この場合「天意」と言いますか、『原因』を表しているのだと取りました。

 

 

例えば、

                          アカツキ(ノアハ)

二ノタカラ

 

と言うように、「アカツキ」という結果(現象)の原因は「二ノタカラ」である、ということです。つまり、事の「因果関係」(原因結果の法則)を表していて、「因」と「果」の配列も、自然に則って上に「因」、下に「果」という位置に配置してあるような気がします。

 

さて、事の因果関係を36本の「ミツカキ」(=瑞垣)に記したというのですから、大変なものです。「ミツカキ」と言えば、最高に尊い「垣」(=防護)ですから、よほど大切な文章しか記せません。ニニキネさんは、言葉は人にとって最高の「カキ」(=護り)になるのだと思われて、人生の教訓を一本ずつに記されたのではないでしょうか。

 

ここでは36本ですから、10日ずつの教訓を一年を通して学ぶ事により、人生のリズムが分かり、自らの心の内を反省して、改善策を思いつくに至る。これが一つの心の鑑にもなります。また、「二」と「ガ」を「マタラ」(=斑ら)に配置する事によって、人生のリズムをも分かりますね。良い事の後には悪い事もある、心も晴れたり曇ったりです。また、悪いことの次には、良い事もあると思って“待つ心を養う”という目的もあるように思えます。

 

やはり、特徴的に素晴らしいのは、全て自分の現状(結果)は、自らの心の持ち方(原因)によるものであるとの考えから書かれていることです。この格言は自分の状況(現状)に当てはめて、心の道標(みちしるべ)として使う事ができますね。

 

たとえば、

「アカツキ(ノアハ)二ノタカラ」は、

目の前が明るい、というのは、優しさや笑顔を大切にしているからですよ。

というように、今うまく行っている理由が分かります。

また、

「クラヤメ(ノアハ)ガニヤメル」は、

目の前が真っ暗でうまくいかないのは、心が我に囚われていて病んでいるからですよ。

というように、原因を示してあげる事によって、修正が効きます。

 

では、順に見ていきたいのですが、この格言は訳というよりも意訳しかできませんので、人に寄っても取り方に差が出てくるでしょうし、大意しか掴めませんので、そのつもりで見て頂きたいと思います。

 

「サノキヨリ」(=南東の角から)

 

1、アカツキ(ノアハ)二ノタカラ  

目の前が明るいのは、優しさや笑顔を大切にしているからですよ。

 

2、クラヤメ(ノアハ)ガニヤメル

目の前が真っ暗でうまくいかないのは、心が我に囚われて病んでいるからですよ。

 

3、ヒワカレ(ノアハ)ガノハナレ

明るいことがなくなったのは、我によって良いことが離れてしまっているからですよ。

 

4、ヒノイデ(ノアハ)ニノイハヒ    

日の出のように良いことが続くのは、優しさや感謝の心があるからですよ。

 

5、ハナヤカ(ノアハ)ニノミヤト

家が華やかなのは、優しい笑顔に満ちた宮のような家だからですよ。

 

6、テリオレ(ノアハ)ナカオビエ    

頑張りすぎて人間関係や仕事が荒れているのは、心の中が実は怯えている事の現れですよ。

 

7、ガニナス(ノアハ)ガニソコネ    

我が出てしまうのは、根っから我が抜けていないからですよ。

 

8、アキラカ(ノアハ)ニノヨロシ

明らかに物が見えているのは、和やかな気持ちで心が整っているからですよ。

 

9、ホシテル(ノアハ)ニノヒカリ

夜空の星のように自分が輝いているのは、あなたの優しい心の光が現れているのですよ。

 

サノコカトコレ   

 

 

「ツノサヨリ」(=西南の角より)

 

1、アキラカ(ノアハ)ニノヨロシ

(前に同じ    2回目)

 

2、クラヤメ(ノアハ)ガニヤメル

(前に同じ    2回目)

 

3、カオウル(ノアハ)ニミタカラ

良い成果を得られているのは、自分に優しく人にも優しくしているからだよ。

 

4、アカツキ(ノアハ)ニノタカラ

(前におなじ    2回目)

 

5、アカルキ(ノアハ)ニノイノチ

いつも明るくしていられるのは、ニココロ(優しい心)にとって一番大切なことです。

 

6、アケホノ(ノアハ)コノタカラ

今は暗くてもこれから夜が明けるように明るくなるには、子供がいるなら宝と思って育てなさい。また、今の小さな仕事でも大切にしなさい。

 

7、マツクラ(ノアハ)ガノウレヒ

真っ暗で良いことが何も無いように思うのは、我の心で自分の事ばかり不安で心配しているからですよ。

 

8、ヒルノヒ(ノアハ)ニニミツル    

明るい光の扉が開いているのは、優しい気持ちで心の中がいっぱいだからだよ。

 

9、ツコモリ(ノアハ)ガニキユル    

引きこもりになるのは、自分の事ばかり考え過ぎて心が内に入って消えてしまっているからだよ。

 

ツノコカドコレ

 

 

「ネハツヨリ」(=北西の角より)

 

1、メクルヒ(ノアハ)ニモメクル

色んな日が巡ってくるということは、良い日もやがてやって来るということだよ。

 

2、アカルキ(ノアハ)ニノイノチ

(前に同じ    2回目)

 

3、ハナヤカ(ノアハ)ニノミヤト

(前におなじ   2回目)

 

4、ミナルヒ(ノアハ)ナカミナル

良い実が成り成果が出ているのは、心の中が充実していて、あなたの中に実が成っているからですよ。

 

5、クラヤメ(ノアハ)ガニヤメル    

(前に同じ    3回目)

 

6、オボロヨ(ノアハ)ナカクラシ    

世の中で起きる事がおぼろげにしか見えないのは、心の中が暗い、つまり知識が足りないので勉強しなさい。

 

7、トマヨヒ(ノアハ)ガニクルシ    

どちらを選ぼうか迷っているのは、自分の我が出て苦しんでいるのだよ。我を外してみんなの為になる方を選びなさい。

 

8、アラハル(ノアハ)ニノナアグ    

やっと成果が現れてきたのも、良いことを積み上げて来た賜物だよ。

 

9、ヒカワク(ノアハ)ガノトガメ

河の水が枯れたように良い流れが無くなったのは、我が出てあなたの考えが間違っているからだよ。

 

ネノコカトコレ

 

 

「キハネヨリ」(=東北の角より)木は根より

 

1、サカエル(ノアハ)ニノサカエ

現在あながた栄えているのなら、それはあなたの優しいニココロが栄えている事の反映だよ。

 

2、ヒオツル(ノアハ)ガニオトル

陽が落ちたように落ちぶれたのは、我を守る心ばかりが強くて、心が劣ったからだよ。

 

3、ノドヤカ(ノアハ)ニニヤスシ

心が長閑かな状態で居られるのは、優しい心で居れば上手くいくと思っているからだね。    

 

4、アヤウキ(ノアハ)ガニアヤブ    

現在危険な状態になっているのは、自分の事に囚われて周りが見えなくなっているからだよ。

 

5、ナレヤウ(ノアハ)ニニモナル    

新しい人や事に慣れようと努力するのは、人に良いことをしようとするのと同じだよ。

 

6、タソカレ(ノアハ)ガニヤブル

目の前のことに判断がつかないのは、心の曇りで教えを破ってしまっているからだよ。    

 

7、テリオレ(ノアハ)マドラエタ    

頑張り過ぎで上手くいかないのは、心のゆとりを失くしてしまっているからだよ。

 

8、アヒノデ(ノアハ)ニノタカラ

気持ちが明るく気分が良いのは、親切や愛の気持ちを大切に思っているからだね。    

 

9、アキラカ(ノアハ)ニノヨロシ    

(前に同じ    2回目)

 

キノコカトコレ

 

以上の様に、36のミツカキに、「ニガマダラ」で、ニニキネさんのメッセージが記されたというわけですが、同じメッセージも出てきます。先ずは、2回出てきたメッセージを順にもう一度書き出してみます。このメッセージは、中でも大切なメッセージなのでしょう。

 

2回出てきたメッセージ:

 

1、アカツキ(ノアハ)ニノタカラ

目の前が明るいのは、優しさや笑顔を大切にしているからですよ。

 

2、アカルキ(ノアハ)ニノイノチ

いつも明るくしていられるのは、ニココロ(優しい心)にとって一番大切なことです。

 

3、ハナヤカ(ノアハ)二ノミヤト

家が華やかなのは、優しい笑顔に満ちた宮のような家だからですよ。

 

そして、3回同じメッセージが出てきたものは2つありました。この2つは中でも最も大切なのだと思えますね。

 

3回出てきたメッセージ:

 

1、アキラカ(ノアハ)ニノヨロシ

明らかに物が見えているのは、和やかな気持ちで心が整っているからですよ。

 

2、クラヤメ(ノアハ)ガ二ヤメル

目の前が真っ暗でうまくいかないのは、心が我に囚われて病んでいるからですよ。

 

 

こうして考えてみますと、現代にもそのまま当てはまる格言が、既にこの時代に完成していたのだと思えます。上手く行っていても行っていなくても、全て自分の心のうちの反映であるとするところが、やはり「トノヲシヱ」によるものですね。また、現代のおみくじや運勢暦、高島暦の源流の様にも思えます。

 

ニニキネさんの格言は、各々の捉え方で少しずつ違ってくると思いますので、自分流に合わせて作り直してみても楽しいのではないでしょうか。是非、やってみて下さいね。

オコロの「イクシマ」「タルシマ」へのニニキネさんのメッセージについて

  • 2018.12.28 Friday
  • 14:06

『ホツマツタヱ』21アヤー15より

オコロ(もぐら)が、ニニキネさんにニハリノミヤを守りなさいと言われた箇所について、ニニキネさんのメッセージは、一体何を意味していたのか?これも、不思議な箇所ですね。今日は、このヘンテコなメッセージの意味についての考えを進めてみました。

 

この箇所では、オコロに対して例えば、「春は釜戸にいて9尺底で、南を向いて北枕で寝ていなさい」というような言い方をしておられますが、何で9尺底で南向いて北枕なの?というような疑問が生じます。また、「夏は門(かど)で、三尺底にあって北に向いて西枕で伏していなさい」と4つの季節が続きます。

 

何の意味なの?ということですが、私はこれについて、物理的な意味ではなくて、言葉の音から考えた方が良いと思いました。ということで、1つづつ順を追って考えてみます。

 

 

ホ21−15

ハルカマド コタソコニオリ

サオムキテ キマクラニフセ

ナツハカド ミタソコニオリ

 

ネニムキテ ツマクラニフセ

アキハイド ナタソコニアリ

キニムキテ サマクラニフセ

フユニワド ヒタソコニアリ

 

ツニムキテ サマクラニフセ

 

ハル(春) カマド(釜戸) コタ(9尺)ソコニオリ(底におり) 

サ(南)オムキテ(を向いて) キ(東)マクラニフセ(枕に伏せ)

 

とは、どういう意味かについて、先ずは考えてみます。(音で考えます)

 

春は、カマのトです。つまり、まどかな陽が差す状況で、

「子タ其処におり」とは、子供を作ること、そこに力を注ぎなさい、

「サ(南)に向きて」とは、南の方を向いて、準備をしておきなさい、

「キ(東)枕に伏せ」とは、東(暖かさ)に感謝して祈りなさい。

 

という意味に取りました。

 

ここで、カマドの「ト」ですが、ト書き=状況(これについてはヲシテの「ト」から来ていると考えています)

とも言われるように、季節の状況・理由を示していると思われます。

 

次に、オコロが地中に潜る深さの「タ ソコニ(オ・ア)リ」ですが、

これは、「タ」=タスこと、其処におり(あり)=「現在やるべきこと」と、

意味を取りました。

 

また、「ムキテ」ですが、=心を向けて準備する方向、と取りました。

最後に「マクラニフセ」ですが、これは、「枕を向けて寝る=足を向けて寝られない」

という言葉も現在に残っていますように、「枕に=感謝して、伏せ=祈れ」と、

取りました。

 

以上のように、解釈しまして、4つの季節について、ニニキネさんのメッセージを

順に考察していきます。

 

春は、「カマ」光がまどかで、過ごしやすい始まりの季節なので、

「コ」子供を作ること、家畜や植物を育て始めよ、

「サ」夏の成長の季節の準備をして、

「キ」東から昇る日の暖かさに感謝して祈りなさい。

 

夏は、「カ」光が強くて作物が成長するので、

「ミ」水の管理、実が着くように身を入れよ、

「ネ」根に注意せよ、涼しい北に寝よ、冬の為の食料を育てよ、

「ツ」秋に豊かな収穫があるように祈りなさい。

 

秋は、「ヰ」居やすい季節、生活の為の食糧も採れるので、

「ナ」成る作物を収穫し、

「キ」春になったときに蒔く種を準備したり、木の実を取り剪定して、

「サ」夏の幸に感謝して祈りなさい。

 

冬は、「ニワ」朗らかに団欒すべき季節なので、

「ヒ」温かい心・気持ちで、ヒタスラそこに居て、

「ツ」秋に収穫して集めた食糧を大切にし、

「サ」夏の幸に感謝して祈りなさい。

 

 

以上、このようになりました。

こうして考えると、オコロの「イクシマ」と「タルシマ」へのメッセージは、

新しく宮開きをします土地の民へのメッセージであって、

ニニキネさんが、生活の教訓を伝えて下さっていたのだと思えます。

「イクシマ」という名前も、イクシマ=正しい生き方を守ると、

「タルシマ」満ち足りる洲になる、というような意味にも解せますね。
 

『ホツマツタヱ』は、物語を通じて、人々の幸せになれる生き方を伝えてくれているのですね!

考えの不備な点など気がつかれましたら、是非コメントをお願いいたします。

京都ヲシテ講習会11月17日23アヤ「ミハサダメツルギナノアヤ」

  • 2018.11.21 Wednesday
  • 09:00

 

今日は、京都ヲシテ講習会へ行ってきました。今は中立売休憩所が工事中なので、富小路休憩所に午前中に集合していますが、今までと違ったルートから歩いてきますと、紫宸殿が正面に見える九条池の前を通ることができました。丁度紅葉の季節ですので、九条邸のお池にあります厳島神社の紅葉も見られて、新鮮な気持ちが致しました。

 

九条邸

(九条邸のお池)

 

京都御苑の紅葉

(京都御苑の紅葉 ※何故か横向きになってしまいます^^;)

 

今月の学習箇所は、23アヤの前半ということで、「ミハサダメツルギナノアヤ」ですが、前半は、アマテルカミ様が定められた国家の組織がタカハタオリに従って(準って)定められているというところを学びました。

 

アマテルカミが、衣服の生地を身分に寄っても決められたのも、この頃は衣服を作るにも全部自分でやらねばなりませんでしたので、あまり服装に凝っていると農作業が出来なくなるから、この身分の人は何本の糸で織ったものを着るようにしなさと、細かく決められたのだとおもいます。しかし、不必要には細かくないのでルールが悪弊なるということもなかったでしょう。タミは一番太い糸で、本数も少ないです。農作業に差し支えると、食べるものがなくて困りますからね。トミは細い糸で糸の数も増えてきます。仕事柄ということと、着ているもので身分がわかるという事も大切だと思いますね。

 

さて、色々難解箇所はありますが、今回は「ヘトカサリ」について考えてみました。少し書き出してみます。

 

23-51

ソエムラジ   コトシロヌシと

タスケシム   ソエノフタリハ

ヘトカサリ    オオモノヌシは

ハタノヌシ

 

講習会が始まる前に、池田先生に「ヘトカサリは、錦の御旗(ト)の両側にある飾りのことではないですか?」とお尋ねしましたが、それだけでは十分な説明にならないとのことで、

辻さんにもご意見を聞いてみました。

 

辻さんの資料

 

「ヘトカサリ」について、辻さんは資料を持っておられて、その資料『弥生の布を織る』機織りの考古学(竹内晶子)を見せてもらって、ヘトカサリの意味についても、考えるところを聞かせてもらったのですが、カサリと言うのは、「綜絖・そこう」のことであり、その綜絖を難しい綾織りの高機織りの場合は、上で2人ほど居て操るのだそうです。添えのふたりというのは、カサリを操る二人の人のことでもあるのですね。

 

ですから機織り女に、添えの2人が居るということで、(ヘト=辺人)の2人は、カサリのヘト(=ヘトカサリ)と言っていたのではないか?と、思いました。これは、制作中の「ヘトカサリ」の場合ですね。

 

機織り機

 

また、オオモノヌシはハタノヌシで、添えの二人(「ソエムラジ」と「コトシロヌシ」)は「ヘトカサリ」と書かれていますので、完成形の旗の場合は、2人の「ヘトカサリ」は、旗(=「ト」)の両脇に置く飾りの事ではないか?と、思いました。国家という機を織る場合にも、二人の添えが必要だと、準えている。

 

錦の御旗

 

つまり、トノヲシテを守り、国を織り成すにも、3人揃っていなければいけないという象徴として、錦の御旗の「ヘカサリ」を付けたのではないか?と思うのです。

池田先生に、「ヘトカサリ」についてメールで2度目にお尋ねしたときは、「なるほど」というお返事をいただきました。「ホツマツタヱ」に現代までも引き継がれている錦の御旗の事など、書かれているのは面白いですね。

 

もう一つ気になったのは、

 

23ー36

ナツはヌサ     ウミテヌノヲリ

フユはユキ     ヨリテユフヲリ

 

ここの「ヌサ」ですが、これが「麻」のことなのかな?と思いました。

「ウミテ」という動詞は、どうすることなのか?手で撚ることなのか。

「ヨリテユフヲリ」というのは、道具を使ってより強く撚って、「ヌノ」よりも繊細な布を織ることなのか?

「ヌノ」と「ユフ」の違いも、興味深いところでした。

 

麻(アサ)という言葉は出てきませんが、ヌサが麻のことで麻がどのように使われていたかも分かると良いなと思います。

百田尚樹氏の「日本国記」を読み始めました。

  • 2018.11.15 Thursday
  • 23:30

 

百田尚樹さんの『日本国紀』を読み始めました。第1章 古代〜大和政権誕生から始まりますが、やはり、『古事記』と『日本書紀』をベースに話を進めておられますので、貶められた内容になってしまっていて、いかにも残念無念!!

 

 

ネズさん(小名木善行さん)の『古事記1、2、3』を読んだときもそうだったのですが、「古事記」からの推測力は素晴らしい!です。よくもあれだけ、訳の分からない「古事記」から、そこまで深読みが出来たものだ!と、全く感心して読ませていただきました。しかしながら、『ホツマツタヱ』を知ってしまった立場で読むと、どうしても推測の限界を感じざるを得ませんでした。

 

そのような事が、どこまでいっても付きまといます。もう、いい加減に識者と認識のある方々は、『ホツマツタヱ』をまともに読んだ方がいいのではないですか?!と、思います。本当に不思議なことです。

 

縄文時代に狩猟しかしていなかったなんて!文字もなくて原始時代の原人と一緒だったなんて。中国文化がいきなり入ってきたら、実に見事に、中国文化を加工して日本流の文化が花開いたなんて、全く不可思議なストーリーです。

池田先生には、1日も早く「縄文から古墳時代までの歴史」を出して欲しいです。でも逆に、『ホツマツタヱ』の価値がすごく良くわかりました。

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